6-5 絶望の絶縁体
月明かりの回廊に、ベルナルドが静かに歩み寄る。その足音は幽霊のように軽く、だが死神のように重く響いた。
「そうか。家族を襲ったのは、君だったんだね。」
ベルナルドは穏やかな声で諭す。
「自首するんだ、ヴァルト。然るべき罪を受けろ」
その慈悲に満ちた声が、逆にヴァルトの怒りを逆撫でする。
「ベルナルド、道を空けろ! 家族の身の安全は保証する!」
「……皇帝の盾たる私が、侵入者を前に道を譲る道理はない」
刹那、ベルナルドの姿が掻き消えた。
直後、ヴァルトの視界が火花を散らす。神速の突きを剣の腹で受け止めたものの、岩をも砕く突進力に身体ごと吹き飛ばされ、石壁に背中から叩きつけられた。
「ガハッ……!?」
腕の骨が軋み、肺の空気を強制的に絞り出される。
ヴァルトの傍らで、ライルが戦慄に目を見開いた。
「こいつ……この城に張り巡らされた、魔力を削ぐ術式が効いていないぞ……!?」
ヴァルトの額を汗が伝う。剣を交えただけで理解させられた。この男の技量、半端ではない。
(戦いは避けるべきだ。だがどうすれば……)
「サラ…、と言ったか? 退かないなら、先妻を失った時の苦しみをまた味わうことになるぞ!」
剥き出しの脅迫。だが、ベルナルドの微笑みは消えない。彼はゆっくりと、愛剣である細身のレイピアを構え直す。その動作一つで、回廊の空気は氷点下まで引き締まった。
「ああ。サラが死んだことは、気が狂いそうになるほど辛かったよ。……その苦しみから逃れるために、私はあらゆることをやった」
一歩、ベルナルドが踏み込む。
それは歩みなどではない。光の筋が回廊を走ったと錯覚するほどの超高速移動。
「……ッ!?」
ライルが反応できたのは、自身の肩を熱い痛みが貫いた瞬間だった。
避けるどころか、剣筋すら見えない。ライルは壁まで吹き飛ばされ、激しく咳き込んだ。
「ライル! 下がってろ! お前じゃベルナルドを捉えられない!」
ライルは歯を食いしばり、壁に背を預けたまま膝を折った。悔しさが胸を焼き、己の無力さが喉を塞ぐ。
(俺には……何も出来ないのか。この次元の化け物相手に……!)
「笑顔でいれば楽になる。仕事に没頭すれば気にならなくなる。常に人に優しく、再婚し、子を授かれば生きる目標になると……。全て全力で、真摯に試した」
激しい剣戟の音が響く。ヴァルトの剣は空を切り、ベルナルドの刺突はヴァルトの肩を掠める。
「――だが、苦しみを忘れた日は一日もなかった」
その告白と共に放たれた剣風の中でヴァルトは叫んだ。
「ベルナルド、お前は刻印を刻まれていない! ガルダスに忠誠を誓う義理はないはずだ!」
「刻まれていないんじゃない。皇帝陛下は、刻めなかったんだ。私は生まれつき術式に耐性がある。……お前たちが城内に仕掛けた弱体化も、私には届かない」
ヴァルトの瞳に絶望が混じる。最強の男は、策略という名の小細工すらはねのける『特性』を持っていた。
「サラは死に際、私に二つの頼み事をした。……一つは、不要な殺しはしないこと。二つ目は、病を患う彼女の弟を助けてほしいと。
その医療費を、ガルダス陛下は全て支払ってくれている。私が、陛下に剣を向ける理由がどこにある?」
稲妻を纏ったヴァルトの連撃。だが、そのすべてをベルナルドは最小限の動きで、一点の狂いもなく弾き返す。
ヴァルトの右腕は、服の中で焼けただれ、黒ずんでいた。庭園の魔樹に放った最大出力の代償――その腕は、すでに限界を越えている。
(出し惜しみなんかしてられない。次の一撃に……俺の全てを乗せる!)
ヴァルトは右腕に竜の力と電撃の魔力を凝縮させていく。対するベルナルドは、両足を前後に広げ、半身になって静かに待ち構える。
「おおおおおおっ!!」
ヴァルトは稲妻の化身となり、ベルナルドへ最大出力の一撃を放った。
――ズガァァァァーン!!
凄まじい轟音が響く。だが、ベルナルドはその一撃を柳のように受け流した。行き場を失った衝撃波が周囲の壁に無数の亀裂を走らせる。
「威力だけなら、俺の方が上のはずだ! なのに、なぜその細身の剣一本に……!」
「どんな一撃にも、弱い角度とタイミングがあるんだよ。そこを突ければ、たとえ全盛期のアルバスの魔法でさえ貫ける」
ライルはあの村での脱出時、空を覆った絶大な魔法を思い出す。
(あのレベルを……貫ける、だって……!?)
あり得ない話だ。だが、目の前の男ならそれさえ可能だと思わせる。
説得も、脅しも、小細工も、研鑽を積んだ己の剣も。この男の前には全て無意味なのか。
しかし、ヴァルトのその瞳から、闘志の炎は一時たりとも消えてはいない。
ヴァルトは前後に足を開き、ベルナルドと同じ半身の構えをとった。
(集中しろ。角度と……タイミングだ……)




