絶望
深夜。もう2、3時間で空も白み始めるだろうという時間である。
髭オヤジことゲラルトは、自分達を助け、そのまま床で寝てしまった名も知れぬ剣士を部屋へ運んだ。そして息絶えた蛇凶メンバーの死体を荷造り用の縄で縛って荷台で運び、重しをつけて川に沈める。川は結構な深さがあるが、事の顛末が蛇凶へと知れるのは時間の問題だろうと彼は考える。店に帰った後、店内は綺麗に掃除した。
ベッドが備え付けられた、8畳程度の殺風景な部屋。
店の2階に位置するゲラルトの私室である。
現在、ゲラルトは娘のソアラとふたりきり、部屋で向かい合っていた。
ゲラルトは絨毯が敷かれたその上に胡坐をかいて腕を組み、ソアラは正座をしてうつむいている。
両者の表情は優れない。この世の終わりでも来たかのようだ。
そしてそれは二人にとって、比喩ではなく、今まさに現実のものとなろうとしていた。
ただ、無言で向かい合う二人。
どれほどそうしていただろうか。ゲラルトは意を決し、ソアラに対して重々しく口を開く。
「ソアラ。今、この国に蛇凶ほど強大な組織を取り締まるだけの余裕は無い。我々が貴族のように多額の税金を国へと収めてるわけでも無い以上、国の保護は期待出来ないだろう。蛇凶は我々をどこまででも追って来る。一緒に逃げても恐らく無駄だ」
「・・・」
「仮に街を出ても、人気の無い場所で二人きりになったところを襲われて、お父さんは殺され、ソアラは・・・」
「・・・」
無言になる二人。
ほどなくしてゲラルトは、懐から何かを取り出し、ソアラの目の前に置いた。
「・・・?」
短刀だ。意味を図りかねるソアラ。
ゲラルトは、拳を硬く握り締め、声を震わせて言った。
「今なら、全てを楽に終わらせられる」
「・・・おっ、お父さん!?」
ソアラは、驚愕の顔で父親を凝視する。
ゲラルトは、畳み掛けるかのように言う。
「すまんソアラ。だが、どう頑張っても、逃げ切れるとは思えん。旅を続ける為の金も無い。それでもただ殺されるだけなら、あがくだけあがくさ。だが、もし捕まってしまえば、お前はあの蛇凶の男が言っていたように・・・」
ゲラルトはそこで言葉を切る。
捕まれば、言葉にするのもはばかられるほど残酷な仕打ちがソアラを待っている。
四肢を奪われ、尊厳を奪われ、到底耐えきれぬ苦痛を与えられ、そして最後の最後には、やはり無残にも殺されるのだろう。
ソアラはうつむき、歯噛みする。
ゲラルトの言うことは、ソアラにも良く理解出来た。
この国は貧しく、富を持った貴族が幅を利かせ、法もろくに機能していない。
似たような酷い噂を耳にすることもこれまで何度もあった。
しかしそれでも生きることを諦めきれない。
まだ若い。死ぬには、あまりにもこの身は若すぎる。
小さい頃に母親が死んでから今まで、ただ、苦労ばかりをしてきた。
まだ、何も、何もしていない。
恋もしたい、結婚もしたい。幸せになりたい。
いや、幸せでなくてもいいからせめて。
――生きていたい。
ソアラは、藁にもすがる思いでゲラルトへ反論する。
「お父さんっ、でも、でも昨日の人がまた守ってくれるかもっ」
しかしゲラルトは首を振る。その顔は悲痛そのものだ。
「ソアラ。彼は、昨晩酷く酔っ払っていた。もちろん助けてくれたのだから善人なのかも知れない。だが、二度目三度目は無いだろう。何せ今まで会ったこともない、赤の他人だ」
しかしソアラも食い下がる。簡単に諦めるわけにはいかない。
「でも、ひょっとしたら報酬を多く出せば引き受けてくれたりとかっ・・・」
そんなお金がどこにあるんだろう、とはソアラ自身が思う所だ。生活するだけでカツカツで、蓄えなど無いのは分かっている。だが言わずにはいられなかった。
そしてやはりゲラルトは首を横に振る。
「彼は恐らくどこかの高名な剣士だ。蛇凶の戦闘部隊10人に囲まれ、そこから一瞬で皆殺しにするなど聞いたこともない。だがそれだけに彼を雇うお金は短い期間であっても、とても我々庶民が払えるようなものではないだろう。そしてソアラ。蛇凶のような恐ろしい相手にたった一人で、見ず知らずの相手を、しかもわずかな報酬で命を懸けてずっと守ってくれるような人間は、この世にただの一人もいない。いないんだ」
最後は震え声になるゲラルト。ゲラルトとて、諦めたいわけが無い。だが、現実はどう考えても、一片の希望すらも自分達に与えてくれてはいなかった。少なくともゲラルトには、そう思えた。
「すまん、ソアラ。これまでだ。
苦しまないよう、お父さんが、やる。
お父さんもすぐに後を追うよ。・・・ソアラ。愛している」
決意を固めて、ゲラルトは短刀を手に取った。
愛するソアラを貴族に拷問させるわけには、いかない。
拷問されている最中にソアラ自身がきっと、いっそ殺してくれと願うだろう。
――ならば今、この手で。
しかし悩み抜いたゲラルトに対し、父親が何とかしてくれるのではないかと考えていたソアラ。
今すぐに死ぬ覚悟はまだ出来ていなかった。
彼女は号泣しながら突っ伏し、嗚咽をこぼしながら訴える。
「い、嫌。いやだ。死にたくない。怖いよ。お父さん。
何とかしてよ。嫌。嫌。いやだ。しにたく、ない」
しかしゲラルトは、短刀を持つ腕を振り上げた。
やらなければならない。
今ならソアラはこちらを見ていない。
だがゲラルトの脳裏には、本人の意思に反してソアラとのこれまでの日々が次々と浮かんでは消える。
ソアラは、我侭を言うタイプでは無い。
小さい頃に母親を亡くしてからはお願い事をすることも無く、ギリギリの生活を守るために父親の言うことを良く聞いた。
借金を何とかするために露出の多いメイドの格好をさせた時も、嫌だろうにニコリと笑って、いいよと言ってくれた。
その子が、今、母親が死んでから初めて父親に我がままを言っている。
死に物狂いで、生きたい、お父さんどうにかしてと懇願している。
ゲラルトは、そのささやかな願いすら叶えてあげることの出来ない自分の不甲斐なさに、自責の念に、気が狂いそうになった。
自分の命と引き換えにしてでも、ソアラを守ることが出来たなら。
振り上げた、短刀を持つ腕がブルブルと震える。口の中で血の味がした。
ソアラが、顔を床に突っ伏したまま、泣き声で言った。
「お父さん、お願い、助けて・・・」
ゲラルトは、短刀を取り落とした。
どうしても、出来ない。
小さい頃、ヨチヨチ歩きで後ろについてきた。
ニッコリ笑った顔が可愛くて可愛くて、目に入れても痛くなかった。
その無邪気な笑いにずっと幸せを貰ってきた。生きる希望だった。
妻に似て八重歯の可愛い、美しい娘に育った。
苦しい生活の中でも、この子さえいれば幸せだった。
自分にとって、太陽だった。
それを、この手で殺すことなど、出来るはずがないじゃないか。
いつの間にか、ゲラルトはソアラを抱き締め、そして共に号泣していた。
・・・二人で、いつまでそうしていただろうか。
涙もカラカラに乾いた頃、ゲラルトは憔悴しきった表情で宙を見つめ、思う。
――どう考えても不可能に思えるが、死に物狂いでもう少しだけ、あがいてみよう。ひょっとしたら、そう、あの平たい顔の剣士は、異国からやってきた王族かもしれない。この身を哀れんで、この国の貴族に口を利いてくれるかもしれない。もしくは不治の病を患っていて、どうせ死ぬならと蛇凶と死闘を繰り広げ、その命尽きるまで娘を守り続けてくれるかも知れない。そういった事情が無くとも実は見たことも無いような聖人で、命も時間も何もかも、全てを赤の他人で初対面の我々に捧げてくれるかもしれないじゃないか。
宙を見つめるゲラルトの目はもはや、ちゃんとした焦点を結んではいない。
今、二人の親子は深く大きい川の中央にて溺れながら、近くに流れて来たワラのほんの切れ端に、その手を伸ばそうとしていた。
【緊急予告】
ここで読むのをやめるのは、もったいない──!
15話ではソアラの「朝の抱きつき」が炸裂。甘えと誘惑の境界線を攻める、理性崩壊寸前の試され回。
……でも、本当にヤバいのは。
16話、満を持して登場するのは──
黒シルクの服に身を包んだ、クール系の超絶美人。
美麗イラスト付き、胸元&ミニスカが視線を刺す!
ただの色っぽい新キャラ?
いいや、彼女もまた、この物語の核心に深く関わる存在。
読まなきゃ損。見逃せば後悔。
はじまりの一杯は、彼女の登場から──!
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