22 仮面特区
「アルトさんだけ入れないなんて、どういうことですか?」
私が声を上げると、衛兵は申し訳なさそうに頭を下げた。
天下の皇太子殿下が門前払いを食らうとは夢にも思わなかった。
「殿下の軍服は、見る人が見れば地位の高い御方であると分かってしまいます。仮面特区では、地位を忘れてお楽しみいただくことを目的としております。そのため、殿下の格好は規則違反に該当してしまいます」
衛兵はそう言って、アルトの軍服に視線を落とす。
納得のいく説明だった。
たしかにアルトの服は、素人目にも地位の高さを感じさせる。
金糸の紋章、袖口の飾り、生地の質感……どれを取っても高貴さが漂う。
一目瞭然だ。
「つまり……仮面で素顔を隠す以上、服装でも身分を隠さなければならない。そういうことか?」
アルトが静かに問いかけると、衛兵は力強く頷いた。
「その通りでございます。説明が遅れてしまい申し訳ございません」
「かまわない。むしろ俺の配慮が至らなかった。では、服を着替えれば入れるということだな?」
「もちろんでございます!」
衛兵は激しく頷いた。
アルトが怒らなかったことに安堵している。
「例えば黒のタキシードなどはいかがでしょうか。仮面特区では人気の衣装となっており、周囲の店で貸し出しも行われております」
「黒のタキシードか。分かった、そうしよう。 ――ソフィア、悪いが、ひとまず着替えに付き合ってくれるか?」
「はい!」
衛兵が丁寧に頭を下げ、私たちは門を離れた。
◇
門から少し歩いたところに、様々な衣装を扱うお店が何軒も並んでいた。
フォーマルな衣装が多く、衛兵の言う通りレンタル店が散見される。
もちろんレンタルではなく販売している店もあった。
「たくさん服屋さんが並んでいますね」
「仮面と合わせて購入してもらおうって魂胆なのだろうな」
「あ、それはあり得ますね! 賢い!」
両サイドに立ち並ぶ店を見ながら歩く。
ほどなくして、アルトは一軒の店に目を留めた。
店先には黒一色のタキシードが何着も飾られている。
それぞれ微妙にデザインが違っているが、総じて品がいい。
「俺はここで適当な服を見繕うよ」
「私も同行します!」
この言葉に対し、アルトが「いや」と首を振った。
「ソフィア、君も着替えたらどうだ?」
「私もですか?」
「せっかく仮面特区に入るんだ。普段の格好より特別な格好をしたいだろ?」
「たしかに!」
「俺に合わせてもらう形で申し訳ないがドレスなんかはどうだ? 貴族が着るような物ではなくて、カジュアルなパーティードレスだ」
「いいですね、それ!」
グランフェルにいた時、そういう服装の女性を多く見かけた。
聞いた話によると、都市部の若い女性の間で流行っている格好らしい。
そして、私のような格好――ブラウスにベスト、スカートの組み合わせ――は「田舎くさい」そうだ。
「じゃあ、私も自分の服を買ってきます!」
「では、この店の前で集合だ。今度は待たせるなよ?」
「き、気をつけます!」
私は女性向けの服屋に飛び込んだ。
◇
ひとえにカジュアルドレスと言っても様々な種類がある。
可愛らしいシフォンドレスから、クラシックなハイネックドレスまで。
そして、それらの中にも細部には違いがあった。
最終的に、私が選んだのは深紅のカクテルドレスだった。
肩周りがほどよく開き、裾は短めで動きやすい。
腰には小さなリボンが飾られ、胸元にさりげなく花の刺繍が施されている。
素材の光沢が美しく上品に見えるのが決め手だった。
試着室で着てみた時は、派手すぎるのではないかと思った。
しかし、「仮面特区に入るのだから!」と割り切ることにした。
支払いを済ませて着替えると、私はアルトと合流した。
「おお! すごく似合うじゃないか! 素敵だぞ、ソフィア!」
アルトは私を見るなり声を弾ませた。
よほど似合っていたようで、彼の声はいつになく大きかった。
私は恥ずかしくなって顔を紅潮させてしまう。
「アルトさん、まだ特区の外ですよ……」
「おっと、失礼。あまりにも魅力的だったから、つい」
「それは嬉しいですが……。アルトさんも似合っていますよ!」
「ありがとう。褒められると照れるな」
「大声で褒められたら恥ずかしさも抱きますよ。試してみますか?」
ニヤニヤする私に対して、アルトは「やめてくれ」と苦笑した。
◇
再び仮面特区の門に戻った私たち。
仮面を装着して、衛兵たちに問題がないかを確認する。
着替え終わっているので、今度は通過の許可が下りた。
「わぁ!」
「すごいな……!」
仮面特区に一歩足を踏み入れた瞬間、私たちは圧倒された。
尋常ではない活気で満ちているのだ。
活気といっても、グランフェルのようなものとは違っていた。
一言で表すなら「異様」や「非現実」という言葉に該当するものだ。
仮面を着けた人々が、身分を隠して本能を解放している。
普段の生活では抑えている感情が、ここでは全て爆発していた。
「こんな雰囲気、初めてです」
「俺もだ……!」
例えば、向こうのベンチにいるカップル。
人目を憚らずに抱き合い、情熱的なキスを交わしている。
視線をスライドさせると、手当たり次第にナンパする男がいた。
その動きは仰々しくて、まるで演劇でもしているかのようだ。
他にも、大通りの真ん中では多くの人たちがタンゴを踊っていた。
近くで行われている演奏に合わせて、官能的とすら思える動きを見せている。
体を密着させて情熱的に舞う姿は、見る者を引き込む魅力があった。
「これが仮面都市マスカレア……!」
「こんな世界が我が帝国にあったとはな……!」
しばらくの間、私たちは圧倒されて動けなかった。
ただ、そういう反応をしているのは私たちだけではなかった。
初めて来たであろう人たちは同じように圧倒されていた。
「よし、俺たちも楽しもう!」
意を決したようにアルトが言った。
そして、彼は何食わぬ顔で手を繋いできた。
「……ダメか?」
「え? いえ、いいですよ? 馬車でも繋いでいたじゃないですか」
私がニヤニヤしながら返すと、アルトの肩がビクリと動いた。
「ソフィア、気づいていたのか!? 何故……!」
「実はアルトさんが手を繋ぎ直した時、私は寝たふりをしていたのです!」
「くっ……! 油断した……!」
「ですから、ほら! お気になさらず!」
私はアルトの手をぎゅっと握った。
「あ、ああ! 分かった、ありがとう……!」
アルトも私の手を握り返してくる。
彼の手のひらから伝わる体温が心地よい。
(まずい! 思ったよりも心臓がバクバク鳴っているよ!)
冗談めかしていた私だが、実はかなりドキドキしていた。
恥ずかしくて、思わず空いている手で真珠のネックレスを掴んでしまう。
アルトから初めて貰ったプレゼントであり、私の宝物だ。
「それじゃあ、見て回ろうか」
「はい!」
私たちは歩き出した。
露店やカフェなど、様々なお店を見て回る。
当然のことながら、お店の人も仮面を着けていた。
「そこの素敵なお姉さん、俺と情熱的なタンゴを踊らないかい?」
歩いていると、知らない男が声を掛けてきた。
隣にアルトがいてもおかまいなしだ。
男にとって日常的に我慢していることがナンパなのだろう。
「えっと、あの……」
このような経験がない私は答えに窮する。
すると、アルトが言った。
「わるいなお兄さん、彼女は俺の恋人なんだ。他を当たってもらえるかい?」
アルトの口調は優しいものだった。
不機嫌な様子は一切なく、むしろ楽しんでいるようだ。
「おっと、これは失礼!」
男は食い下がることなく、大袈裟に頭を下げると去っていく。
そして、すぐ近くにいた別の女性にも同じように声を掛けていた。
またしても男性とペアの相手だ。
「なめてんじゃねぇぞ、おらぁ!」
残念ながら、相方の男性はアルトと違って優しくなかった。
怒りの右ストレートがナンパ男を吹き飛ばした。
すぐさま衛兵が止めに入る。
ここではよくあることのようで、衛兵は呆れ顔をしていた。
「羽目を外すのもほどほどにしないとダメってことみたいだな」
殴られた男を見て、アルトが笑った。
「ですね」
私は頷いたあと、アルトに言った。
「さっきの、すごく嬉しかったです」
「ん? 何のことだ?」
「ナンパされた私を守ってくれたことですよ」
「守ったか? 俺はただ彼の演技に応えてあげただけだが」
「それでも守ってくれたことに変わりありませんよ。それに……」
「それに?」
「……いえ! なんでもありません!」
私は恥ずかしさから耳が熱くなるのを感じた。
(それに、「彼女は俺の恋人なんだ」って言ってもらえたことが幸せだった!)
言えなかった続きのセリフを心の中で言う。
実際のところ、アルトと私は恋人という関係ではない。
アルトもその場の空気に合わせて「恋人」と言っただけだ。
しかし、それでも嬉しかった。
(アルトさんが恋人だったら……)
そんなことを思うとニヤけてしまう。
だが、すぐに悲しい気持ちが込み上げてきた。
絶対にあり得ないからだ。
アルトは帝国の皇太子であり、私は従属国の王女である。
最近は忘れつつあるが、その関係自体は変わりない。
この旅が終わったら、アルトとの関係も終わってしまう。
それが現実であり、私とアルトが結ばれる未来は起きえなかった。
「おい、ソフィア、聞いているか?」
アルトの声で我に返った。
「へっ? す、すみません、聞いていませんでした! もう一度言っていただけますか?」
「お腹が空いてきたと言ったのだ。今日は朝から何も食べてないからな。君はどうだ?」
「たしかに、私もお腹が減ってきました」
「それなら何か食べよう。あの露店なんかどうだ? 果実の焼きタルトを売っているみたいだぞ」
アルトが指差す先には、色鮮やかな果物をのせたタルトが並んでいた。
リンゴやベリーなど、季節のフルーツをたっぷり使っている。
甘酸っぱい香りがここにまで漂ってきそうだ。
「美味しそう……! 食べたいです!」
「では、あの店に決まりだな」
二人でタルトを売る露店へ足を運ぶ。
手を繋いでいるからか、いつにも増して気分が躍っていた。
すごく楽しい。
「いらっしゃいませ。季節のフルーツタルトはいかがでしょう。今の季節はベリーが美味しいですよ」
店主も仮面を着けていて、目元だけがちらりと見える。
アルトは体を前に傾け、売られているタルトに目を向けた。
「これはリンゴだな。そっちがベリーか。それも美味しそうだ」
「見ての通りの美味しさですよ」
店主がニッコリと微笑む。
「では買うとしよう。いくらだ?」
「どのタルトも価格は一律で500ラナとなっています」
店主がさらりと答える。
(高ッ!)
声には出さなかったが、それが私の感想だった。
グランフェルでも同様のタルトを見かけたが、価格は350ラナだった。
他の街でも250~400ラナが相場だろう。
とはいえ、500ラナは「ぼったくり!」と怒るほどではない。
観光地なので割高に設定している、と言われて納得できる額だ。
「ほう。500ラナ……」
アルトはタルトをしげしげと見つめた。
その反応は、いつもの彼とは違っていた。
(なんで悩んでいるのだろう?)
普段のアルトなら即決だろう。
彼にとって相場より微かに高い程度なら何ら問題ない。
おそらく誤差の範疇にすら入らないレベルの微々たる差だ。
そんなことを思っていると――。
「なぁ、少し負けてもらえないか?」
なんと、アルトは値下げ交渉を始めた。
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