ep.2
「おまえ、髪の毛食ってるよ」
「え?」
昼下がり、フードコートの端のほうで、おれたちは重労働の疲れを癒すべくアイスをほおばっている。
弟であるロナルドは、日常生活でも結構な頻度で髪の毛を食べる。なぜ気づかないんだ?
おれは考える。考えることだけが、唯一心穏やかに好きと言えることだ。
⋯⋯叔母に断らず家を出たこと⋯⋯親友にひどいことを言ったこと⋯⋯弟を道連れにしたこと⋯⋯勉強が全くと言ってできないこと⋯⋯臆病なまま大人になったこと⋯⋯叔母の、亡くなった夫、の車をそのまま連れてきてしまったこと⋯⋯我ながらひどい親不孝者だ。
本物の親じゃないにしろ、愛せるものがあるなら愛してやりたいのに。
「兄さん、手が止まってるよ」
「⋯⋯え、あぁ⋯⋯」
「なにを考えてたの?」
「⋯⋯おまえが髪をよく食べること」
「えっ、そんなに食べてる?」
「食べてる。なあ、アイスはおまえにやるよ」
ロナルドは眉を上げた。その手元で、スプーンを差したままの二段アイスがどろりと崩れる。
氷山も、このように溶けていくといい。
弟はなおも訊く。
「どうして?」
「腹いっぱいだ」
「嘘だ。なんで?」
「嘘じゃない。理由がいるのか?」
「⋯⋯いらないけど」
「じゃあやるよ。あとな、おれは家でパンを食ってきたわけ」
ロナルドはぴょんと椅子から立ち上がり、
「えっ、ずるい!」
「はは。いいだろ?」
「僕も食べたかった!」
かわいそうに、正しいおまえ。
おまえには甘い菓子パンよりもいいものを得てほしいし、悪い夢は見ないでほしい。風邪も大病も嫌だし、怪我だってしないでほしい。
むくれたロナルドはアイスをカップごとぶんどり、素早く食べ、そしてひどい顔をした。おれは言った。
「アイスクリーム頭痛」
「⋯⋯⋯⋯いっ⋯⋯たあ⋯⋯!」
「水、買ってくるよ」
「いい⋯⋯いらない⋯⋯水筒あるし⋯⋯」
「そう」
おれはあげた腰をおろして、なにげなくフードコートの入り口を見た。
「⋯⋯ロナルド」
「なに?」
「⋯⋯出ていいか?」
「え?」
時すでに遅し。
「エラルドじゃん! あははっ、なにしてんの、こんなとこで!」
おれは立ちあがって、わざとらしいくらいに笑った。おれはコイツらが嫌いだ。とくに、ふたりを従えていい気になっている先頭の、
「それ、弟?」
コイツ。
「⋯⋯そう」
「へえ。かわいいじゃん」
後ろのふたりがスマホを動かしたのを見て、おれは咄嗟に弟と三人の対角線上に立った。
コイツらは人の弱みを握るのが好きだ。そういう自分に酔っている。なんて厄介なんだ。
しばらく前、クラスメイトの彼氏を写真に収め、それをばらまいたことがある。そのクラスメイトはいじめだと訴え、担任はさらにナイーヴになってしなった。
そのように、ロナルドにも何か、危害が及ぶかもしれない。
おれはきわめて深く注意をする。
「ああ」
「ブラコン? お前そんな感じだっけ?」
どんな感じだ、とは訊かなかった。その代わり、わずかに眉をひそめる。
「あ、てかなんか奢ってくれない?」
文脈がおかしい。香水もキツイ。気分が悪い。おまえらが嫌い。
小さな手で、背中を軽くたたかれる。
「兄さん、時間押してる」
「は? なに?」
「⋯⋯あ、そうだな! ごめん、奢るのは別の機会に考えておく」
行こう、と言ったのはおれでなくロナルドで、やっぱりこいつはいつでも正しい。あっけにとられる三人を置いて、フードコートを出る。どことなくおれが怒られているみたいだ。
怒っている親のあとを歩くしかなかったとき、絶妙な距離感を持って、歩きながら虫のように息をひそめていたことを思い出す。
おれたちは駐車場に出てからようやく、肩の力を抜いた。
「あれ誰!? 匂いきつかった〜⋯⋯後ろのふたりなんてずっとスマホいじってたよ?」
「そうだなー⋯⋯」
「アイス持ってきちゃった」
「うん」
「⋯⋯あとでジュース買っていい?」
「うん」
「⋯⋯あの三人、兄さんのこと下に見てたね」
「うん」
「⋯⋯話聞いてる!?!?!!??」
「うん」
「聞いてないじゃん!」
「なんで取り乱してんの?」
「えっ、聞いてるじゃん!」
「うん、だから、聞いてるって言ってるだろ」
はい、出発しま〜す、とおれはブレーキペダルから足を離し、ゆっくりアクセルを踏んだ。
「ジュースだっけ? おれのナップサックに入ってる」
「飲んでいいの?」
「いいよ」
「えーっ⋯⋯⋯⋯ありがとう」
「うん」
おれはちらりとロナルドを見た。
「また髪食ってる」
「え?」