13 幸せのお裾分け
夜、私はエドワード公爵の部屋を訪れた。
貴族に恩を作るのは気が引けるが、頼みたいことがあったのだ。
部屋をノックすると、侍女が扉を開けた。
「エドワード公爵閣下にご相談したいことがありまして……」
そう告げると、すぐに通された。
「ソフィア様、こんな夜更けにお越しいただくとは何か御用でしょうか」
エドワード公爵が革張りの椅子に座っていた。
穏やかな笑みを浮かべているが、やはり目つきは鋭い。
「すみません、お仕事中とは思わず……」
私は公爵の前にある執務机を見た。
大量の書類が山のように積まれている。
「お気になさらず。それで、どうされたのですか?」
「実は、エドワード公爵に少しお願いがありまして……」
「お願いですか」
エドワード公爵は驚いた表情を見せたあと、また柔らかい笑みを浮かべた。
「私にできることであれば喜んでお力添えいたしましょう。どうぞ遠慮なくおっしゃってください」
公爵は嫌な顔一つせずに言った。
たとえ打算からくる対応だとしても、この優しさはありがたい。
私は「ありがとうございます」と深々と頭を下げ、それから用件を言った。
「グランフェルでは『引換券』というものがあると聞きました。それを一枚お譲りいただけないかと思いまして……」
今日、アルトと街を散策していて知ったものだ。
引換券は街の全店舗で利用可能で、使うと一定額以下の商品と交換できる。
券は五段階でランク分けされており、ランクによって交換可能金額が異なる仕組みだ。
私が欲しいのは上から二つ目のゴールド引換券だった。
最上級のプラチナランクは別格なので、さすがに求めるわけにはいかない。
「引換券でございますか。しかし、なぜソフィア様が? もし何か欲しい物があるなら私が買いましょう」
公爵は不思議そうに答えた。
「その……私、自分で買いたいんです」
「自分で?」
「はい。実は、アルトさんにプレゼントを贈りたくて……」
私は服を買って貰ったお礼をしたかったのだ。
そう思い立ったのは良かったが、これには問題があった。
「でも私、お金を全く持っていなくて……。それで、図々しいことは承知しているのですが、ゴールド引換券を一枚恵んでいただければと思いまして……。もちろんお礼はします! 滞在中にこのお城のお掃除をしますし、お食事だってお手伝いいたします!」
そう、私は全くと言っていいほどお金をもっていないのだ。
ロックウェルに居た頃は、常に最低限の額しか支給されていなかった。
理由は帝国がケチだからではなく、私が遠慮していたからだ。
必要な額を役場で申請して受給する仕組みだったのだが、余分に要求するのが申し訳なくて、いつも最低限の生活費だけいただいていた。
「いやいや、ソフィア様にお仕事をさせるわけにはいきませんよ」
エドワード公爵は笑いながら言うと、机の引き出しを開けた。
そして、中から小さな金属製のケースを取り出した。
「ですのでゴールド引換券は無償で差し上げます」
私は「えっ」と驚いた。
恥ずかしながら目をキラリンと輝かせてしまう。
「……と、言えればよかったのですが、誠に申し訳ございません。私はゴールド引換券を持っておりません」
そう言うと、エドワード公爵はケースを開けた。
中から銀色に光る厚紙のようなカードを取り出す。
「ですので、こちらのプラチナ引換券でご容赦いただけないでしょうか」
「ええええ! プ、プラチナ引換券!? さすがにそんな高価な物をいただいてしまうのは……」
「どうかお気になさらず。ソフィア様のお喜びいただけるのであれば、プラチナ引換券の一枚くらい大したことありません」
「公爵様……!」
私は感動のあまり飛び跳ねそうになった。
しかし、ふと我に返って冷静になる。
すると、今度は沸々と不安が込み上げてきた。
(プラチナ引換券の見返りってなんだろう……!)
貴族は打算で動く。
当然、公爵も何かしらの見返りを求めるはずだ。
ゴールド引換券なら、その内容は軽いもので済む。
しかし、プラチナ引換券となれば話は別だ。
とてつもない要求をされてもおかしくなかった。
そう思い身構えていると――。
「ご安心ください。見返りなど求めませんよ。この件に関しては完全に私の善意です。貴族風に言うと、『恩を売っておきたい』といったところでしょうか」
私の心中を察した公爵がくすりと笑った。
「すみません……!」
ペコリと頭を下げる。
私は申し訳なさと恥ずかしさで顔が赤くなった。
「で、でも、本当によろしいのでしょうか? プラチナ引換券って、非常に高価ですよね……?」
「たしかに高価ではありますが、アルト殿下のプレゼント用に使われるのでしょう? 皇太子殿下に対してゴールド引換券で交換できる物をお贈りになるのは、それはそれで問題があるのではございませんかな」
「ぐっ……」
たしかにその通りだった。
「そ、そういうことであれば、ありがたく頂戴いたします……!」
私は何度も頭を下げながら引換券を受け取った。
「こちらこそ、ご相談していただきありがとうございます。ソフィア様のお役に立てて何よりでございます」
私は公爵に対して頭が上がらなかった。
ペコペコとお辞儀したまま「それでは」と部屋から出ようとする。
しかし、途中で肝心なことを思い出して足を止めた。
「あの、公爵様、プラチナ引換券の件について、アルトさんには内緒にしていただけないでしょうか」
「ふふ、もちろんでございますとも。そのような無粋なことはいたしません。どうかご安心を」
「ありがとうございます! このご恩は忘れません! それでは、夜分遅くに失礼いたしました!」
公爵にもいつかお礼をしなければ、と思った。
◇
次の日、
昨日に引き続き、朝食後にアルトから誘われた。
まさか二日連続で誘われると思わなかった私は大慌て。
プラチナ引換券でプレゼントを手に入れる予定だったからだ。
「すみません、アルトさん! 今日は一人で過ごしたくて……!」
その結果、私はお誘いを断ってしまった。
言った直後に、「プレゼントは明日でもよかったのに」と後悔する。
我ながら間抜けである。
「そうか……。一人で過ごしたい気分というのは誰にでもあるよな」
アルトは残念そうな顔で言った。
思った以上に落ち込んでいる様子で、ますます申し訳なくなる。
だからといって、今さら「やっぱり大丈夫です」とも言いづらい。
「すみません、アルトさん……」
「かまわないが、何かあったのか? そわそわした様子だが」
心配そうにするアルト。
私が機転の利く人間なら、適当な嘘を言えただろう。
しかし、残念ながら私は違っていた。
「い、いえ、特に何も……!」
私はしどろもどろになるしかなかった。
◇
公爵の城を出た私は、アパレル店の並ぶ通りにやってきた。
通りの両サイドに男性用の服屋が見える。
大衆向けのお店から高級店まで混在していた。
当然ながら通りを歩く人間は男性が大半だ。
女で一人なのは私くらいなものだった。
そのため、しばしば不思議そうな視線が飛んできた。
しかし、気にしてはいられない。
私はプラチナ引換券を握りしめ、大きく頷いた。
(まずはウィンドウショッピングから!)
アルトに贈る物は衣類だと決めてある。
私が服を買って貰ったのだからお返しも服がいいと思った。
それに、他の物だと何を贈るのが適切なのか分からなかった。
公爵に助言を貰うべきだったが、今さら思ったところで後の祭りだ。
(アルトさんに似合う服ってどんなのかなぁ)
そんなことを考えていると、大変な問題に気づいた。
(あれ? アルトさんの私服姿って昨日しか見ていない……!)
アルトは普段、軍服風の装いをしているのだ。
私と違って着替えていたが、格好自体には変化がなかった。
要するに仕事着や制服と呼ばれる物しか着ていないのだ。
この街で庶民的な格好をしているのは身分を隠すため。
したがって、街を出る時にはいつもの格好に戻っている。
そんな彼に対して、服をプレゼントするのはいかがなものか。
贈ったところで着る機会がないのではないか。
(うーん、服以外にするべき?)
今さらながら方針転換を検討する。
服ではなくて、そう、例えばアクセサリーはいかがだろうか。
お店によっては男性向けのアクセサリーを販売している。
ネックレスやイヤリング、指輪など。
そういう物なら迷惑にならないかな、と思った。
(あ、でも、アルトさんってアクセサリーをしていないよね?)
アルトは貴族らしい物を好まない傾向にある。
私の服を選んでくれた時も、派手なドレスには目もくれなかった。
そう考えると、アクセサリーは喜ばれない可能性がある。
(まずい……! 何がいいのか分からないよ……!)
考えれば考えるほど不安になってくる。
その結果、私は同じ通りを何度も往来してしまっていた。
しかし、この傍から見ると怪しすぎる行動が功を奏した。
(そうだ!)
あるお店を見た時に名案が浮かんだのだ。
アルトが気に入るであろうプレゼントが一つある。
服ではないけれど、服の延長線上にある、とある物だ。
(アレならいつもの格好とも合うし、礼装や私服とも合わせられるはず!)
幅広い用途での活躍が期待できる。
そして、皇太子殿下が身に着けていてもおかしくない。
私は方針を固めると、目的の物を探して街中を駆け回った。
◇
その日の夕食後、私はアルトを呼び出した。
場所は城の上層階にあるバルコニー。
他の建物より高いため、グランフェルの美しい夜景が見える。
夜になっても、この街は眠気知らずのような明るさだった。
「どうしたんだ、ソフィア?」
アルトは心配した様子で言った。
今日も庶民的な格好をしているが、昨日とは違う服を着ている。
「まずは今朝のお誘いを断った件について謝罪させてください!」
私は「ごめんなさい!」と頭を下げた。
「そんなことか。別にかまわないさ。むしろ嬉しかったよ」
「え? 嬉しかった?」
「俺の誘いを断ったのは君が初めてだ。俺は皇太子だから、どうしても周りの人間は気を遣う。誘われたら嫌とは言えないものなんだ」
「たしかに……!」
皇太子殿下のお誘いを断るなど言語道断だ。
「だから遠慮しないでくれて嬉しかった」
アルトは屈託のない笑みを浮かべた。
ますます申し訳なくなってしまい、私は「うぐぅ」と唸る。
「そ、そんな風に言わないでください……! 本題に入りにくいじゃないですか……!」
「本題? これが本題じゃないのか?」
「違います!」
「すると……用件は何だ?」
アルトが首を傾げる。
それに対して、私は「ふふん」と得意気に微笑んだ。
「幸せのお裾分けです!」
「は?」
「昨日のお返しですよ!」
「昨日……ああ、服の件か?」
「そうです!」
私は重厚な黒い紙箱を取り出した。
丁寧にラッピングされている。
「これは……?」
「開けてみてください!」
アルトは不思議そうな顔で箱を開けた。
「おお! マントじゃないか!」
そう、私が選んだプレゼントはマントだった。
無地の濃紺で、最高級の生地を一流の職人が作った一品だ。
裏地は純白になっていて、シンプルながら気品に満ちている。
一目見て「コレだ!」と確信した代物だ。
「かなり上等な物のようだが、これを俺にくれるのか?」
アルトが目を見開く。
私は照れながら頷いた。
「はい! 私、服を買っていただけてすごく幸せだったんです! なのでアルトさんにも同じ気持ちを味わってもらえたらと思いまして! これならアルトさんの軍服? とも合うと思います!」
「なるほど」
アルトはマントを手に取り、様々な角度から眺めている。
私と同じくらいニヤけていて、喜んでいるのがよく分かった。
「ありがとう、ソフィア。すごく嬉しいよ。こういうプレゼントは初めてだ。さっそく身に着けてもいいか? あいにく今は地味な服だが」
「もちろんです! そのお洋服にも似合いますよ!」
「だといいが……!」
アルトはマントを肩にかけ、留め具を留めた。
紺色と白色のコントラストが、白銀の髪と深い青紺色の瞳によく映える。
「どうだ、似合うかな?」
アルトが少し恥ずかしそうに尋ねる。
私は心底嬉しくて、目を輝かせて答えた。
「素敵です! すごく似合っています、アルトさん!」
アルトは照れたように微笑んだ。
その時、風が吹いて彼のマントを揺らした。
「わぁ……!」
思わず声が漏れる。
まるで絵画の中から出てきた騎士のようだったのだ。
「大切にするよ、このマント」
「はい!」
しばらくの間、私たちは星空を眺めながら雑談に耽った。
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