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二周目の世界で、前世の護衛騎士から怖いくらいに溺愛されています。  作者: 有沢真尋
【第二章】

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第13話 君はそこにいる

 ヒースクリフは、馬車を下りると、屋台の揚げパンを多めに買い込んできてくれた。御者にも渡して、邪魔にならない場所で待機してくれるよう言い置くと、噴水周りのベンチでヴィクトリアと並んで座り、嬉しそうに食べ始める。


「オールドカースルには、無いものですね。街を歩くこともありますが、見たことがないです。すごく美味しい」


 その顔に浮かんだ笑みを目にして、ヴィクトリアは幸せな気分になった。


(知っていますよ、ヒースクリフはこの揚げパンが大好きだったんですよね……! ラルフとお忍びで街に出ると、毎回のように食べていましたよ)


 生地をねじって揚げて、砂糖をまぶしたパン。普段の食事や、晩餐会では決してお目にかかることがない逸品である。

 味は抜群、ただし上品に食べるのは少々難しい。

 ヴィクトリアは、紙に包まれた揚げパンを受け取ってはみたものの、どうやって口をつけようか悩んでいた。


「こんなに大きいものだったんですね。ちぎると指がべたべたになりますし、口の周りにつけないようにと思うと、大口を開けるしかありません」


 新品の白い服、顔には薄い化粧、唇には紅をひいている。行儀の悪い行動には向かない装いであるばかりか、大口を開けて頬張る前からすでに、周囲の視線が痛い。注目を集めているのは、ヒースクリフのいかにも高貴な貴族の青年らしい容姿が理由でもあるようには思われたのだが。


(ラルフは、口の周りや手が多少ベタベタしても、噴水や井戸の水でばしゃばしゃ洗えば良いって気にしていませんでしたけど……)


 くすっと、隣でヒースクリフが笑う。


「あなたはあなたで、シルトンにいても食べる機会がなかったんですね。もしかして、ずっと来る機会をうかがっていましたか?」


 からかう口調につられてヴィクトリアが顔を上げると、見たこともないほど優しい顔をしたヒースクリフに、見つめられていた。

 たしかに、前世では何度も食べていたが、今生では初めてである。食べたい気持ちはとてもあるのに、もどかしい。


「はい。通りすがりに見かけて、食べるイメージはできていたんですけどね。自分で思っていた以上に、口が小さいみたいです。いざとなると、なかなか」


 困りきっていることを打ち明けたヴィクトリアに対し、ヒースクリフが手を差し出してきた。


「あなたが指を汚す必要はないですよ。俺がちぎれば良いでしょう。口まで運びます」

「そこまでして頂く必要はないです! 赤ちゃんではありません、自分でなんとかします!」


 すぐにでも食べないと、口までかけらを運んで「あーん」を実行されてしまいそうな危機感を覚えて、ヴィクトリアは揚げパンに目を落とす。

 兄夫婦の間に生まれた赤ちゃんが、大人からかいがいしく世話をされているのを、見たことはある。ヴィクトリアにも、赤ちゃんを前にすれば、何かしてあげたくなる気持ちはある。


(ですが、私は違いますね。私は、自分のことは自分でどうにかします。ヒースクリフが仕える相手であった、ラルフでもないのですから)


 ひと思いに、がぶっと食べてしまえばいい。ラルフのように。

 そのとき、ふわりと風が吹きつけてきた。

 つられて顔を上げて前を向いたほんの一瞬、ラルフの記憶がヴィクトリアの視界に重なってくる。


 青空の下、噴水を背にして、同じベンチでヒースクリフと並んで揚げパンを食べた。

 広場を走り回る子どもたちがいて、追い立てられて空へ向かい飛び立つ鳩の群れが視界をよぎる。なんでもない光景を眺めながら、ベンチの背もたれに背を預け、ヒースクリフに話しかけた。ヴィクトリアには思い出せない、二人の間で通じる他愛ない話。

 ヒースクリフが、笑い声を弾けさせる。

 その声を聞きながら、ラルフが口を開いた。


「《本当にさ、こういう日が永遠に続けば良いと思うんだ。君と僕がいて、後から考えたら何を話したかも覚えていないのに、楽しい思いだけが残っているような一日。あ、いまの本気にするなよ。ヒースクリフは、僕の願いであればどんなに無理なものであっても、絶対に叶えようとしてしまうから。永遠に同じ日を繰り返したいってわけじゃないんだ》」


 勝手にしゃべりだした自分の口を、ヴィクトリアは揚げパンを持っていない方の手で押さえた。

 ぱちぱちと目を瞬いてから、横に座るヒースクリフの方へと顔を向ける。


 ヒースクリフは、信じられないものを見るように、大きく目を見開いていた。やや前のめりになっていて、いまにも何か言おうとするかのように、唇を震わせている。


「いまのは」


 その後が、続かない。

 自分でも、何が起きているのか、まったくわかっていない様子だった。

 ヴィクトリアもまた、なんと言って良いのかわからない。

 あまりにも不意をつかれて、自分がいま何を口走ったのかも、よくわからなかった。思い出そうとすればするほど、消えてしまう。

 手の届かないところまで、ラルフはさっさと隠されてしまったようだ。

 君は僕じゃないし、僕にはなれないんだからね、と。


(……この世界に、ラルフは生まれていません。ヒースクリフと出会うことはなく、あのときのように買い食いをして、明るい日差しの中で二人でふざけて笑い合うことは、絶対に起きないんです。……私には、彼らの幸せな時間を再現することはできません。ヒースクリフ(あなた)にとっての「ラルフ」は)


 毒によって命を落とした。

 死に際の記憶が閃く。


 ――ラルフ様! ラルフ様! しっかりしてください。解毒薬を……、死なないでください。俺を置いて逝ってはだめです。命をかけて守るべき主君を目の前で死なせてしまった俺が、このまま生きていられるはずが……! あなたのいない世界で……!


 床に倒れる前に、ヒースクリフに抱きとめられて、そのまま抱き上げられた。

 事切れる、終わりの瞬間までヒースクリフの叫びを聞いていた。

 言葉は胸に浮かぶのに、声がまったく出ず、彼の呼びかけに応えることはできなかった。


“いまは辛くても、大丈夫。悲しみは一生続くことはない。いつか癒える。すぐには無理でも、君はまた笑えるようになる。

 絶望に囚われないで。

 僕はもう一緒にいることはできないけど、君の幸せを永遠に願っている。

 笑って、ヒースクリフ。

 君の笑い声が、僕は好きだよ”


(言いたいことが、たくさんあった。毎日顔を合わせて、伝えたいことは伝えているつもりだったけど、全然足りなかった。ラルフにとって、ヒースクリフはかけがえのない存在だった……)


 生まれ変わってヒースクリフと出会えて、ヴィクトリアは嬉しかった。同時に、とても悲しかったことを、知った。

 自分が自分である限り、ヒースクリフとラルフを会わせてあげることができない。


 言葉もなく、ヒースクリフと見つめ合う。


 風が吹き、噴水から噴き上がる水が、霧のように吹き付けてくる。気づいたヒースクリフが、寸前でヴィクトリアの顔の横に手を伸ばし、頬を水滴からかばうように大きな手のひらを開いた。


「……少し、濡れてしまいましたね」


 押し殺したような声で、ヒースクリフが言う。


「大丈夫です、すぐに乾きます。今日は、とても良い天気ですから!」


 彼と見つめ合い、見開き過ぎた目が痛くて、涙が出そうだった。ヴィクトリアは、真剣な表情で息を詰めて自分を見守っているヒースクリフに笑いかける。揚げパンを両手で持ち直して、ぱく、とかぶりついた。

 思ったほど口に入らず、やはりこの体はラルフとはサイズ感が違うと思い知りながら、咀嚼して飲み込む。

 懐かしい、甘みと味わい。


「美味しいです」


 唇に砂糖と油がつく感触があったが、ヴィクトリアは二口目、三口目と夢中で食べた。ヴィクトリアとしては初めて食べるのだが、自分の中のラルフが喜んでいるのを感じた。


「本当に美味しいと、俺も思いました。ずっとここに来たかったというあなたと、こうして一緒に食べる機会をいただけて、良かったです」


 ヒースクリフも揚げパンを食べるのを再開しつつ、しみじみとした口ぶりで言う。

 言われたことを考えてみて、ヴィクトリアは「はい」と肯定した。


「とても美味しいです。幸せな気持ちになりました」


 私もあなたと一緒に来ることができて、良かったです。

 続けたかった言葉を、呑み込む。


 ヴィクトリアにとってそれは本心だが、ヒースクリフが本当に一緒に来たかったのは自分ではなく、ラルフであるとわかっているから。

 自覚すると切なくて、ヴィクトリアは揚げパンに集中しているふりをしてもくもくと食べ進める。


「美味しいですけど、なにか飲み物も欲しくなりませんか?」


 一個、簡単に食べ終えたヒースクリフから、声をかけられた。


「そうですね。飲み物の屋台もあったはず。ええと……」


 思わず、ラルフの記憶を探りつつヴィクトリアは辺りを見回した。

 そのとき、視界に見覚えのある人物が入り込んできた。


「良いもの食べてるね~! なにそれ、美味しそう!」


 にこにことしながら、ベンチへと歩み寄って来るエドガー。ヴィクトリアより一瞬早く気づいていたらしいヒースクリフが、素早く立ち上がる。


「エドガー様、予定の変更がありましたか」

「変更というほどでもないけど、隙間時間に『お忍び』で街を見に来たんだ。護衛はついているから、ヒースクリフは気にしないでくれていいよ。デートの邪魔はしない」


 そう言いつつも、ヴィクトリアの横、ヒースクリフが座っていたのとは反対側にあたる左側に腰を下ろす。そして、ヒースクリフが抱えた揚げパンの包みを見て「私にもひとつ」と手を差し出した。


「それと、飲み物も。エールの移動販売があった」


 気安い注文に対し、ヒースクリフはきっぱりと「いけません」と断り文句を口にする。


「殿下は、市井の毒見もしていないものを、口にすべきではありません。信頼できる店で調理された料理だけを召し上がってください」


 毒見、という言葉にヴィクトリアはドキッとする。

 エドガーは、なんでもない様子で楽しげに笑った。


「ヴィクトリア嬢が食べているんだよ。私だって食べて良いだろ。飲み物にしても、買って二人で飲むつもりだったんだろ? 彼女には毒見が必要なくて、私には絶対必要だと思うのはどうして?」


 む、とヒースクリフは黙り込んだ。


(一介の貴族の娘と、隣国の王太子は同列ではない、と思います! でも、ヒースクリフが私の前でそれを言うと、私を軽んじている意味になると、悩んでしまったのでしょうか……。私は言われてもべつに構わないんですが。身の程はわきまえておりますので)


 助け舟を出したほうが良いと判断し、ヴィクトリアは出過ぎないよう気をつけつつ、明るい声で言った。


「殿下には、安全なものを召し上がっていただきたいと、私も思います。買い食いなど、従者の皆さんもハラハラなさるのではないでしょうか」


 ちらっと、エドガーが視線を流してきた。含むものがあるような、目つき。ヴィクトリアは受けて立つとばかりに、姿勢を正す。視線がぶつかると、エドガーが相好を崩した。自分の唇に人差し指の先をあてて、笑いながら言う。


「君のように綺麗なお嬢さんが、口紅が落ちても夢中になって食べるものを、私も食べてみたい。君とヒースクリフが無事なら大丈夫だよ。もしお腹が痛くなるなら、そのときは三人一緒で」


 ヴィクトリアは、手で口元を覆った。


(気を付けて食べたつもりでしたのに! 砂糖と油でべたべた! 恥ずかしい……。《エドガー、君は女性に向かって、なんてことを言うんだ》)


 女性をからかってはいけない、と心の中でラルフが諌めたがっている。その一方で「三人一緒」という言葉にほだされかけてもいた。前世では、エドガーとも仲が良かったのだ。

 ふう、とヒースクリフは吐息をしながら、揚げパンの包みを丸ごとエドガーに手渡す。


「飲み物を買ってきます。念の為、全部は食べないでください。ここを離れますので、ヴィクトリア嬢をよろしくお願いします」

「了解。いってらっしゃい!」


 ベンチから離れる旨を示したヒースクリフを、エドガーは快活な態度で送り出す。ヒースクリフはまだ何か言いたげだったが、ヴィクトリアに向き直ると言葉少なく「お酒は召し上がりますか」と尋ねてきた。


「普段、飲んでいません。レモネードとか、ミント水といった飲み物もあると思いますので、お願いできますでしょうか」

「わかりました。エドガー様をよろしくお願いします」

「はい!」


 ヴィクトリアは元気に返事をした。


(エドガーに私を託したのに、私にはエドガーを頼んでしまうなんて……。ヒースクリフは心配性でしょうか)


 彼の中で、それで筋が通っているのなら良いでしょう、と。

 頼られるのはなんだか嬉しい。


 立ち去る背中を見送りつつ、さしあたりエドガーが食べ過ぎないように見張っていようと思いながら、ヴィクトリアはエドガーへと視線を戻した。


 嬉しそうに揚げパンを手にして、早速かぶりついていたエドガーは、気づいて目を向けてくる。ヴィクトリアがにこっと笑いかけると、すぐに笑い返してきた。

 見覚えのある翠の瞳。

 エドガーとの思い出も、ヴィクトリアの中でいくつもよみがえってくる。懐かしい、とほのぼのしたところで、微笑を浮かべたエドガーが口を開いた。


「この揚げパン、君もヒースクリフも好きだったよね。私もすすめられて食べていたんじゃないかな。美味しいのは知っている」


 相槌を打とうとして、ヴィクトリアは思いとどまる。心なしか、妙な言い回しだと思ったのだ。

 その心を見透かしたかのように、エドガーは笑顔で続けた。


「久しぶり、ラルフ。私のことは覚えているね? 君はそこにいるんだろう?」

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✼2024.9.13発売✼
i879191
✼2025.2.13配信開始✼
i924809
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