7-5 空の器と、欠けた魂 (7章完)
背後で轟音を立てて崖が崩落する中、一行は命からがら森の開けた場所まで逃げ延びた。
ライルは膝をつき、腕の中のシエラを地面に横たえる。泥と煤に汚れ、顔色は紙のように白いが、その胸は微かに、だが確かに上下していた。
「……シエラ、おい、シエラ!」
呼びかけに応じるように、シエラの瞼が震える。魂の半分を御神体に奪われた欠損ゆえか、その瞳にはかつての輝きはなく、ただ深い霧に覆われたような虚無が宿っていた。
「ラ……イル?」
「ああ……良かった、生きている」
ビャクは安堵と共に大きく息を吐きながら言う。
「守られた……私達の『希望』が」
「ビャク、シエラが希望とはどういう意味なんだ?」
「ライル……お前に話さねばならない事がある。シエラの、その『存在』についてだ」
ビャクは意識の混濁しているシエラを見つめ、静かに、だが重く告げた。
「この娘は、人間ではない。私の父達の手によって造られた、人工の器……ホムンクルスだ」
「10年前、ラインハルトは人類の滅亡から逃れる為に女王の姉と神木を引き合わせた。
だがそれはリアナ女王の発狂により、失敗に終わった……。
その時、私の父はリアナ女王の姉の魂が霧散しないよう結晶化させ村に持ち帰りホムンクルスの肉体に移したんだ、それがシエラだ」
ライルの動きが止まる。その衝撃を飲み込ませるように、ビャクは言葉を続けた。
「予言された滅亡は近い。神木が『滅亡の実』を実らせれば、そこから竜が産み落とされ、人類を根絶やしにするだろう……70年前のあの悲劇が繰り返される」
「それなら神木を斬り倒せばいいんじゃないか?」
「70年前、かつての英雄達は神木を前にしてそれが出来なかった……
神木は生命を循環させる機能がある、伐採してしまっては水も土も人々の心さえも腐ってしまう……神木はその澱を浄化し循環させる唯一の『装置』でもあるんだ。
浄化と循環を残し滅亡を防ぐための希望が『シエラ』だ、今度は絶対に失敗は許されない」
ライルは自分の拳を強く握りしめた。神木という摂理に一方的に淘汰されようとしている世界の残酷さに対抗するかのように。
「ガルダス、あんたが正しかったのかもしれない。神木がなければ、世界は澱に飲み込まれてすぐ終わるんだろう。
……だが、そのためにシエラを食いつぶすのが『理』だっていうなら……そんな理、俺が斬り伏せてやる」
二人の間に、共通の敵を見据えた連帯が生まれた。
その様子を傍らで見ていたフイユが、重い腰を上げながら口を開く。彼女はビャクの言葉の『裏』を完全に理解していた。
「あなたたちがその道を選ぶなら、私は止めません……ですが、最後にあなたの覚悟を聞かせて下さい」
フイユの瞳が、射抜くような鋭さを帯びる。
「庭園の奥、神木と対話する『女王』。この地で御神体と祀られていた『ミイラ』。そして、あなたの腕の中で眠る人工の器『シエラ』」
フイユは崩壊した崖とシエラを順に指差し、重々しく問いかけた。
「あなたは、誰を『リアナ』と定義するんですか? 誰が本物だと言うのですか?」
ライルは迷うことなく、横たわるシエラの手を握りしめた。
「決まってる。俺が救いたいのは、女王でもミイラでもない。……俺の腕で眠っている、シエラだ。たとえ誰の魂を閉じ込めた器だろうと、こいつが俺の家族である事実は変わらない」
「……そうですか。では、お行きなさい。その答えの価値は、庭園の最果てで決まるでしょう」
ライルは立ち上がり、シエラを背負う。ビャクが先導し、二人は月明かりに照らされた東の空……滅亡の種子が待つ「王国の庭園」へと歩み始めた。
――その頃。
静まり返った崖の底、降り積もった瓦礫が不自然に動いた。
泥にまみれ、所々が破れた『白銀の礼装』。その身には、今も呪わしい赤縄が蛇のように絡みついている。
魂を一部取り戻した『それ』は、下半身を失ったまま、泥を掴み、ゆっくりと這い出した。
欠落した何かを埋めるように、『それ』はシエラたちが向かった東の空を見上げ、不気味に這い進み始めた。




