12 クレアのブティック
食事会及びアルトを歓迎する宴は夜まで続いた。
その間、私が悲しい気持ちを抱くことはなく、最後まで楽しく過ごせた。
私が緊張していたのは最初だけだ。
エドワード公爵の配慮によって、私もリラックスできた。
そう、彼は丁寧すぎるほどの気遣いを私にも見せたのだ。
アルトの言っていた通り、マナーを押しつけてくるようなことはなかった。
とはいえ、エドワード公爵に対する一定の警戒感は消えなかった。
私やアルトに対する気遣いが優しさではなく打算からきているからだ。
貴族社会では一般的なことなので、それ自体に不満は抱いていない。
アルトも「公爵は良い人だが過信はしないほうがいい」と言っていた。
食事会が終waると、公爵の側近が案内してくれた客室に戻った。
アルトと公爵が会談していた時に待機していた部屋だ。
ここが私の寝床になるらしい。
(こんな豪華な部屋で過ごすなんて、本当に久しぶりね)
ふかふかのベッドに身を沈め、静かに瞼を閉じる。
グランフェルでの儀式は、最短でも一週間ほどかかる。
その間、私は公爵の城で生活することになっていた。
もちろん城の外を出歩いてもかまわない。
ただ、儀式の都合上、グランフェルから出ることは禁じられていた。
同じ制限がアルトにも設けられていた。
それは、彼に警護をつけていないためでもある。
制限していないと、一人で魔物の狩りに出かけるらしい。
ゲラルドが呆れた様子で言っていた。
(グランフェルでは何をして過ごそうかなぁ)
この街での生活に想いを馳せながら、私は眠りに就いた。
◇
次の日。
朝食のあと、アルトに「出かけよう」と声をかけられた。
彼は普段と違う私服姿だった。
武器もいつも装備している華美なものではなくシンプルな剣だ。
庶民的な装いをしているが、漂うオーラは他の人と全く違っていた。
私は誘いを受け、二人で街に繰り出した。
「ほら、言っただろ?」
城を出てしばらくしたところで、アルトが微笑んだ。
私は周囲を見回しながら、「たしかに」と納得する。
「本当に誰も気づいていませんね」
グランフェルは、昨日と同じく活気に溢れている。
馬車から見た時も圧倒されたが、実際に歩いてみるとそれ以上だった。
商人や労働者が行き交い、馬車が忙しなく往来し、冒険者らしき人々が酒場へと向かっている。
だが、その誰もが皇太子殿下が傍にいると気づいていない。
「ロックウェルやハルメネ村みたいな小さい集落だと他所の人間は目立つ。港町レーヴァンも、それなりに大きな町ではあるものの、大半が漁師とその関係者なので互いに見知った関係だ。しかし、こういう大都市では違う。隣に住む人間の顔すら知らない者が多い」
「だから庶民的な格好にして護衛がいなければ誰も気づかないわけですか。私のことはともかく、アルトさんのことは顔を見れば分かりそうですが……」
アルトは「いやいや」と笑った。
「国民が顔を知っている権力者なんて、その集落の長や領主くらいだ。グランフェルならエドワード公爵ぐらいなものだな。それ以外で顔を知っているとすれば、父上――つまり皇帝陛下くらいだろう」
「そういえば、ロックウェルの方々もアルトさんの顔を知りませんでした」
「だろ? そんなわけで、今の俺は皇太子ではなくただの通りすがりさ」
大通りでは、多くの露天商が声を張り上げていた。
果物や香辛料、工芸品など、様々な物が売られている。
露店だけでなく店舗の種類も豊富だった。
例えば飲食店では、ありきたりな酒場など見当たらない。
異国の料理を売りにしているなど、個性的な店舗ばかりだ。
「お?」
突然、アルトが足を止めた。
彼の視線の先には、こぢんまりとしたお店が建っている。
控えめな看板と綺麗なガラス張りの扉、そして上品な装飾が印象的だ。
その佇まいは、見るからに高級店である。
「ここにしよう」
「ここ? 女性向けの……ブティックですよね?」
私は首を傾げた。
ショーウィンドウには女性用の上質な服が並んでいる。
およそアルトが興味を持つ店には思えなかったのだ。
「入ろう」
「え、でも、女性向けの……」
「いいから入るんだ」
アルトは堂々と中に入った。
扉に備え付けられていた鈴の音が軽やかに響く。
外観から抱いたイメージ通り、店内にも高級感があった。
他に客はおらず、30代くらいの女性店員がカウンターにいる。
彼女は私たちに気づくと、完璧な営業スマイルを浮かべて駆け寄ってきた。
「いらっしゃいま……せ……」
しかし、すぐにその顔が引きつった。
ネームプレートによると、彼女は「クレア」というらしい。
クレアの視線は、私の服装に注がれていた。
(そりゃ、そういう顔をするよね)
クレアは私たちがお店に相応しくない客と思ったのだろう。
それは無理のないことだ。
何故なら私の服には至る所に泥が付着している。
ロックウェルでの日々や、ハルメネ村の薬草採取によるものだ。
そう、私は他の服を持っていない。
王国を出た当初に着ていたドレスは家に残したままだ。
もちろん、これは見た目だけの問題だ。
魔法で清潔さは保たれており、衛生面に問題はない。
クレアもそのことは理解している。
彼女は、「着替えの服すら持っていない貧乏人め」と言いたいのだ。
もし他に服を持っているのなら、この服は洗濯しているから。
そして洗濯しているのなら、これほど泥まみれにはなっていない。
「お客様、失礼ながら……当店は高級志向でして……」
クレアは遠回しに出て行けと言っていた。
当然の対応であり、私は何ら不快感を抱かない。
むしろ「こんな服で入店してごめんなさい」という気持ちだ。
だが、アルトは違っていた。
「人を身なりで判断するのはいただけないな」
そう言うと、彼は懐から一枚の金貨を取り出した。
エドワード公爵家の家紋が刻まれたものだ。
それを見た瞬間、クレアの顔が青ざめた。
「そ、その金貨は……! エドワード公爵閣下が、特に大切な方にだけ渡される特別な金貨……!」
「我々はこのお店で買い物をしたいのだが、かまわないかな?」
「も、ももももも、もちろんでございます!」
クレアは顎と膝をガタガタと震わせながら言った。
ハルメネ村でアルトに命乞いをした山賊のリーダーよりも怯えている。
「さき、さ、ささっ、先ほどのご無礼、どど、どうかお許しを……!」
「気にしていないよ。丁寧な対応に感謝する」
アルトは「こちらこそ大人げなかった」と頭をペコリ。
それでも、クレアは震え上がったままであった。
「アルトさん、なぜこの店に……?」
落ち着いたところで、私は尋ねた。
「君の服を洗う機会を作ろうと思ってな。予備の服を買えば、今着ている服を洗えるだろう?」
「え? じゃあ、私のために……?」
「当たり前だろう。他に理由があるか?」
「ありませんが……」
私は適当な商品を見た。
チラリと見える値札には、桁違いの額が書かれていた。
前に貰った真珠のネックレスですら安く感じるほどの額だ。
「……でも、このお店、すごく高いですよ?」
私は耳打ちした。
クレアが傍にいるので、声を大にしては言えない。
「価格は気にしなくていい。君は我が国の最重要人物なのだから、このくらい当たり前のことだ。それに、高いだけあって良い生地を使っている。きっと着心地がいいぞ」
「ありがとうございます! じゃあ、遠慮なくお言葉に甘えちゃいますね!」
私は素直に受け入れた。
ここで食い下がっても、アルトは絶対に譲らない。
そのくらいのことは理解できる関係になっていた。
「それで、どの服がいい?」
アルトが店内を見回しながら言う。
「アルトさんに選んでもらいたいです!」
私はニヤリと笑った。
「俺が選ぶのか!?」
アルトが驚いたように眉を上げる。
「当たり前じゃないですか! お金を出すのはアルトさんなんですから! だから、アルトさんが気に入る服を選んでください!」
「そう言われても、女性用の服を選んだ経験など……」
「ここは譲れません! 私は服を買ってもらうのですから!」
アルトは「やれやれ」と苦笑した。
「君も俺と同じで頑固だからな。従うしかなさそうだ」
「その通りです!」
「では選ばせてもらおう」
アルトは慎重に服を探し始めた。
しばしば助けを請うようにクレアを見るが、決して声を掛けることはなかった。
クレアのほうも、恐縮しきっているため自分からは口を開かない。
今にも卒倒しそうな顔で生まれたての子鹿みたいに震えている。
「決めたぞ」
1時間近く悩んだ末に、アルトは答えを出した。
「これなんかどうだろう。軽くて丈夫そうだ」
アルトが持ってきたのはブラウスとベスト、あとスカートだ。
どれも上質な生地で作られており、シンプルなのに高級感がある。
「無難な選択をしましたね!」
「気に入らなかったか?」と、不安そうなアルト。
「そんなことありませんよ! 素敵ですよ!」
私はクレアに「試着していいですか?」と尋ねた。
王国だと試着してから買うのが一般的だけれど、帝国ではどうか分からない。
「も、もちろんでございます! 試着室にご案内いたします!」
クレアは引きつった笑顔で答えた。
何もないところで躓くほどの緊張ぶりながらも試着室に案内してくれる。
「こ、こちらになります! い、いくぶん、小さな店舗ですので、ち、小さな試着室で、申し訳ございません!」
「大丈夫です! ありがとうございます!」
私が試着室に入ると、クレアが仕切りとなるカーテンを閉めてくれた。
さっそくアルトが選んだ服に着替えてみる。
サイズがぴったりで、生地も肌に馴染むような心地よさがあった。
(やっぱり高い服が着心地が違う! 見た目もすごくいい感じ!)
私は鏡に映った自分の姿を見て、にんまりと笑った。
泥汚れのない服を着たことで、今までよりも綺麗に見える。
華美ではないため、今までの服と比較しても違和感がない。
ロックウェルに戻っても「成金めー!」とからかわれずに済みそうだ。
「着替えました! アルトさん、どうでしょうか?」
私は上機嫌でカーテンを開け、アルトに披露する。
「綺麗だ……!」
アルトは目を大きく見開き、感嘆した。
「ですよね! いい感じの服ですよね! 気に入っちゃいました!」
私は嬉しくなって笑顔で答えた。
ところが――。
「あ、ああ……そうだな」
アルトは素っ頓狂な声を出し、なぜか顔を背けてしまった。
微妙に頬が赤くなっているように見えるのは気のせいだろうか。
「アルトさん?」
「な、何でもない! 気に入ったのならその服を買おう!」
「はい! ありがとうございます!」
私は深く考えず、姿見をもう一度確認してニッコリと笑った。
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