07 ハルメネ村
それから数日が経った。
港町レーヴァンでの儀式は無事に終わり、私たちは再び馬車での旅路へと戻ることになった。
朝、宿屋の前には、町長や多くの町民が集まっていた。
その表情は、訪れて間もない頃に比べて穏やかだ。
アルトの優しい人柄が皆に伝わっていた。
「殿下、この数日間、我々の町にご滞在いただきましたが、不自由はございませんでしたでしょうか?」
町長が緊張した面持ちで近づく。
対するアルトは笑顔で首を振った。
「不自由どころか、実に快適だった。宿も食事も、そして町民たちも、全てが素晴らしかったよ」
「それは何よりでございます! 儀式の力で魔物が寄り付きにくくなると伺い、我々は希望に溢れております! ありがとうございます、殿下!」
「お礼ならソフィアに言うといい。儀式の件は彼女の魔力があってこそのものだからな」
アルトが言うと、町長は慌てて私に頭を下げてきた。
「ソ、ソフィア様、この度は誠にありがとうございました! おかげで我が町はこれからも繁栄していけます! 早くも魔物の被害が減っており、本当に助かっております!」
「いえ、私は町を堪能していただけなので……。でも、そう言っていただけて私も何よりです。こちらこそ、快適な時間をありがとうございました」
私が微笑んで答えると、町長は感激したように頬を紅潮させる。
「ソフィア様、いつでもこの町に来てくれよ!」
「あんたになら最高のマグロだって無料でプレゼントすっからよ!」
漁師の方々も嬉しい言葉をかけてくれる。
アルトや私たちを見送るため、彼らは漁を休んでいた。
「ところで殿下、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか……?」
町長は恐縮した様子で、揉み手をしながら尋ねた。
「なんだ?」
「先の戦争でルミナール王国の王女様が人質として我が国に来ているらしいのですが、もしかして、その、ソフィア様がその王女様ではないかと、町民たちの間で噂になっていまして……」
町長は言葉を選ぶようにしている。
疑問形ではあるものの、殆ど確信している様子だった。
もちろん、アルトや騎士たちは私のことを話していない。
私にしても同様に、自らの素性については答えないようにしていた。
アルトに「中途半端に話すくらいなら黙っていたほうがいい」と言われたからだ。
その言い分には理解できた。
帝国民の中には、今でもルミナール王国を嫌う者がたくさんいるのだ。
もちろん、数日も過ごしていると「お前は何者だ?」と質問を受ける。
そんな時は「魔王属性の魔力を持つ稀有な一般人」という旨の回答をしていた。
それでも、気づかれてしまうものだ。
この町には他所から来る人も多いから尚更だろう。
「確かにソフィアはルミナール王国の王女だ」
アルトが答えた。
町民たちは「やっぱり」と納得しつつ、驚いている様子だった。
「だが、彼女はもう人質ではない。我が帝国の最重要人物だ。従属国の国王はおろか、公爵よりも、同盟国の君主よりも大事な存在だ」
アルトは力強い口調で断言した。
「さい、最重要人物……! そ、それは……!」
「魔王属性の魔力を持っており、率先して帝国の安寧に協力してくれている。町長も先ほど言っていたが、ソフィアにかかればあっという間に魔物の被害が減る。これほどの人物であれば、最重要と表現しても何ら差し支えないだろう?」
「たしかに……!」
町民たちは例外なく納得していた。
私の素性を知らずに王国を悪く言っていた漁師も含まれている。
「あんたがルミナール王国の王女だとしても、俺たちの評価は何も変わらねぇ!」
「そうです、ソフィア様! 絶対にまた来て下さい!」
「今度は一緒に太刀魚を獲りに行こうぜ! ソフィアちゃん!」
町民たちが改めて温かい言葉を投げかけてくれる。
それが嬉しくて、私は目を潤ませた。
「ありがとうございます、皆さん……! また必ず来ますね!」
「それではソフィア、俺たちは行くとしよう」
「はい! アルトさん!」
私たちは馬車に乗り込んだ。
騎士の一人が扉を閉める。
「アルト殿下、ソフィア様、行ってらっしゃいませ!」
町長が深々と頭を下げる。
町民たちが「お元気でー!」と手を振る。
私とアルトも窓越しに手を振り替えした。
「殿下、出発します!」
騎士が合図を出し、馬車がゆっくりと動き始めた。
◇
馬車が走り出してしばらく経つと、アルトが言った。
「次の目的地までは時間がかかる。ソフィア、退屈なら寝てもいいんだぞ」
「うーん……」
私は苦い顔をする。
以前、馬車でうたた寝したことを思い出したのだ。
アルトによると、その時は口を開けて寝ていたらしい。
さらに付け加えるなら、口の端からよだれを垂れていたそうだ。
ちなみに、騎士から聞いた話だと続きがある。
私を起こす前に、アルトは私の口周りを綺麗に拭いてくれたのだ。
それを知った時は心臓が爆発するかと思った。
「安心しろ。また口を開けて寝ようものなら、俺が顎を押さえて閉じてやる」
アルトがからかうように笑った。
「ぜ、絶対開きません! 二度とそんな失態は犯しませんから!」
「はは、冗談だ。なんにしろ休める間に休んでおくといい。起こしはしないから」
「むしろ起こしてください!」
「それは断る。俺も寝ているだろうからな。それにソフィアの寝顔は貴重だから見ておきたい」
「恥ずかしいからダメです!」
私がふくれっ面になると、アルトは満足げに笑った。
その和やかな雰囲気にほだされるように、馬車の揺れが心地よく感じられた。
気が緩んだからなのか、何だかうとうとと眠気がやってきた。
「でも、やっぱり、少し寝ようかな……」
試しに目を閉じてみる。
「おやすみ、ソフィア」
アルトが小さな声で囁いた。
その声が妙に気持ち良くて、私は眠りに落ちていった。
◇
どれくらい寝ていたのだろう。
外から歓声が聞こえてきて、私ははっと目を開けた。
馬車が止まっているようだ。
アルトは書類を読みながら窓の外を一瞥している。
「ソフィア、起きたか」
「はい、到着したのですか?」
「いや、ここは別の町だ。魔物と無縁の平和な場所だから、報告書を確認したらすぐに発つ。だから、ソフィアは降りなくていいぞ」
「分かりました」
魔物と無縁の平和な町――。
当たり前なのに、そういう町が存在していることを私は知らなかった。
アルトによると、魔物に困っていない町のほうが多いそうだ。
帝国には魔物の駆除を専門とする職業が確立されており、その影響だという。
王国に比べて内政面でも発展していると思った。
「それでは、少し待っていてくれ」
アルトは自身の側にある扉を開けて馬車から降りた。
私は言われたとおりに馬車の中からその様子を眺める。
(やっぱり素敵だなぁ、アルトさん)
町長らしき人物と話すアルトの後ろ姿を見ながら思う。
そんな私に対して、町の子供たちが手を振ってきた。
私も応じて笑顔で手を振り返す。
(あ、今、私の話をしている!)
町長が私のほうを見て何やら言っている。
アルトが振り返り、私に手を向けながら答えた。
二人が何を話しているのかは分からない。
それでも、私のことを説明しているのは明らかだった。
「待たせたな、ソフィア」
アルトが馬車に戻ってきた。
「いえ、お疲れ様です、アルトさん」
馬車が再び動き出し、町が離れていく。
「さて、目的地まで寝るか」
アルトは腕を組み、目を瞑る。
「では私も……」
同じように腕を組んでみたが、慣れないのですぐにやめた。
「果たして目的地に着くまで寝ていられるかな?」
アルトが目を瞑ったままニヤリと笑う。
「え? どういうことですか?」
「寝てみれば分かるさ。もっとも、眠れればの話だがな」
「むむっ! なら寝てやりますとも!」
私は目をギューッと閉じて眠りについた。
この時は、まだ、アルトの言葉を理解できていなかった。
◇
「ソフィア、そろそろ着くぞ、起きろ」
「起きていますよ! どう見ても私の目は開いていますよね!?」
「はははっ」
目的地が迫る中、私はしっかりばっちり起きていた。
否、寝たくても眠れなかったのだ。
次の目的地であるハルメネ村は、標高の高い場所にあった。
したがって、デコボコの山道を進むことになったのだ。
その振動たるや凄まじく、とても眠れるものではなかった。
「話しているとうっかり舌を噛みそうになりますね」
「だから口を開けて寝ないようにしろよ」
「口は開けませんし、寝もしませんから!」
馬車の窓からは、険しい山肌が見える。
ひんやりとした風が流れ込み、普段とは違う清涼感があった。
「帝国では治安維持のために複数の村を統合して町にしてきたが、ハルメネ村はその対象にならなかった数少ない村だ。小さな集落ではあるが、有名な治療院があり、周囲の山々には薬草や珍しい花が自生している。そのため、他では治療が困難な病人が集まる療養地になっているんだ」
アルトが村の説明をしてくれる。
今この時も車内の揺れが激しいのに、全く気にしていない様子だ。
「治療院……興味があります。王国では回復魔法が治療の基本になっていましたが、魔法で治せるのは外傷だけです。そのため、それ以外の医療に関しては帝国に比べて大きく劣っていると聞いたことがあります」
「正しい解釈だ。帝国は他国に比べて魔法に対する依存度が低い分、その他の技術では大きくリードしている。医療にしたってそうだ。その中でもハルメネ村の医療は最先端を行っている。帝国としては、この村に絶対的な安寧をもたらしたい」
馬車が停まり、騎士が扉を開けた。
「殿下、ソフィア様、お降りください」
私とアルトは馬車から降り立った。
ひんやりとした空気と、緑の香りが鼻をくすぐる。
大自然に囲まれた土地であることが分かる。
「これがハルメネ村……!」
石造りの小さな家々が点在し、花壇や畑が丁寧に手入れされている。
そして、小さな村からは想像もつかない大きな治療院がドンッとあった。
(レーヴァンやさっきの町と違って……)
今回は誰のお出迎えもなかった。
村民たちは遠巻きにペコリと頭を下げるだけだ。
治療院の扉は開いたままで、中では忙しそうに人々が駆け回っている。
相手が皇太子殿下だろうと、医療の手を止めることはできないのだろう。
「まずは村長に挨拶して報告書を確認しよう」
アルトが言った。
村の対応について、特に苛立っている様子はない。
普通の貴族であれば、間違いなく怒鳴っている状況なのに。
「殿下、よくぞお越しくださいました!」
アルトが前に出ようとした瞬間、村長らしき老人が駆け寄ってきた。
何やら必死の形相なのは、お出迎えができなかったからだろうか。
「そなたが村長か?」
「さようでございます!」
「では、さっそく報告書を……」
「申し訳ございません、殿下! 報告書はご用意しておりますが、その前に、火急のお願いがございます!」
「火急のお願い? なんだ?」
アルトの眉間に皺が寄る。
私や魔術師、騎士たちも身構えた。
「どうか騎士団のお力をお貸しください!」
「騎士団の力を……? 一体どうしたというんだ?」
村長は顔面蒼白で、どう見ても切羽詰まっている。
何かとんでもない緊急事態が起きているのは明らかだった。
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