6-1 潜入、鉄の都
安宿の薄暗い一室。
卓上に置かれた一本の蝋燭が揺らめくたび、二人の影は壁の上で巨大に躍った。
窓の外からは、酔客の怒声や馬車の轍の音が遠く聞こえてくる。この街の夜は眠らないようだ。
「……さて、ライル。ここから先は正真正銘、火中の栗を拾う作業になる。帝都の警備は、これまでとは次元が違うぞ」
ヴァルトが低く掠れた声で言い、卓上に一枚の羊皮紙を広げた。
それは帝都の外郭門から中央軍事拠点へと続く、緻密な見取り図だ。蝋燭の灯りに照らされ、妖しく浮かび上がる図面を、二人は入念にチェックする。
作戦は**「侵入時は隠密、脱出時は陽動」**。
「まず侵入時だが、ライル。貴様は死んだガラムの入国票を使え。俺はガラムに雇われた作業員という名目で同行する。……帝国において、諜報員の身分は『皇帝の免罪符』も同然だ。その身分証さえあれば、入国審査は形骸化しているはずだ」
「……でも、もし顔を見られたら? 危険じゃないか?」
ライルの問いに、ヴァルトは蝋燭の炎を見つめたまま答えた。
「危険を冒さずに、あの化け物の喉元を突けると思うな。恐怖を飼い慣らせ。それが潜入の第一条件だ」
ヴァルトは淡々と、しかし盤上の駒を進めるように言葉を継ぐ。
「潜入後は裏組織『鼠の袋』に接触する。脱出用の爆薬の調達、そしてベルナルドの家族の監禁場所……これらすべて、帝国への不満を抱く連中から金で買い叩く。仕上げに、弱味を握っている下士官を一人脅して、城の地下へ潜入する」
「目的の部屋には、侵入者を弱体化させる防衛術式の制御装置があるんだったな。それを壊すのか?」
「いいや」
ヴァルトの瞳が、暗がりの中で怪しく光った。
「壊せばすぐに露見する。……**術の対象を『宮廷騎士』に書き換える。**上手くいけば、潜入中に見つかったとしても、向こうが勝手に膝を突くことになるはずだ」
──完璧な計略。
ライルは、自分の心臓の音が激しく打つのを感じていた。恐怖はある。だが、それを上回るほどの高揚感が全身の血を熱くさせていた。
「明朝、決行だ。……寝ておけ、ライル。明日からは瞬きする間も惜しくなるぞ」
*
翌朝。正門で入国手続きをしている二人の前に、帝国軍の分隊が立ちふさがった。
「おい、雇われの男! 貴様、いい体格をしているな。今日から三日間、宮殿庭園の改築のために徴用する。拒否権はない、来い!」
ヴァルトが微かに舌打ちする。雇われ作業員という偽装が、皮肉にも「頑健な労働力」を求める兵士たちの目に留まってしまったのだ。ライルがヴァルトに視線で確認する。
(ヴァルト、どうする。一度引くか?)
視線で問うライルに対し、ヴァルトは微かに首を振る。
(いや、これを利用しよう。従者の検問は厳しいが、『兵士が連行する労働者』は、兵士の顔パスで中まで直通だ)
ライルは指示通り、ガラムの身分を偽って正門から帝都へ入る。一方、ヴァルトが「強制労働者」として衛兵に連行されようとした。
その時、ライルが、あえて傲慢な態度で声を張り上げた。
「おい、雇われ!」
その鋭い声に、周囲の兵士たちが一瞬振り返る。ライルはガラムの諜報員証を弄びながら、ヴァルトを冷たく見下ろして言い放った。
「俺は予定通り、一般居住区の馴染みの店に行く。お前はその作業が終わったら、例の屋敷へ行っていろ。……粗相はするなよ」
一見すれば、わがままな役人が雇い人の作業員に私用を命じているだけの光覚。だが、その裏には明確な指令が込められていた。
(鼠の袋との接触は俺がやる。あんたは折を見て、ベルナルドの家族の拉致に向かってくれ。合流地点は、鼠の袋だ)
ヴァルトは一瞬だけ目を細め、すぐに卑屈な笑みに戻した。
「承知した。」
兵士の一人が『へっ、人使いの荒いお役人様だ』と鼻で笑い、ヴァルトの背中を突いて歩き出す。兵士たちにとって、この会話は何の変哲もない日常のノイズに過ぎない。
こうして、二人は衆人環視の中で完璧な『意思の疎通』を完了させた。
ライルは居住区の雑踏へ、ヴァルトは宮廷区の奥深くへ。
別々の入り口から、二人は帝国の心臓部を抉るための歩みを進めた。




