孤独
店内は広く、木のテーブルや椅子が整然と並び、中央の暖炉には小さな炎が揺れていた。カウンターの奥では、年配の男が忙しそうに動き回っている。
俺はそちらに向かい、カウンター越しに声をかけた。
「すみません、ひとつお願いがあって……」
男がちらりとこちらを見る。客じゃないと気づいたのか、少し警戒するような顔で動きを止めた。
「お願いって、なんだ?」
俺は一歩前に出て、頭を下げるようにして言った。
「仕事を探してまして。もし、何か手伝えることがあれば、今日からでも働かせてもらえないかと」
男は黙ったまま、じっと俺の顔を見た。数秒の間を置いて、やがて腕を組みながらうなる。
「……ふむ。実を言うと、今ちょうど手が足りてないところでな。厨房も忙しいし、客も増えてきた」
そして、少しだけ口元を緩めながら言った。
「いいだろう。ちょっと手伝ってみるか?」
俺はすぐにうなずく。
「ありがとうございます! じゃあ、まずは何をすればいいですか?」
男は俺に簡単に指示を出すと、すぐに仕事を始めるようにうながす。
「まずはテーブルを拭いてくれ、それから皿を運んでくるんだ。客が増えてきたから、忙しくなるぞ」
俺は軽く頷き、言われた通りに行動を始めた。最初はちょっと戸惑ったけれど、すぐに、店内の雰囲気に飲み込まれるように、俺の体も自然に動き出した。人々の声、食器の音、そして料理の匂いが交じり合い、俺はその中で自分の役割を見つけていた。
やがて夕暮れが終わり、厨房の火が落ちるころ、女将さんがぽつりと「今日はもう、ゆっくり休み」と声をかけてくれる。
「お疲れさん」と添えてくれた言葉が、やけに心に染みた。
与えられた小さな部屋に戻ると、薄い布団が一枚だけ敷かれている。
「……やっと、一杯やれるな」
そんな独り言を呟きながら、俺はグラスに酒を注ぐ。
グイッとグラスを傾け、中身を飲み干す。
仕事で酒が飲めない時間が続いた為だろうか。
その熱い液体は、喉と一緒に脳髄も焼いてしまうかのようだった。
疲れた体と脳は待ちわびたその感覚に歓喜の声を上げる。
糖分を一切含んでいないはずの蒸留酒ですら、その一杯目は甘く感じた。
毒物であるはずの酒を、体と脳が必要な栄養素として認識してしまっている。
体はじんわりと重たく、指先から疲れが抜けていくのがわかる。けれど、その疲れは不快なものじゃない。
誰に言われたわけでもなく、自分で立ち、手を動かし、汗をかいて、働く。
そうして一日の終わりに「お疲れさん」なんて言葉をもらえると、不思議と胸が温かくなった。
そう。胸が温かくなってしまったのだ、俺は。たったそれだけのことで。
そして、今、一人で酒を飲んでいるこの瞬間。
酒は美味い。けれど。
俺は、なんだか、さみしかった。
前の街での暮らし――仲間たちと過ごした時間が早くも懐かしかった。
飲んで笑って、心がほどけていくような日々だった。
けど、あれはきっと、健全な人と人との関係では無かった様に思う。
みんなが俺を慕ってくれたのは、絶望の淵で俺の力が必要だったからだ。
そして問題を片づけてしまえば、こんな酔っ払いはきっともう、必要ない。
思い出を美しいままにしたくて、自分から身を引いた。
本当に、楽しかったから。大切にしたい、思い出だから。
さみしいからまた酒を飲み、少しずつ、酔っぱらっていく。
酔っぱらってはまたさみしくなり、そしてまた酒を飲む。
少しずつ、瞼が重たくなっていく。
遠くで風が鳴っていた。木造の建物が、わずかに軋む音が子守唄のように聞こえる。
気づけば俺は、深く、孤独な眠りの中へと落ちていた。




