第二十五話:虚無と呼び声
憤りのまま、魔界に帰ったふたりの前に、整然と並ぶ高位魔族たち。
みな、みな、青い顔だった。
自分が加担した事柄への恐怖と、これから行われる粛正に怯えていた。
彼らを一瞥し、竜族の長は眉をゆがめた。
彼らを見やって、獣族の長は忌々しそうに目を眇めた。
そして、魔族、魔物の長である魔王閣下は。
青銀の瞳に嫌悪を浮かべそこにいた。
魔王の傍らに進むは魔族。竜の長。獣の長。
彼らはしばし瞳をあわせ、それから、彼らのほうを向いた。
途端に高まる緊張感。
裁定を待っている魔族たちは、ただひたすらに平伏し、怒りが過ぎるのを待っている。
魔王の怒りがどれほどのものか、謀りかねていた彼らは、逃げる事も、謝罪する事もできずにいた。
「・・・よくもまあ、これだけの数を揃えたものだな」
アマレッティが呟く。
「ガーランドとマクギーが連れてきた。何も言えずに震えているだけで、埒が明かない・・・」
アルファーレンがそう続ける。
「魔王に楯突く意味を知らずに加担した馬鹿な奴らじゃな」
リアナージャの言葉にいっそう震え上がった彼らは、顔色を悪くし、縋るように貴人を見上げた。
そんな彼らを尻目に、アルファーレンがリアナージャを流し見た。
「・・・首尾は」
その問いには、リアナージャもアマレッティも、舌打ちするしかなかった。
逃げたのだ。逃がしたのだ。キリエを!
「・・・消えやがった!腹ん中の記憶ごと、霧散した!」
「目の前で消えおった。忌々しい・・・」
腹立たしく言い募る、義兄弟を冷めた眼差しで見て取って、魔王閣下は落胆している自分に気が付いた。
落胆したのだ。記憶を追う意味さえ判らないのに、追わなかった自分を責めている自分に気付いて、彼は憤った。
それもこれも、すべては、この事態を引き起こした彼らのせい。
魔王を操作しようと企んだ、愚かな魔族たちのせい。
彼らを前に現れた、ようやくの怒りは、翻り見れば、己への怒りであった。
アルファーレンは自分への怒りを理解した。
記憶を求めなかった自分。
記憶を追わなかった自分。
それを後悔しているのだと・・・始めて思い知ったのだった。
「消えたものは仕方が無い。・・・仕方が無いが、腹立たしい・・・」
こんな事態を二度招く気はさらさらなかった。
だから。
彼は、彼らは、非道になる。
魔族の長に楯突いて、生き永らえることができるなどと、甘く見られてはいけないのだから。
せいぜい恐れおののいて自分の罪を見つめるが良い。
「・・・あの男の言葉じゃが、魔王は至高の存在じゃ。その魔王を謀ろうなどと、おこがましい思いを抱いた罪は重いぞ」
「・・・到底、貴様らの命ひとつじゃ、購えないな・・・」
「・・・今後のために、貴様達には生贄になってもらおうか?」
そう言って微笑んだ彼らは、禍々しいまでに美しかった。
魔族たちの拷問はそれぞれが、這い蹲り、殺してくれと懇願するまで(懇願されても続けたが)続けられた。
ある者は生きたまま、魔獣のえさとなった。息絶えるまで己が目でそれを見続けた。すぐに死ねないよう、処置を施されていたのだ。だが、彼はまだ序の口だった。
ある者は、自分の四肢が少しずつ切られていく感覚を、死してなお味わえるように不死者にされた。息絶えても、また次の瞬間には再生する手足を細切れにされ、男は泣き叫んだ。
ある者は魔族の中でも最も忌むべき輩に連日犯される為に、堕とされた。
またある者は、骨という骨を砕かれ、砕いた骨の変わりに木の棒を差し込まれた。
またある者は、関節を全て逆方向にねじられ、身動きできなくなった後、魔獣の群れに放り込まれた。犯され、噛み付かれ、助けを乞おうにも伸ばす腕は在らぬ方に伸ばされる。
身体をねじられ続け、体液すべてを搾り取られるまで続けられた輩もいる。
およそ、魔族といえども、目を背けたくなる光景を、彼ら三人は目を逸らすことなく見続けた。
それでも、癒えないこの虚無感。
じりじりと身を焼く怒りに我を忘れてしまいそうになる。
「・・・生温い」
魔王の呟きが魔族どもの耳に届いた。
拷問され、いつ死んでもおかしくない彼らの泣き声よりも、よほど小さい呟きが、どこまでも重く、どこまでも耳に響いた。
いっそ狂えたなら、楽なのだろう。涙を流しながら死を待つ彼らの思いは、魔王には届かない。
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ひらり、ちかり、と光が舞う。
ひらり、ちかり、と。
・・・エイミール達は、リカンナドの王宮側の、小さな館に身を寄せていた。
ひっそりと過ごす彼らを見て、誰が魔族だと思うだろう?
ある日突然現れた、皇子の客人の噂は瞬く間にリカンナドの貴族達の耳に届いた。
魔法皇子の呼び声も高い、聡明なディレスの客人に早速目通りしようと画策する輩もいた。
だが、鉄壁の守りで、その屋敷に入ることも、近付く事すらできない。
目の前にある屋敷を目指して馬車を走らせても、なぜか、王宮前の時計塔に出てしまうのだ。
魔法による結界が敷かれていることに気付いた貴族達はまた更に慌てはじめる。
なぜなら、そこに足しげく通うディレスと、フォルトランの姿を認めたからだ。
仲が良いとは周知の事実だが、この皇子ふたりの同行は嫌が応も無く目を引いた。
日を空けず通う皇子ふたりの手に(フォルトランの手にだったが)、花や菓子があれば。
彼らの思う事柄はひとつ。
皇子の意中の姫君がここに隠されている!
レイが敷いた結界を、ディレス皇子が敷いたと勘違いした彼らは、ここに皇子の意中の姫がいると思い込んでしまった。
ある意味、ディレスは意中の魔法使い氏の下での修行に明け暮れていたのであながち間違いではない。
今日もレイの元で魔法を駆使して吹き飛ばされるディレスと、エイミールを見守るフォルトランの姿があった。
フォルトランの手土産は、花束。
エイミールの部屋に飾られ、居間に飾られ、玄関に飾られ、廊下に飾られ。
だが、しかし。
・・・気付けよ皇子ぃっ!と、レミレアは目で訴えた。
溢れてる。溢れてるよ!もういらねーよ!花の香りで溢れかえってるだろー!と、レミレアは目で更に訴えた。しかし、聞いているのか、判らない。
なぜなら。
フォルトランの眼差しは、エイミールに釘付け。そこからぶれない。
そして、今日も、レミレアは途方にくれる。溢れんばかりの花束を前に。
・・・どーすんのさ!これ!!!
「まったく毎日毎日。先生になるとは言いましたが、少しくらい気を利かせなさい。せっかく、嬢様とふたりきりなのに・・・」
とは、レイの言葉。ちなみにレミレアは数に入ってないらしい(不憫)。
「・・・待って!いても貴方は王宮に、来ないから!こちらから!来る以外、は・・・うわっ!」
間一髪逃れたディレスの真ん前で、不敵に笑う美貌の不死者。
風と光を交差し展開する速さに付いて行けず、ディレスはまたもや風を食らっていた。
吹き飛んだディレスの足元に歩み寄った不死者が、見下ろしてくる。
その黒い瞳。
「貴方の相手をしている間、あの銀の皇子が嬢様を独り占め(レミレア・・・)にするのですよ?これは、最早、私に対する嫌がらせですよね?仮にも師と仰いでおきながら・・・」
レイを取り巻く風の色合いが煌く光から、黒く冷たくなって行く。
それを見て、ディレスは背を粟立たせた。
「ちょっ・・・!まっ!待って、レイ殿!」
黒い風の塊がディレス目掛けて繰り出された。
・・・それって、八つ当たりって言うんじゃないですか!レイ殿ぉっ!!!
派手に吹き飛ばされる、皇子殿下を尻目に、レイの眼差しは館の一室を捕えていた。
一番良い場所にエイミールの部屋を定めた。風の通りも良いように精霊達にお願いもした。
包帯を外したレイの存在に気付きもせず、レミレアの問いかけにも応えない。
エイミールは日々、ただ窓から覗く景色を見ていた。
・・・いや、目に映しているだけで、見てはいない。
あの翠は何も見ない。
人形のようになってしまったエイミールの姿に、レイとレミレアは心痛める。
・・・エイミールは悲しみの渦から抜け出せずにいた。
目を閉じると、冷たい瞳が、心引き裂く。
ふとした拍子に、射る眼差しに貫かれる。
お前など要らないと、物言う瞳に息が止まる。
・・・でも、レイやレミレアに心配はかけたくない。
だから、笑おうと思うのだけれど、笑えない。声を出そうと思っても、できなかった。
そもそも、どうやって笑っていたのか、声を出していたのか、思い出せない。
・・・堂々巡りで、うまく息ができない。
傷が治るのと同じ速さで、心が癒えるはずも無く。傷が癒えたのに、癒えない心を抱えて、ぼんやりと空を見ていた。
空は青い。
どこまでも、青かった。
風が心配そうに彼女の周りでくるりと回る。つむじ風が起きた。
風が髪を靡かせて、気を引こうと躍起になっても、今のエイミールに、彼らと戯れる気はなかった。
ただ、そこに在る。・・・それだけだった。
・・・だから、それが現れた時も、精霊だと思ったのだ。風の精霊が気を引こうと集まったのだと思ったのだ。
・・・真っ白い子犬だった。
よろよろと現れたそれは、エイミールの側までやってくると、ぱたり、と倒れこんだ。
身動きしないまま、徐々に息が浅くなっていく。
それをぼんやりと見ていたエイミールの胸が遠くで警鐘を鳴らした。
息が浅い。身動きすらしない。
どんどん、衰えていく呼吸に。
自分が、重なった。
よく見ると、怪我をしている。白い毛皮が所々赤い。
上下する胸の動きに目を凝らし、エイミールは震える手を伸ばした。
そっと、触れる。
・・・あたたかい。
でも、このままだと、死んでしまう。
誰にも、気に止められないまま、死んでしまう。
息ができなくなって、手足が凍るように冷たくなって、死んでしまう・・・。
エイミールの頭の中には、それは嫌だという言葉しか浮かばなかった。
あわてて抱え上げて、血で汚れるのもかまわずに抱き込んで、声を。
・・・上げた。
「たすけて。・・・だれか、たすけて」
か細い声に、何があったと駆け込んだ彼らを待っていたのは、ぐったりした子犬を抱えたエイミールだった。
しっかりと周りを認識している翠から、零れ落ちる涙に一瞬焦った不死者は、気を取り直して、子犬を受け取った。
共に駆け込んできたフォルトランが、すかさず、治癒の術を始めてくれたおかげで、子犬は傷を癒していった。
その犬を黒い眼差しで射抜きながら、孤高の不死者は考える。
結界は完璧だった。
レイの許しが無ければ結界に近寄る事もできないはずだ。
ループする空間に繋がり、ここを訪れることなく別の空間に移動するはずなのに。
子犬は、傷付きながらも、エイミールの部屋にやって来た。
・・・この犬、一体、何なのか。
レイは、考える。