3-6 薬湯と微笑
漂う大気は花々の芳醇な香りを乗せて、周囲を優しく包み込む。
意識が浮上するにつれて、心地よい温かさが全身を撫でる。
ライルはゆっくりと目を開けると、そこは一面の花畑ではなく、湯煙が立ち上る湯船の中だった。
湯船の水面には数々の葉と花が浮かび、心地よい香りが鼻をくすぐる。
あたりを見回すと、そこは巨大な木をくり抜いたような空間だった。
壁一面に木の年輪が刻まれ、まるで木の中に家があるようだ。
「気がついたの?」
優しい声が聞こえ、そちらに目を向けると、エレインが微笑んでいた。
ライルは自分が全裸であることに気づき、慌てて身を沈めると、顔を赤らめた。
「助けてくれたのか、ありがとう…
ただ、少し恥ずかしいので、浴室の外で待っていてくれないか?すぐに出るから。」
「だめよ、あと2時間は浸かってなさい。
それに、あたしも手を怪我しちゃったから、薬湯に浸けておかないと。」
エレインはそう言いながら、自分の右手を見せる。
よく見ると、手の甲に小さな傷跡がある。
爪楊枝で軽く擦ったような、かすり傷にも満たないものだ。
「痕になったらどうしよう…」
かすり傷を気にする様子から、相当美容には気を遣っているようだ。
「あなた、名前を聞いてもいいかしら。」
「ライルだ。ところで、ここは一体どこなんだ?」
ライルは、改めて周囲を見回しながら尋ねた。
「ここはあたしのお家よ。
場所はお城の少し北へ、5分くらい歩いたところ。
あたしはね、住み込みの庭師なの。
このあたりの植物を管理しているわ。
外を見て、どの植物も皆元気でしょ?」
エレインの言葉に促され、ライルは窓から外を見た。
確かに植物は生い茂っているが、手入れがされている様子はなく、雑草が生い茂る林といった印象だ。
「植物を枯らしたことがないの。植物と友達になるのは得意だからね。」
エレインは、少し得意げに笑った。
「…それに、あなた、どうして神木の枝を持っていたの?」
「ああ、それは魔塔の元次席、メルランの部屋にあったんだ。
メルランの手記によると、王国の宝物庫から持ってきたらしい。」
「まあ、王国も勝手なことしてるわね。もう。」
エレインは少し怒ったように呟いた。
「…それで、何で図書館から本を持ち出していたんだ?」
「ホムンクルスを作りたくてね。
最近成功例を聞いたの。あたしも作ろうと思って。」
エレインは、エメラルドグリーンの液体が入った巨大な水槽を指さした。
「…新魔塔主のイリスを知っているのか?」
「ええ、友人だもの。
イリスは、かの5英雄の1人、"竜人イリーナ"本人よ。
元の身体はボロボロになっちゃったから、身体を移したのよ。
皇室は"竜の子"とか言ってるけど…。
それに、まだ新しい身体に馴染んでないみたいだったわね。」
「イリスがイリーナ本人!?
それに5英雄の事を知ってるかのような口ぶりじゃないか。」
「もちろん知ってるわよ。
100年前の英雄譚は、一部の歴史家や研究家の間では有名な話ね。
石化の使い手、白銀の血ラインハルト。
5英雄最強の金剛姫ルナ。
ルナと互角とも言われていた双剣のジーク。
竜魔法使いで予言書を残したと言われる占星術師ゼブル。
そして七色の竜人イリーナ。
誰もが知る英雄よ。」
確かに、5英雄の名前自体は聞いたことがある。
しかし、具体的な活躍や逸話については、現在ほとんど伝えられていない。
(あれ?5人目は人形使いアルフレッドじゃなかったっけ?
それにジークが双剣だと…、確か大剣の使い手で双剣ではなかったような…?
まぁ諸説あるんだな。)
「5英雄が活躍したのは100年前だろ…エレインはいったい何歳なんだ…」
「女性に年齢を聞くものじゃないわ。
まあ、寿命は1000年くらいかしら?」
(1000年…!?ありえない…庭師の仕事も嘘っぽいし…一体?)
「それにしても、どうして俺を助けてくれたんだ?」
「神木の枝が根を張りあなたを守っていたのよ。
それであなたに興味が湧いてね。」
「神木が守ってくれたなんて…一体何故だ……」
「あなたからリアナの生命の匂いを感じるわ、不思議ねまるで一緒に住んでるみたい。」
「リアナ…。確か神木に体を叩きつけて、亡くなったあの女王か?」
「え?生きてるわよ。神木に刺さったあと、奇跡的に神木の生命力で一命をとりとめたわ。」
「……じゃあずっと王国内に在籍していたのか?」
「リアナはね。で、妹はお城から去ったのよ。あれ?姉の方だっけ?
要するにリアナはね、双子なの。」
「双子…!?そんな話、聞いたこともない…
じゃあ、お城を出た方は、今…?」
「さあ、どうかしら。
大聖堂で尼になったって噂も聞いたけど、本当かどうか…」
ライルは、エレインの言葉に深く考え込んだ。
女王が双子だったという事実は、今まで公表されたことがない。
もしそれが本当なら、王国の歴史が大きく変わってしまう可能性がある。
ライルは、この情報が持つ意味の大きさに、強い衝撃と興奮を覚えた。
同時に疑問も湧き上がる。
エレインはなぜこのような秘密を知っている…。
そしてなぜ簡単に話したのか…。
彼女の言葉には、まだ何か隠された意図があるのかもしれない。
「エレイン、君はいったい何者なんだ?」
「あらら、あたしに興味をもっちゃったの?
ふふ、大人の女性は秘密をいくつも隠し持っているものよ。
だけどそうね…その答えはあなたが本当に知りたいと思った時に、教えてあげるわ。」
エレインは人差し指をライルの鼻の頭にのせ、
そう言うと、微笑んだ。




