6-3 結び巫女
白磁の壁に囲まれた宗教施設『聖域』。
その最奥に鎮座する『相対天使』の石像は、二人の少女が腹部で癒着したように抱き合っていた。台座には太い麻のロープが、獲物を絞め殺す蛇のように幾重にも巻き付いている。
「ユキ、あの像は?」
シエラの問いに、黒髪の少女、ユキは虚ろな目で答えた。
「数年前、崖から落ちた司祭様を救った天使様よ。疫病を治す奇跡を起こしたって……」
そこへ司祭が現れ、低く威厳のある声で呼んだ。
「ミス・マルガイ」
「はい、司祭様。なんでしょう?」
「息子のテオが寂しがっている。顔を出してはくれないか」
司祭に促され、二人は教会の寝室へ向かった。そこには異様な光景が広がっていた。天井から吊るされた数十本のロープが、中央のベッドに横たわる少年に繋がっている。司祭のひとり息子、テオだ。
「……ユキちゃん? 来てくれたんだね」
かつてはユキの遊び相手だった少年は、今や枯れ木のように痩せ細り、肌は土色に変色していた。ユキが震える手でその頬に触れると、司祭は慈父のような笑みを浮かべた。
「テオや、もうすぐだ。満月の夜に『結び巫女』の祭事が終われば、お前はまた外を走れるようになる。……頑張るんだよ」
直後、ユキが激しく咳き込んだ。口元から溢れた鮮血。赤い液体がシエラの服を汚す。
「ごめんなさい、司祭様……私、もう長くないの。巫女をできそうもないわ」
「いけません。祭事をしなければ疫病が蔓延し、村が滅んでしまう。弱音を吐かず全うしなさい」
「親父、やめてくれ! これは天命だ、祭事なんてなくていい!」
テオが必死に叫ぶが、司祭は取り合わない。ユキは縋るような目でシエラを見た。
「シエラ、お願い。私の代わりに巫女になって。巫女は健康でないと祈祷の効果が弱いの……私じゃ無理なのよ」
「それはいい考えだ」
司祭が冷酷に頷く。
「確かにユキでは失敗の可能性が高い。シエラ、君が代わりを務めなさい」
「巫女って、何をするの?」
「祈祷だよ。ロープを持って御神体に祈りを捧げるんだ」
テオが、ベッドの中から絞り出すように口を挟む。
「祭事は三日後の、満月の夜……崖の洞窟の奥にある、御神体の前でやってるんだ……」
テオは真っ直ぐにシエラを見つめた。その愁いを帯びた瞳は、まるで「三日以内に逃げろ」と必死に訴えているようだった。
─その夜。
孤児院の布団の中で、シエラは自分の服についた汚れの匂いを嗅いだ。
(……嘘よ。これは血じゃない。ライルやオーウェンが怪我した時と全然違う。おそらく赤い植物をすり潰したものね)
ユキはなぜ、親友であるテオを救うための儀式を、自作自演をしてまで拒んだのか。
(テオのあの目は何? まるで、哀れんでいるみたいだった……。調べなくちゃ。あの崖の洞窟に、何があるのかを)
疑惑は確信へと変わり、シエラは居ても立ってもいられなくなる。
彼女は音を立てぬよう布団を抜け出すと、最低限の灯りだけを手に、夜の静寂へと滑り出した。
シエラは夜闇を縫い、禁じられた崖の洞窟へと辿り着く。
目前の注連縄は長年の呪いを吸ったかのように黒ずみ、垂れ下がった紙垂は湿り気を帯びて腐敗している。
洞窟の奥からは、粘りつくような死臭が熱気となって漂い出していた。
シエラは意を決して、その暗闇の中へと足を踏み入れ、震える手で灯りを掲げ、洞窟の最奥を照らし出す。
そこにいたのは、神などではなかった。
「ひっ……!」
中央に鎮座していたのは、御神体とされる幼いミイラだ。
だが、その周囲を埋め尽くしていたのは、さらなる異様な光景……ロープで拘束され、ミイラのように干からびた歴代の巫女たちの骸が、御神体を取り囲むように転がっている。
何かを吸い尽くされた抜け殻のように、彼女たちはただ無残にそこにいた。
「そこまで見られたなら、もうお別れだ」
背後から現れたのは司祭だった、その瞳には狂信の炎が宿っている。
数年前、司祭を救ったのは二人の有翼人の少女だった。彼はその記憶を過大に美化し、狂人の如く歪曲していたのだ。
「妻が同じ病に倒れた時、私は祈った。しかし奇跡は起きず、ほどなくして妻は亡くなった。その時、私は悟ったのだ。祈り待っていては何も救えない。天使が見せてくれた奇跡を、自ら作り出すのだと!」
この洞窟は、健康な少女を『生贄』として捧げ、その生命力をロープを通じて息子へ濾過・移送するための、おぞましい人間濾過装置だった。
「ユキはおそらく気づいていた。テオが喋ったのだろう。あの子もまた、愚かな息子だ……」
ユキは自分が幼馴染の延命装置として消費される運命を知り、親友への情愛よりも生存を選んだのだ。
「あと三日。満月の夜、君はこのミイラと一つになるのだ」
赤いロープが蛇のようにシエラの足元へ転がる。闇の中で、シエラは本当の『結び巫女』の意味を知り、震え上がった。




