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06 儀式の場にて

 翌朝、私は宿屋の二階にある小さな部屋で目を覚ました。

 窓から差し込む朝の光は、昨日の夕暮れとはまた違った美しさだ。

 港の近くなので強烈な潮の香りが漂っており、ここが港町だと再認識した。


 私はゆっくりと起き上がり、姿見の前に立つ。

 それによって、ネックレスを着けたまま寝ていたことに気づいた。


 アルト殿下から貰った真珠のネックレスだ。

 寝る直前まで外さないと思っていたところ、そのまま寝落ちしてしまった。


「何度見ても綺麗……!」


 もちろんネックレスのことだ。

 自分の顔にうっとりするほど自惚れてはいない。

 美しい真珠の輝きが、髪や肌の色と絶妙な調和を見せていた。


「ぐふふ」


 思わずニヤけてしまう。

 このネックレスをプレゼントしてもらったことを思い出していた。

 今でも夢のような気分だ。


(昨日は本当に幸せだったなぁ)


 あのあと、アルト殿下や騎士、魔術師たちと宿屋の食堂で夕食を取った。


 食べたのは港町が誇る魚料理の数々だ。

 香草とレモンで味付けされた白身魚のグリル、海老や貝類を煮込んだ濃厚なスープ、香ばしく焼かれた小魚を酢で締めた前菜など。

 どの料理も最高に美味しかった。


「ソフィア、君も無礼講なんだから遠慮するな!」


 食事の場におけるアルト殿下は全くの別人だった。

 騎士たちとは軽口を叩いて笑い合い、魔術師とはワインを片手に色々と語っていた。


 皇太子が騎士や魔術師、それに私と食事を共にするのも異例のことだ。

 しかし、アルト殿下は「皆で食べたほうが旨い」と言い、そのようにした。


 そのおかげで、私は騎士や魔術師の方々とも打ち解けられた。

 町を出た時は幾ばくかの不安もあったが、今では楽しくて仕方がない。


(人質として差し出されてよかった!)


 心からそう思った。


 ◇


 朝食はアルト殿下と二人きりだった。

 騎士たちは既に食べ終えてお仕事モードに入っている。

 魔術師は儀式に出ており、姿が見えなかった。


 私たちは一つのテーブルに向き合う形で座った。

 昨晩の夕食を経たおかげで、昨日までのような緊張感はない。

 とてもリラックスできていた。


「昨日はよく眠れたかい?」


 アルト殿下はサンドイッチを口に含む。

 それに合わせて私も自分のサンドイッチを食べた。

 唸るほどではないが、無難に美味しいシンプルなBLTサンドだ。

 濃い目のブラックコーヒーがよく合う。


「はい! それはもう、とてもぐっすり……! アルト殿下もよくお休みになれましたか?」


「まあ、俺も疲れが取れたな。昨日の君のように馬車の中で口を開けて眠ることにはならないだろう」


「そ、それは……昨日はちょっと疲れていたというか……」


「冗談だよ」


 私は「うぅぅ」と俯いた。

 そんな様子を見て、アルト殿下が「ははは」と笑う。


「それより何かやりたいことはあるか?」


「やりたいことですか?」


「この町を案内しようと思ったのだが、俺が紹介できるのは市場くらいしか残っていなくてな。だから、他に何かしたいことがあれば言ってくれ。儀式が終わるまでは俺も暇を持て余しているのでな」


「なるほど……」


 私はしばらく考えた。

 その結果、現在進行形で行われているであろう儀式が気になった。

 魔力を土地に根付かせる儀式など、王国では聞いたことがない。

 私の魔力が人々の助けになるなら、その過程を見ておきたいと思った。


「もし可能でしたら、儀式の様子を見せていただきたいです」


 思い切って口にすると、殿下は嬉しそうに微笑んだ。


「もちろん! 帝国の技術に興味を持ってもらえて嬉しいよ! さっそく行こう!」


「ありがとうございます!」


 食事を終え、私たちは席を立った。


 ◇


 町外れの広場へ向かう途中――。

 住宅街の狭い路地を抜けると、小さな男の子が駆け寄ってきた。

 日焼けした頬に無邪気な笑み、まだ幼さを残す瞳が印象的な子供だ。


「ねえ、偉いお兄さん!」


 男の子はアルト殿下に話しかけた。

 大人が同じセリフを言ったら首が飛ぶだろう。


「ん? なんだい?」


 アルト殿下は屈み、目線を子供に合わせた。

 そういうちょっとしたところに優しさが滲み出ている。


「そのお姉さん、誰?」


 男の子は私を指した。

 おそらく町民たちの会話を聞いて気になったのだろう。


 アルト殿下は、町民たちに私のことを説明していない。

 そのため、今でも「あの女は誰だ」と噂になっていた。

 町長も気になる様子だが、恐縮して質問してはいなかった。


「えっと、私は……そのぉ……」


 私が戸惑っていると、アルト殿下はニッと笑った。


「彼女か? 彼女は俺にとって大事な人だ」


「え……!」


 あまりに唐突な表現で、私は目を丸くする。

 男の子は「へぇー、大事な人なんだ」と興味津々だ。


「大事な人って、恋人ってこと? そうだよね?」


 無邪気にとんでもない質問をする男の子。


(この子、なんてことを……!)


 私は愕然とするあまり何も言えなかった。

 そんな私の顔を、アルト殿下は面白がるように見ている。


「どうだろうな。ソフィア、君は俺の恋人なのか?」


「え、いや、いやいやいやいや! そんな、恋人だなんて、違います!」


「違うのか? 俺は恋人だと思っていたが、勝手な片思いだったようだ。とても残念だよ……」


 ニヤニヤと笑うアルト殿下。

 明らかに私をからかっている。

 それが分かっていても、私は慌てふためくことしかできなかった。


「えっと、えと、いや、その、えっと、あの、えーっと!」


 私は頭が真っ白になり、顔は真っ赤に染まった。


「なんだよ、ラブラブじゃん!」


 男の子が手を叩いてはしゃぐ。

 アルト殿下は変わらずニヤニヤしていて、私は爆発しそうになっていた。


「こらっ! 失礼なことを言わないの!」


 そこに女性が走り寄ってきた。

 見たところ男の子の母親みたいだ。


「殿下、大変申し訳ございません! ウチの子がとんだご無礼を! 何卒、何卒ご容赦ください!」


 母親は男の子の前に立ち、アルト殿下に対して大慌てで謝った。

 その顔は真っ青に染まっていた。

 おそらく生きた心地がしていないだろう。


「いや、気にしないでいい。子供は生意気なくらいがちょうどいいんだ。むしろ子供の元気を分けてもらえたようで嬉しかったよ。ソフィアもそう思うだろ?」


 アルト殿下は柔らかな口調で応じ、私に振ってきた。


「はい! そうです!」


 私は笑顔で頷いた。

 アルト殿下の懐の広さを目の当たりにすると緊張も和らいだ。


「ありがとうございます、殿下! ほら、行くよ!」


 母親は何度も謝ったあと、子供の手を引いて去っていった。


「しかし、俺が何も言わないものだから、町民たちは君のことが気になって仕方ないようだな」


「ですね。恋人だなんて、とんでもない……!」


「あながち悪くないと思うけどな」


 アルト殿下が真顔で言った。


「え?」


「俺は皇太子で、君は王女だ。仮に恋人だったとしても何らおかしくない」


「いやいや、ルミナール王国はエリュシオン帝国の従属国ですよ。従属国の王女、それも人質として差し出された人間が恋人だなんて……」


「俺が言っても嫌味になるだけだが、身分なんてどうでもいいんだけどな」


 アルト殿下は、どこか寂しそうな表情で呟き、移動を再開した。

 その隣を歩きながら、私はとんでもない妄想をしてみた。


(もし本当に恋人だったら……)


 恋愛経験がないので、具体的なイメージが全く浮かばない。

 それでも、いや、だからこそ、妄想がおかしな方向に加速していく。


「どうした、ソフィア。顔が真っ青だぞ?」


「え、いや、何でもございません、ちょっと妄想をしていまして……!」


 私は大慌てで顔を振って妄想を掻き消した。


「ほう、妄想か。顔が真っ青になる妄想ってどんな内容なんだ? 教えてくれよ」


「言えません! 絶対に言えません!」


「えー」


 妄想の中の私は、処刑台に送られていた。

 アルト殿下だけでなく皇帝陛下にまで不敬の限りを尽くしたからだ。


(そういえば……)


 妄想の内容を振り返って気づいた。

 そこに王家の人間が誰一人として登場しないことに。


(お父様やお姉様、お兄様の世界に私が不要であるように、私の世界にもあの人たちは不要なんだ)


 そう結論づけた。


 ◇


 町外れの広場にやってきた。

 地面には魔術師の描いた大きな魔方陣が広がっている。

 複雑な幾何学模様で、儀式が極めて高度であることを物語っていた。


 魔方陣は淡い光を帯びている。

 まるで心臓が鼓動するかのように、微妙な明滅を繰り返していた。

 その中央で、魔術師が呪文を詠唱している。


「あれが土地に魔力を留める儀式……すごいですね」


 私は魔術師に注目した。

 昨日はワインを片手に笑っていたが、今は真剣な表情だ。

 呪文の詠唱による負担が強いようで、首筋に大量の汗が流れている。

 魔方陣の周囲に立つ騎士たちの顔にも緊張の色が窺えた。


「ソフィア、君の魔力がこの土地に定着すれば、この町は今よりも良くなる。君のおかげで魔物の被害がぐっと減るんだ。改めて感謝するよ」


 私の隣に立っているアルト殿下が、魔術師を見ながら言った。

 その声に反応したかのように風が吹き、私たちの体を優しく撫でる


「私こそ、こんな形でお役に立てるなんて夢にも思いませんでした。ありがとうございます、アルト殿下」


 アルト殿下は周囲を確認したあと、ニコリと笑った。


「ソフィア、そろそろ『殿下』と呼ぶのはやめてくれ。君にとっては協力であって公務ではないのだから、そうかしこまる必要はない」


「ですが……それだと、どうお呼びすれば……? アルト様……とか?」


「様はもっと嫌だな。昨日の夕飯をともにして分かっただろ? 騎士たちも普段は俺のことを殿下とは呼ばない」


 たしかに、大半が「アルトさん」などと呼んでいた。

 高齢の騎士にいたっては「アルト」と呼び捨てにするほどだった。


「じゃ、じゃあ、アルト……さん、で」


 変な言い方になってしまったが、アルト殿下は笑って頷いた。


「君には本当に感謝しているよ、ソフィア」


「私の魔力がお役に立てて何よりです!」


「魔力だけじゃないさ」


「え?」


「こうして一緒に過ごせることが、俺はとても楽しいんだ。立場上、表情には出しにくいのだが、君のおかげで楽しめている」


「本当ですか?」


「本当だよ。次代の皇帝としては君の魔力に感謝しているが、一人の男としては君の存在そのものに感謝している。君にとって俺がどういう人間に映っているかは分からないが、俺にとって君は魔王属性の魔力を抜きにしても大切な存在だ」


「アルトさん……!」


 アルト殿下、いや、アルト(・・・)の言葉が、私の胸に突き刺さった。

 彼の言葉には偽りがなく、心からのものだと分かるからだ。

 だからこそ嬉しく、だからこそ幸せだった。


「い、言っておくが、今のは告白ではないからな!」


 うっとりしていると、アルトが何やら言い出した。

 初めて見る慌てた様子に、私は思わず声に出して笑ってしまう。


「分かっていますよ、アルトさん!」


「そ、それならよかった! プロポーズと誤解されては困るからな……!」


「ふふっ」


 私は心の中で、「こちらこそありがとう」とアルトに感謝した。

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