21 仮面都市マスカレア
「起きろ、ソフィア。目的地が見えてきたぞ」
アルトの声がして、私はゆっくりと瞼を開けた。
仮眠のつもりが深く眠り込んでいたようで、少し頭がぼんやりしている。
寝る前は繋いでいたはずの手が、今は繋がれていなかった。
私が寝ている間に放したようだ。
その点をからかおうと思った時、アルトが言った。
「外を見てみろ。あれが次の目的地――仮面都市〈マスカレア〉だ」
アルトが窓のほうを指差す。
視線を追うと、そこには巨大な城壁と壮大な門が目に飛び込んできた。
グランフェルを彷彿とさせる大きさで、遠くからでもはっきりと分かる。
「すごい……! グランフェルみたいですね!」
「さすがにグランフェルと比べると中は小さいけどな。治めているのも爵位を持つ貴族ではなく、選挙で選ばれた市長だ。どんな街なんだろうな」
「その言い方ですと、アルトさんも初めて来たのですか?」
「うむ。ちょっと変わった制度があるらしくて楽しみにしているよ」
「変わった制度?」
「アレだ」
アルトが門の向こうを指した。
なんと、内側にもう一つ大きな門があったのだ。
「見ての通り、マスカレアでは二つの区画に分かれているんだ。外門と内門の間――つまり、入ってすぐにあるのが普通の居住区だ」
「すると、内門の中が“ちょっと変わった制度”の正体ですか?」
アルトは「ああ」と頷いた。
「仮面特区という特別な区画だ」
「仮面特区……。そこでは何をするんでしょうか?」
「特区の中では専用の仮面を着ける決まりがある。ただ、それ以外の細かいことは俺も把握していないんだ」
「仮面!? 何だか面白そう!」
最初に浮かんだワードは『仮面舞踏会』だった。
本で読んだり話で聞いたりしたことはあるものの、体験したことはない。
だからだろうか、憧れのような気持ちを抱いていた。
「報告書を確認したら一緒に行ってみよう。何事も経験しておかないとな!」
「はい! 楽しみにしています! アルトさん、今日はさっさと報告書の確認を終えましょう!」
「いつにも増してワクワクしている様子だ」
「たくさん寝たおかげで元気が有り余っているからかもしれません!」
「それはいつものことだろう。君は寝るのが大好きだからな」
「あはは。アルトさんだってぐっすり寝ていたくせに!」
「ぐっ……!」
楽しく話している間にも、馬車がマスカレアに入っていった。
◇
居住区は、良くも悪くも「普通」だった。
商店や宿屋、市庁舎などが立ち並び、多くの人々が行き交っている。
必要なお店がひとしきり揃っているものの、強烈な個性はなかった。
ただ、焼き立てのパンや香ばしい肉料理の匂いは素晴らしかった。
「報告書はこれで問題ない。市長、時間を取らせて悪かったな」
「とんでもございません、殿下! 何かあれば気軽にお声掛けください!」
市庁舎の執務室で、アルトは報告書のチェックを済ませた。
普段は市長が座っているであろう重厚な革張りの椅子に彼が座っている。
書類を確認している時の彼の鋭い目つきが私は好きだ。
もちろん恥ずかしいので口には出さない。
「それでは行こうか、ソフィア」
「はい!」
市庁舎を出ると、アルトは騎士たちに自由行動を命じた。
騎士たちはローテーションを組んで魔術師を警護するようだ。
これまで訪れた場所でも同じようにしていた。
(さーて、仮面特区を満喫するぞー!)
私は特区を覆う巨大な内壁を遠目に見た。
◇
アルトと二人で通りを歩き、内門へと続く道を進む。
仮面特区が近づくにつれて人通りが徐々に増えていく。
その中には仮面を着けている人の姿もあった。
どの仮面も目元だけを覆うデザインだが、色や柄には多彩なバリエーションがある。
「特区の外でも仮面姿の人がちらほらいますね」
「これから特区に入るのか、はたまた出てきたのか。いずれにしても一様に笑みを浮かべている。これは期待できるな」
仮面特区の出入口となる内門の付近には、仮面の販売店が並んでいた。
市庁舎で市長が言っていたが、どの店も市が経営しているそうだ。
収益が大きな財源になっているらしい。
「どうやら店によって男性専用と女性専用で分かれているみたいですね」
「よし、二手に分かれて各々で仮面を調達しよう。ソフィア、お金は持っているな?」
「はい! ここにあります!」
私は財布を見せた。
中には結構な大金が入っている。
アルトから支給されたものだ。
「では、買い終わったらここに集合ってことで」
「分かりました!」
私は女性用の仮面販売店に飛び込んだ。
◇
仮面の購入には思った以上の時間を費やした。
綺麗なデザインがたくさんあり、どれにしようか悩んだからだ。
顔が30個くらいあれば困らないのだが、残念ながら私の顔は一つしかない。
30個の仮面を買っても、着けられるのは一つだけだった。
結局、私は淡い紫を基調として、片面に繊細な花が描かれた仮面を選んだ。
「すみません、アルトさん! お待たせしました!」
集合地点に戻ると、アルトが待っていた。
いつもの軍服姿だからか目立っており、多くの人が遠巻きに見ていた。
「そんなに待っていない……と言ってやりたいが、驚くほど待ったよ」
アルトが苦笑した。
彼によると、私は二時間以上も悩んでいたらしい。
「ご、ごめんなさい……! どの仮面も美しくて……!」
「気持ちは分かるさ。で、どんな仮面を買ったんだ?」
「これです!」
私たちは互いの買った仮面を見せ合った。
アルトが選んだのは、深い青にシルバーのラインが入ったものだった。
落ち着きつつも洗練された印象がある。
「アルトさんの仮面、すごくカッコイイじゃないですか!」
「ソフィアのだっていい感じだ」
「私たち、お互いにセンスがあるようですね!」
「ははは、そのようだ」
私たちは内門に向かった。
「お通りください。特区内では原則として仮面を着用が義務付けられています。相応の理由がない状態で外している場合は罰則が科されますのでご注意ください」
門の前には数名の衛兵が立っており、通行人のチェックをしていた。
といっても市が販売する仮面を着用しているかどうかの確認だけだ。
私たちも仮面を装着し、入場のための列に並ぶ。
「アルトさんって、仮面を装着したことはありますか?」
「いや、これが初めてだ」
「私もなんです! 視界がちょっぴり狭くなりますね!」
「そうだな。だが、それほど不便ではなさそうだ」
「仮面を着けると別人になったような気がしますね!」
「うむ」
列が進んでいき、私たちの番がやってきた。
「次!」
衛兵の一人が大きな声で言い、私たちが前に出る。
「も、もしかして、アルト殿下ですか?」
アルトの服装を見て、衛兵が気づいた。
他の衛兵もざわついている。
「ああ、そうだ。念のために顔を見せておこう」
アルトは仮面を外して見せた。
それから再び着用し、話を進める。
「俺と同行者のソフィアは、この仮面特区について疎いんだ。よかったら特区内での作法を教えてもらえないか?」
衛兵は「はっ!」と敬礼し、詳しい説明を始めた。
「特区内では、衛兵以外、原則として仮面を着用する義務があります。そして、仮面を着けている限り身分は平等なものとして扱われます。たとえ殿下であろうと、特区内では一般人ということになります」
「それは素晴らしい」
アルトは心の底から嬉しそうに言った。
「素晴らしい……?」
一方、衛兵たちは首を傾げていた。
その点について触れることなく、アルトは続きを促した。
「明確な禁止事項ではございませんが、身分を明かす行為も推奨されておりません。また、身分を明かした上で何かを強要する行為も禁止されています。例えば殿下が『俺は皇太子だ。言う通りにしないと特区から出た時に後悔させるぞ』などと発言することは禁止されています」
「もちろん言わないが、仮にそのような発言をした場合はどうなる?」
「衛兵が目撃していた場合は、市の規則に従い逮捕、連行します」
「なるほど。念のために確認しておきたいのだが一ついいか?」
「もちろんでございます」
「身分を明かさない状態で交渉をするのは有りか?」
「交渉……でございますか」
「普段であれば、俺の立場上、交渉はできない。例えば俺がそなたに“お願い”した場合、俺がどう思っていようとそなたは“命令”として認識するだろう?」
衛兵が同時に「なるほど」と呟いた。
口には出さなかったが、私も心の中で同じ言葉を呟いていた。
アルトが何を考えているのか分かる。
彼は仮面特区の中で『ただの庶民』を演じたいと考えているのだ。
皇太子ではなく、一般人のアルトとして振る舞いたがっている。
それが可能かを確認しているわけだ。
「身分を明かさないのであれば、交渉をすることに制限はございません。その他に行為につきましても、『身分が全く考慮されない』という点を除けば、原則として何も変わりありませんのでご安心ください」
「分かった。詳しく教えてくれてありがとう」
話が終わり、私とアルトは仮面特区に入ろうとした。
しかし、ここで予想だにしない問題が発生した。
「お待ちください、殿下」
衛兵の一人が私たちを止めたのだ。
「どうした?」
「ソフィア様は問題ございませんが、殿下は中に入ることができません」
「俺が? 一体どういうことだ?」
アルトが驚いた様子で振り返る。
私も理解が追いつかず、思わず「え……?」と口にした。
評価(下の★★★★★)やブックマーク等で
応援していただけると執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。














