無い
それは――ダルマだった。中年男性と中年女性と思わしき、人間の――――死体。
ただの死体ではない。無い。無い。無い。
強烈な違和感。あるはずのものが、そこには無かった。
腕も、足も、目玉も。そしてもう一つ――何だ。何が無い?
凄まじい光景に絶句する。だが今、俺は“拷問官”としてここにいる。動揺を悟られてはならない。俺は震える足を交互に動かしながら、薄闇に溶け込むように、あの少女の元へ歩み寄っていった。
鉄格子の前。ぼんやりとうつむいたシャーロットが、突如ギョロリと顔を上げた。
――目が、合った。
その眼差しは、生者のものではなかった。虚ろな瞳に、微かに浮かぶ赤。まるで亡霊が、夜の底から這い出てきたかのようだった。
「ア ぁ、ア な た ナ の。タ す け に、き テ く れ た の……?」
――しまった!!
時間がねじれる。空気が重く歪む。
スローモーションになる世界。俺は私兵に振り返る。
私兵の顔が、シャーロットと俺が知り合いであることに困惑し、理解し、憤怒へと移り変わる。
私兵の腕が、槍の柄を持ち上げる動きを始める。その動きを止める為、即座に踏み込む。俺の手がその手首を掴み、関節を逆にねじり上げた。骨が軋み、私兵の体勢が崩れる。その足元を払うと、体が浮き、地面と平行になった。
浮いた顔面を、俺は掴み取る。迷いはなかった。
そのまま、後頭部を地面へと叩きつける――!
「ごがっ……!」
肉の打ちつけられる鈍い音。
私兵は意識を失い、沈黙した。
荒い息が漏れる。心臓が暴れる。だが、俺はまだ正気を保っている。
今は――考えろ。周囲を確認する。他に敵影は、ない。
「……っ!!」
鋭い金属音。鉄格子が揺れる。
さっきまで沈黙していた彼女が、鉄格子に爪を立ててしがみついていた。
白くなった指。
血がにじむほどの力。
「あっ……あなた、ほんとうに……?」
名前は呼ばれなかった。
だがその目は、俺を知っている。
「なんで……なんで今になって……」
声が震えている。喜びか、怒りか、それとも――壊れてしまっただけか。
「ころして……」
「……え?」
「殺して! 殺してよっ! 私のお母さまとお父さまを殺したヤツを……!」
彼女の叫びは、悲鳴と狂気の境界にあった。
「お願い……お願いだから……私、あなたに何でもするから……お礼に、何だってしてあげるから……殺してええええええっ!!!」
鉄格子を揺らしながら、彼女は絶叫した。
その顔には涙があった。
その瞳には、狂気があった。
それは、怒り。憎しみ。悲しみの果てにある、魂の空洞だった。
すべてを奪われた少女。
金も、心も、家族も、希望すらも。
彼女の中には、もう“誰かを殺したい”という感情しか、残っていなかったのかもしれない。
実は最終回が近いです(あと25000文字くらいで終了予定)
そして、現時点でまったく全然カケラも予想できないでしょうが、
ラストは爽やかな感動に包まれる予定です。
彼女が“幸せにたどり着けるように”という願いは、物語の中にそっと、すでにたくさん伏線として散りばめてあります。
それがどこで、どう回収されていくかは、読んでくださる方の観測次第──なのかもしれません。
でも、大丈夫。これは読者様一人一人の物語です。
どうか安心して、彼女の物語を見届けてあげてください。
その願いは、きっと、届いていますから。