8-6 救いの剣と理の盾
王国の最北、禁足地の庭園。その最奥には、世界の境界を定める神木が天を衝くようにそびえ立っていた。
中ほどに結ばれた不気味なその実は、まるで拍動するかのように微震を繰り返し、周囲の空気を毒々しく濁らせている。
地を這う蛇のごとくのたうち、高く隆起した神木の根。その頂に、王国を統べるリアナ女王が佇んでいた。隆起した根に無造作に広げられたドレスの裾は、彼女を神木の一部であるかのように錯覚させる。リアナは繭のような実に震える手を添え、焦点を失った瞳で、ただその拍動に耽溺していた。
神木の手前には、魔塔首席イリス。そして、星屑を織り込んだような煌びやかなドレスを纏い、長いまつ毛を伏せて沈黙を守るルナが、静止した彫像のように控えている。
「……あれが、『滅亡の実』なのか」
沈黙を破ったのは、辿り着いたライルの絞り出すような声だった。イリスがゆっくりと視線を向ける。その瞳には、侵入者への憤怒よりも、深い倦怠感と冷徹な響きが宿っていた。
「……エレインの守護を押し通ったか。信じがたいな」
イリスは、ライルの背でぐったりと意識を失っている金髪の少女、シエラを一瞥した。
「何者だ。何故ここへ来た? ここは人の子が足を踏み入れて良い領域ではない」
ライルはシエラを背負い直し、冷え切った彼女の体温を背中に感じながら、神木を睨み据えた。
「世界の理を、変えに来た。滅亡の実をつける神木を斬り伏せ、循環を正し、この澱を浄化する。……それが俺たちの目的だ」
その宣言を聞いた瞬間、イリスは深く、あまりに深く溜息をついた。その貌に刻まれたのは、七十年に及ぶ『期待と落胆』の歴史だ。
「その問答……七十年前から何度繰り返してきたことか。お前のような者が、同じ瞳で、同じ正義を語り、そして同じようにこの木の根に沈んでいった」
イリスは鋭く言い放つ。
「共生こそが、我らの唯一の生存圏なのだ。それに伴う犠牲は、理として受け入れろ!」
「いいや、違う」
ビャクが腰の刀に手を添え、一歩前に出る。
「この国の王は本来、神木を管理する力を有していた。……だが、今の女王はその力を持たぬ未熟者だ。正当な王が統治すれば、世界は正しく循環し、不要な滅亡も起こらない」
「その結論は既に試した。十年前、ラインハルトが失敗し、後に残ったのは悲劇だけだ」
「失敗したのは、神木に『寄生虫』がいたからだ。女王を名乗る女がな!」
ビャクの冷徹な断罪が響く。
「寄生虫を除去し、真の王を据える。それこそが世界の救いなんだ」
「……王位を継承するには儀式を受ける必要がある。それは大地が不適格者に死を与える『淘汰』の場。リアナ陛下はその試練を生き延び、自らの手で継承権を掴み取られた。
陛下こそが、現在神木と対話できる唯一の存在。……貴様らのような危険因子を生かしておけば、また悲劇が繰り返されるだけだ」
対話は、ここで潰えた。
「話は決裂だ。……くるぞ、ライル」
「ああ、わかってる。……終わらせよう、全部」
ライルはシエラを近くの庭石の上に静かに寝かせると、剣を抜いた。
「……いいでしょう。無知ゆえの勇気……それが無意味な蛮勇であると、その身で知りなさい」
彼女がその白い左手を静かに掲げると、袖口から覗く手首が一瞬にして青白く透き通る氷の鱗に覆われ、周囲の空気を凍てつかせる。
その氷の鱗に覆われた指先で、傍らに佇むルナの顎を優しく、慈しむように掬い上げた。直後、イリスの瞳が黄金の縦瞳へと変色し、空間に鋭い魔圧が走る。
イリスの指が離れると同時に、彫像のように動かなかったルナの長いまつ毛が震え、その瞳がゆっくりと開かれる。




