08 薬草とゲラルド
村長は取り乱しており、なかなか会話にならなかった。
それをアルトが落ち着かせて、何があったのかを話させた。
「倉庫に保管していた薬草が……全て盗まれたのです!」
「薬草が!?」
「はい! 今朝、村の者が確認したところ、倉庫が空になっていました!」
「ひどい……! 誰がそんなことを……!」
思わず口から漏れた。
それほどまでに信じられない話だったのだ。
「我々にとってもまさに青天の霹靂でした! こんな場所で盗みを働く者がいるとは! それも薬草を!」
村長の言う「こんな場所」に私も同感だった。
盗むのは楽でも、それをバレずに持ち出すのは大変極まりない。
悪事を働くのなら、もっと行動しやすい場所を選ぶのが普通だ。
だからこそ犯人はこの村を狙ったのかもしれない。
それでも、何も知らない私ですら違和感を覚えるものがあった。
「その薬草は高価な物なのか?」
「いえ、決して高くはありません! 多くの場所に自生しているものです! ただ、治療の根幹となる最も大事な薬草で、治療院で使われている多くの薬がこれを調合したものになっています。そのため、この薬草がなければ多くの治療が止まってしまいます……」
「それは困ったな」
アルトは目を細め、腕を組み、ため息をついた。
私もその場に立ち尽くし、唖然として動けない。
「それで、その薬草と騎士団がどう関係ある? 犯人の捜索を頼みたいということか?」
アルトが尋ねると、村長は「いえ!」と首を振った。
「今は騎士の方々にその薬草……『エルフォニア草』を採取していただければと思いまして……! この山の山奥や周辺の山々でも採れるのですが、危険な魔物が多く、我々では採取するのが難しいもので……」
村長によると、普段は他所の町から買い付けているらしい。
「そういう事情だったか」
アルトは考え込むように呟く。
「しかし、どうしてエルフォニア草なんか盗むのでしょうか」
私は疑問に思った。
村長の言う通り、エルフォニア草は多くの場所に自生している。
小さな薄紫色の花弁を持つ草で、全く珍しいものではない。
王国にも生えていて、「薬草」ではなく「雑草」と呼ばれていた。
もちろん価値は低いので、売ったところで二束三文にもならない。
「我々にも分かりません。何の恨みがあってこのような嫌がらせをするのか……」
村長は途方に暮れていた。
私が同じ立場でも、きっと同じように嘆いていたはずだ。
「殿下、このままでは救えるはずの命が助けられなくなります! ご無礼を承知でお願いします! どうか騎士団の方にエルフォニア草の採取をお願いできないでしょうか!」
村長が深く頭を下げる。
遠巻きに見ていた村民たちも「お願いします」と頭を下げた。
「そういう事情ならば喜んで協力しよう」
アルトは躊躇することなく承諾した。
「ありがとうございます、殿下!」
アルトは頷くと、振り返って騎士たちに命じた。
「騎士たち、話は聞いていたな? 今からエルフォニア草の採取に取りかかってもらう。四人一組で小隊を組み、周辺の山からエルフォニア草を採取せよ!」
「了解いたしました、殿下!」
騎士たちは敬礼した。
そして、すぐさま小隊を編制して動き始める。
その頼もしい姿に、村人たちは歓喜の声を上げた。
「ところで、殿下はどうされますか?」
そんな時、騎士の一人が尋ねた。
警護を担当している騎士団の隊長だ。
名をゲラルドといい、老練で、アルトが最も信頼している男である。
酒の席ではアルトを呼び捨てにして子供扱いする程の関係だ。
「もちろん俺も採取に出る。この山の山奥にな」
アルトの回答は、ゲラルドにとって予想通りのものだったようだ。
「そう仰ると思っていました。ですが、それは認められません。危険です」
「問題ない。魔物が出ればこの剣で倒してくれよう」
アルトは腰に装備している剣を叩いた。
「それでは私がお供いたします」
「不要だ、ゲラルド。俺の強さはお主が一番知っているだろう。この程度の任務、戦場を駆け抜けることに比べたら容易いものだ」
「ですが、殿下に万が一のことがあれば……」
ゲラルドは引き下がらなかった。
「これは命令だ。ゲラルド、お前も他の騎士を率いて薬草の採取に行くがいい」
アルトも譲らない。
自身の実力に絶対の自信があるのだろう。
(こうなったら……!)
膠着する状況を見て、私は決断した。
「アルトさんには私が同行します!」
私は挙手した。
「ソフィア、お前、何を!?」
「ソフィア様、何を仰いますか!?」
アルトとゲラルドが同時に驚く。
村長たちは「そもそもお前は誰だ」と言いたげな顔をしていた。
「私がアルトさんに同行すれば魔物に襲われる心配はありません。私の魔力があれば魔物は寄り付きませんから。なので護衛は不要です。違いますか? ゲラルドさん」
「たしかにその通りですが……」
ゲラルドは反論できず、もどかしそうな表情を見せた。
しかし、アルトが反対した。
「ソフィア、それは危険だ。魔物の中には魔王属性の魔力を恐れないものもいる。たとえ魔物の心配がなかったとしても過酷で耐えられない。山での薬草採取は大変なんだ」
「大丈夫、スタミナには自信があります! これでもロックウェルでは駆け回っていましたから! 何かあってもアルトさんが守ってくれますよね?」
私はニコッと微笑んだ。
「やれやれ……」
アルトは苦笑いを浮かべる。
「君は本当に強い女性だな。分かった、同行を許そう。ゲラルドもそれでよいな?」
「いたしかたありませんな……」
「ソフィア、くれぐれも足場に気をつけるんだぞ」
「気をつけます!」
こうして、私とアルトは二人で薬草採取に出かけることが決まった。
◇
「ぐっ……! まさかこれほどとは……!」
「だから言っただろう? 過酷だと」
「ぬぬぅ」
山道は想像以上に険しかった。
岩肌の地面は足の裏に痛みをもたらし、勾配がスタミナを奪う。
それでも、私は逃げ出さなかった。
エルフォニア草を引っこ抜いては、背負っている竹の籠に放り込む。
この背負い籠は村長さんに借りたものだ。
「アルトさん、魔物は大丈夫ですかー?」
私はエルフォニア草を採取しながら言った。
二人なので、私が採取を担当し、アルトが周囲を警戒している。
皇太子殿下に警護をさせるとは、我ながらとんでもない女だ。
「ああ、おかげで大丈夫だ。しばしば魔物の姿は見えるものの、君の魔力に気づくと逃げていくよ。さすがは魔王の性質といったところだな」
「ね? 私が同行して正解だったでしょ!」
話しながら、目に付く限りの薬草を籠に放り込んだ。
額や首筋に汗が流れる。
「ふぅ……思ったより大変ですね」
「険しい山道だからな。もう何度も言っているが、足元に気をつけろよ」
「もう何度も言っていますが、分かっています――きゃっ!」
残念ながら、私はアルトの言葉を分かっていなかった。
苔の生えた岩に足を滑らせ、バランスを崩してしまったのだ。
「ソフィア!」
アルトがサッと駆けつけ助けてくれた。
素早く腕を伸ばし、私の手首を掴んで支えたのだ。
「大丈夫か?」
「は、はい! おかげさまで……!」
私は「すみません」と頭をペコリ。
それから冷静になり、急に恥ずかしくなってきた。
アルトとの距離が驚くほど近かったからだ。
彼の吐息が私の顔にかかるほどだった。
「い、今までよりも慎重にな!」
アルトは私を直立させ、慌て気味に手を放した。
どうやら向こうも小っ恥ずかしかったようだ。
それが何だか嬉しくて、私は「はい」とニヤけた。
(すごく危険だったのに……なんだか幸せだったなぁ、今の)
胸が高鳴る。
ほんの些細なやり取りなのに、私の記憶に強く刻み込まれた。
「よし、次のエリアに行こうか。もう少し採れば充分だろう」
「はい、アルトさん」
私たちは再び歩き出した。
泥で汚れた裾を気にしつつ、慎重に足を進める。
「そろそろ籠が重くなってきただろう? 俺が持つよ。女性に荷物を持たせるのは、やはり心が痛む」
「いえ! アルトさんは何かあった際に備えていただかないと!」
「そうは言うが……」
「ここは譲れません!」
通常だと、こういうケースでは男性が籠を背負う。
しかし、相手が皇太子殿下となれば話は別だ。
村長も躊躇なく私に籠を渡してきた。
仮に私が王女だと知っていても対応は変わらなかっただろう。
「すまんな、ソフィア。とにかく無理だけはするなよ」
「はい!」
その後も採取は順調に進み、籠が薬草でいっぱいになった。
「そろそろ戻ろう」
「ですね!」
「戻る時くらいは俺が籠を……」
「ダメです!」
二人で笑いながら来た道を引き返す。
その時だった。
「待ちな」
死角からぞろぞろと人が出てきた。
数十人の男たちだ。
毛皮や革鎧で身を包み、曲刀や短剣を握っている。
その佇まいは山賊以外の何物でもなかった。
「その身なり……あんたが皇太子だな? 護衛の騎士を連れていないとは好都合だ。恨みはないがここで死んでもらうぜ」
リーダー格らしき男がニヤリと笑う。
他の山賊たちも武器を構えて包囲しようとしている。
「なるほど、狙いは俺だったか」
アルトは私を庇うように前に立ち、山賊たちを睨みつけた。
「え?」
私が聞き返すと、アルトは言った。
「我々が訪れる日に限って、村の倉庫から薬草が消えた。で、この手際のいい待ち伏せだ。最初から俺を狙っていたのだろう」
「ご名答」
山賊は黄ばんだ歯を見せて笑った。
「下がっていろ、ソフィア」
アルトは剣のグリップを握り、鋭い目で山賊たちを睨みながら言う。
抜刀はしていないが、いつでも抜ける状態に入っていた。
「でも……!」
「案ずるな。この程度の奴等など何ら問題ない。それに、俺は約束を守る男だ。何があっても君を守り抜いてみせる」
アルトの言葉には確かな自信が感じられる。
それでも、私は不安で仕方なかった。
相手の数があまりにも多すぎる。
「問題ないだと? 舐めやがって! お前ら、皇太子を殺せ!」
山賊たちが一斉に襲い掛かってきた。
「多勢に無勢とはこのことだ! 悪く思うなよ皇太子様! 死にさらせ!」
山賊たちが武器を振り上げる。
「アルトさん!」
私は反射的に目を瞑ってしまう。
怖くて直視できず、真珠のネックレスを両手で握るしかなかった。
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