6-2 覇王の論理、剣聖の規律
帝都の心臓部にそびえ立つ軍事宮殿。天を衝く回廊の窓からは、眩い光が差し込んでいた。
「……どうだ。眼下に広がる我が帝国は。君の力を奮うには、これ以上ない舞台だろう」
バルコニーで風に吹かれ、皇帝ガルダスが低く笑った。隣に立つのは、無機質な白磁の仮面を被った女。
「名はなんと言う」
仮面の裏で、彼女は少し思考を巡らせる。
「……私の名は、白虎だ」
「ふむ、白虎か。変わった響きだが悪くない。……どうだ、我が直属の騎士にならぬか。君ほどの剣技があれば、あらゆる特権を約束しよう」
ガルダスの誘いに白虎は沈黙し、その後静かに問いかけた。
「……問わせていただきたい。陛下は、踏みにじってきた民の命を、どう思っておいでか」
宮殿の空気が一気に凍りついた。近衛兵たちが不敬に息を呑む。だが、ガルダスは悠然と、眼下の帝都を見下ろしたまま答えた。
「命か。そんなものは、この巨大な帝都を維持するための『燃料』に過ぎん。薪が燃え尽きれば、また新しいものを足すだけのことだ。わしが求めているのは薪の安寧ではない。燃え上がる火の輝きだ」
白虎は仮面の裏で目を細め、さらに踏み込んだ。
「ならば……もし私が、その炎に焼かれ、この胸に消えぬ恨みを抱いているとしたら?」
近衛兵がざわめく中、白虎は静かに揺るぎない声で続ける。
「刃の届くこの距離に、私を置かれるのですか?」
ガルダスは愉悦に満ちた笑みを浮かべて一歩、白虎へと歩み寄った。
「面白い。わしを殺したいほど憎むならそれも結構だ。だが貴様はわしが作る『秩序』の中で生きるがいい。わしを殺したければ、わしの傍で牙を研ぐのだ。貴様の燃えるような殺気こそ、停滞したこの国に必要な劇薬よ」
ガルダスは白虎のその豪胆な瞳を真正面から受け止めると顔を寄せる。
「わしを討つか、わしの礎となるか。どちらにせよ、貴様の人生にこれ以上の舞台はあるまい?」
一触即発。周囲の近衛兵は腰の剣に手をかけている。次に不敬な発言をした瞬間、一斉に襲いかかってくるだろう。
白虎は静かに目を閉じ、深く膝を突いた。
「……承知した。これほどの大欲を語る王に、私という刃、預けぬ理由はありません。我が力、帝国の礎としましょう」
白虎が臣下の礼を取ると、皇帝ガルダスは満足げに鼻を鳴らした。
「うむ、下がってよいぞ」
ガルダスが背を向けようとしたその時、白虎は仮面の奥の瞳を鋭く光らせ、言葉を重ねた。
「最後に陛下。……私はこの数ヶ月で、陛下の側近を四人斬った。私は、罪人ではないのですか?」
静寂が場を支配する。近衛兵たちの顔に戦慄が走った。だが、ガルダスは振り返ることさえせず、退屈そうに言い放った。
「寝たきりになった時点で、それはもはや側近ではない。アルバスとて同じだ。竜魔法の反動で弱り果てたゆえ、魔塔首席の座を追われた後のこと。……ヴァルトはなおさらだ。奴は回収した『竜の力』を、わしに隠匿していた。あやつこそが真の罪人よ」
ガルダスは白虎を冷徹に見つめた。
「よってお前は無罪だ」
白虎は静かに一礼すると、ガルダスを背に、案内役の衛兵と共にその場を辞した。
去りゆく背中を眺めながら、ガルダスは思う。
(白虎と言ったか。なんと豪気なことよ。あれほどの器でなければ、将来あれらと渡り合うことなどできまい。この城にあるいかなる財宝よりも、あの女には価値がある)
ガルダスは昏い愉悦を瞳に宿し、喉の奥で笑った。
(わしへの殺意など、いくら抱かせておけばよい。……いずれ、殺意に反応して首を落とす『禁忌の刻印』を刻んでしまえば済む話だ)
──一方、同じ宮殿の回廊。
天を衝くような高い天井と、魔導の光に満ちた静謐な空間を、執務室へ向かい歩む男がいた。白銀の甲冑に身を包んだ「剣聖」ベルナルド・エリオット。その歩法には一寸の乱れもない。
道中、廊下で若い侍女が花瓶を割り、恐怖に震えていた。駆け寄る衛兵が怒鳴ろうとした矢先、ベルナルドが白い手袋の手でそれを制した。
「形あるものはいつか壊れる。叱責を恐れるより、まずは己の指先を労わりなさい」
彼は床の破片を自ら拾い上げ、穏やかな微笑を残し執務室へ入っていった。背後には「高潔な御方だ」と感嘆の溜息が漏れる。
執務室に入って間もなく、兵士が血相を変えて飛び込んできた。
「報告します! ベルナルド閣下のご家族が賊にさらわれました!」
ペンを走らせるベルナルドの手が止まる。だが、兵士に向けた声は、先ほど侍女にかけたものと同じく穏やかだった。
「それで、憲兵への通報は済ませたのかい?」
「は、はい! ですが、閣下! 今すぐ現場へ向かわれなくてよいのですか!?」
ベルナルドの瞳には、一滴の動揺も、怒りもなかった。
「今は執務時間だ。私は公僕。個人の私用で職務を放棄することはできない」
兵士が絶句する中、ベルナルドは静かに告る。
「報告は分かった、さあ君も戻りなさい」
ベルナルドは再びペンを執った。
家族が賊に命を弄ばれている最中にあって、その礼法にも、書類を埋める文字の羅列にも、一片の乱れもなかった。




