第7話 ドレスといたずら心
ヒースクリフからの手紙は、朝食の席に届けられた。
その場でブレナン伯爵とアマリエが確認し、出かけても良いとの許可はすぐに出た。お茶会の出席を受けてしまった以上、打ち合わせも兼ねてのことだろうと知れたからである。
ヴィクトリアはすぐに部屋へ取って返し、メイドとともにドレス選びを始めたのだった。
(ヒースクリフとお出かけ! 嬉しい、前のときもよく一緒に出かけていたんですよね。あの頃は男同士だから、街の屋台で買い食いもしました。楽しかったです……)
前世、ラルフであった頃は、王子の身分であっても、「お忍び」が目こぼしされていた。
無茶をしないという信頼があってのこととわかっていたので、危ないところに近づくこともなく、楽しく過ごしていた思い出がよみがえってくる。
ヴィクトリアとして生まれたことにより、身分よりも女性であることの方が行動を制限される理由になっている、と気づいた。
家族との外出が多く、自分でどこかへ行きたいときはメイドと一緒。女性同士なので、いざ出かけても行動には気を遣う。屋台で食べ物を買うなんてとんでもないことで、予約をしていないレストランに立ち寄ることもできない。
目的の店へ行き、勧められる商品の中から気に入ったものを選んで帰宅。外出や買い物というのは、だいたいそのようなものだった。
今までは疑問にも思わなかったその外出が、ラルフの記憶を持ついまとなっては、物足りない。
それだけに、降って湧いたヒースクリフからの誘いには、胸が高鳴るものがあった。
「お嬢様、ずいぶんと嬉しそうですね」
ドレスを何着も運びながら、メイドのブリジットが声をかけてくる。手荷物として、ハンカチを並べて選んでいたヴィクトリアは、ぱっと笑顔になって答えた。
「お出かけは久しぶりですからね! 楽しみで! 心配しないでね、羽目を外さないように気をつけます。だいたい、あの堅物のヒースクリフ……、ブルーイット侯爵令息が一緒なんですもの。変なことは絶対にないわ」
今生では出会ったばかりなので、知ったようなことは言えないが、ヴィクトリアが彼と話した感触では、以前の彼と性格が大きく変わったようには感じられなかった。
堅物・頑固・一途でラルフを守り抜くと誓いを立てていた、見目麗しい騎士の中の騎士。
(ヴィクトリアとしてこの年齢まで生きて、いろんな方にお会いしていますが、ヒースクリフの格好良さは私の贔屓目だけではないですよね!)
記憶に新しい彼の姿を思い描いてみて、ヴィクトリアは誇らしい思いで胸がいっぱいになる。
前世の彼は、無駄口を叩かないタイプだったが、ラルフに対してだけは他の人の前では決して見せない寛いだ表情をいくつも見せてくれたものだ。今生の彼に重ね合わせてみて、またあの顔を見たいな、とほのぼのとした気持ちにもなる。
とはいえ、今回は身分も立場も違う上に、女性として生まれついているので、以前と同じく親密な関係になるのは難しいものと、すでに覚悟がついていた。
それでも、せっかくなので仲良くなりたい。
お互い、気兼ねする婚約者もいないのだし、お茶会に一緒に行くとなれば多少距離も縮まるはず。もしヒースクリフが隣国へ戻りそこで骨を埋める決断をするにしても、手紙のやりとりくらいはしたい、と思っている。
思ったそばから「それで満足できるかな?」と不安になる。そのくらい、ヒースクリフと離れる日が来るのが、今から怖い。
「楽しそうなお嬢様を見ていると、私まで幸せな気持ちになります。せっかくなので、めいっぱいおしゃれしていきましょうね」
ブリジットはにこにことしながら、何枚かのドレスをソファの背にかけるようにして並べた。端から眺めて、ヴィクトリアはどれが良いかと考え込む。
「動きやすいのが良いな……」
ヒースクリフと一緒なのだから、今生のヴィクトリアには縁がない、前世のラルフの思い出の店に立ち寄ったりできないだろうか、とついつい考えてしまったのだ。
独り言を聞きつけたブリジットは、首を傾げながら淡いブルーのドレスを手にした。
「このドレスは、裾捌きが比較的楽だと思います。お胸を強調するデザインも魅力的ですし、今日のお出かけにぴったりでは? お嬢様は、スタイルが抜群ですから」
「えっ、胸? どういうこと?」
「お嬢様はもう少し、ご自分の魅力を前面に出されたほうが良いかと思います。せっかくの機会ですから、使えるものは使うんですよ!」
「胸を? でも、ヒースクリフさん、ええとブルーイット侯爵令息さんは、私の胸には興味ないと思いますが?」
気を付けているつもりなのに、ついつい「ヒースクリフ」と気安く呼んでしまう。いけない、と思いつつヴィクトリアは差し出されたドレスをじっくりと見た。
(色仕掛け? サービス? どうでしょう、ヒースクリフって、びっくりするほどラルフ以外に興味がない堅物だったような……。女性になびいているのを、見たことがないと思います。私が胸を寄せてみたところで、興味ないでしょうし、ちらっとも見ないのでは)
まさに、無駄というものだ。
それよりも、男装していった方が、ヒースクリフの気持ちを乱せるように思う。乱したところで、ラルフだと名乗り出ることができるわけでもないから、それもまた無駄なのだが。
ヴィクトリアは、目を輝かせて待っているブリジットを見て「そうですね……」と答えつつ、頭を悩ませる。
ヒースクリフはいずれ誰かと婚約し、結婚するだろう。
それを応援する気持ちは、めいっぱいある。
前世では彼を祝福することもできずに死んだので、今生ではぜひとも力になりたい。
そのためにはまず、堅物であるヒースクリフの興味関心を女性へ向ける必要がある。
前世のラルフには婚約者であるナタリアがいたので、たとえ気のおけない男同士の会話であっても、他の女性に対して品定めするような発言をすることはなかった。
いわゆる「下ネタ」というものに縁がなく、 思い出してみた限り、ヒースクリフから話を振られることもなかった。
自然と、彼との間で女性に関する話題は少なくなり、いつもまったく違う話ばかりしていた。
あれほど近くにいたはずなのに、ラルフとして彼の「女性の好み」「理想の結婚生活」などを聞いた覚えがない。
よって、現在のヴィクトリアにも、ヒースクリフの内心はまったく見当がつかないのだ。
(社交界で年頃のお嬢さんを紹介すれば、いずれ誰かと恋に落ちるものと疑いもしませんでしたが……。あの堅物のヒースクリフにとって、誰かを見初めて恋愛したり結婚するということは、そんなに簡単な話ではないかもしれません。せっかく、あんなに素敵なのに)
かくなる上は、今生では女性に生まれついたのも何かの縁。
ヴィクトリア自身が体当たりで彼の練習に付き合うべきではと、結論が出た。
あの堅物のヒースクリフが、女性を前にして、前世では見られなかったような反応を見せるかもしれないと思うと、俄然いたずら心も疼く。
「あの方は、私の胸に興味はないと思うのですけど、試してみたいです!」
力強く言い切ったヴィクトリアを前に、ブリジットが手を組み合わせて、目を輝かせて答えた。
「さすがです、お嬢様。その意気ですわ!」
しかし、ヴィクトリアは言ってから少しだけ心配になった。
首を傾げながら、こそっとブリジットに尋ねてみる。
「私は、普段あまり肌が出るものは着ないでしょう。このブルーのドレスは、下品には見えませんか?」
「はい。お嬢様のお持ちのドレスは、すべて品が良くて、スタイルを美しく見せるためのもの。決して、扇情的に色気を振りまくものではないので、安心して身に着けて頂けますわ」
そこで、ヴィクトリアもほっとして「それなら、大丈夫」と答えてデコルテの肌が見えるタイプのドレスに決めた。胸が大きいので、さほど露出は多くないものの、向き合う角度や相手の身長の高さによっては、ほんのりと谷間が見える。
このくらいで、あのヒースクリフが動揺することはないと思いつつも、一度決めてしまうとわくわくしてきた。
(ヒースクリフのために、初めて「一肌脱ぐ」ことにしたんです。こんなこと、後にも先にもないかもしれません。少しくらい、驚いてくれないかしら?)
いたずら心としては、その程度のごく軽いものであった。
ヴィクトリアの中では。
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