第二十一話:存在と不在
エイミール嬢様をつれて逃げる。
いつもであれば、すわ駆け落ち!とのたうつところだが、話が違う。
駆けに駆けて、少しでも魔王の魔力の届く範囲から逃げ続けた。
心臓が悲鳴を上げるが、速度を緩める事ができない。ひたひたと、背後に忍び寄る影に怯えていた。
「・・・レミレア!追っ手は?」
「・・・見えない!」
常にない真剣な声が返る。
あたりに探索の風を使わせて、追っ手がいないことを確認する。目視だけでは安心できなかった。
追っ手がいないことを確かめてから、レミレアに頷くとレイは速度を落とし始めた。腕の中のエイミールを見る。
顔は青白く、虫の息だった。頬に掛かった金の髪も血に塗れ、腕から滴り落ちる血の色に背筋がぞっとなった。とめどなく流れる涙が哀れを誘う。
胸が痛かった。
「レミレア、嬢様がもう持たない。下りて、どこか休める場所を探さねば」
「だけど、どこに・・・」
ざっと足下を見渡せば、魔界領域の端、ダウニーへ入り込んでいることに気が付いた。
うっそうとした森の中なら追っ手の目も眩ませるし、薬草もあるだろうと検討つけてレイとレミレアはダウニーへ降り立った。
居心地の良さそうな木陰を見定めて、そこにそっとエイミールを降ろした。
・・・酷い傷だった。
背中に刺さった小さなガラスや木片を抜いていく。縦に裂かれた傷口から滴り落ちる血の色が痛ましかった。悲鳴を上げることもできず、身をわずかに震わせるだけのエイミールに、危機感を感じた。
応急処置を施すにも、手元に何もないのが痛かった。レミレアが自分のシャツを引き裂きながら、レイに問いかけた。
「治癒の術は?あんた、魔法使いだろう?」
レミレアのその言葉に、今一番打ちひしがれているレイだった。
治癒術など、力の無い者が学ぶ術だと侮っていた。
自分が傷つかないほどの力を内包しておけば良いと思い込んでいた。
過去自分が習得した術は、破壊を中心とした強大な術ばかりで、更に内在する力全てを攻撃力にする為に黒魔法に手をだした・・・。力なく首を振る。
「・・・治癒術は、使えない・・・。黒魔法士とはそういう者なのです・・・。ですが、幸い、薬草の知識はあります」
そう言って、レイはレミレアにエイミールを預け、薬草を探しに森へ入った。
傷口を洗うための水も欲しかった。
精霊を呼んで水のありかを尋ねると意外に近いところに川が流れている。
それにほっと一息ついて、さあ、水をくもうと近付いたら。
・・・人間と出くわした。
ふたり組みの、若い青年だった。
「「・・・精霊使い!」」
・・・しかも、向こうは一方的にこっちのことを知っているようだ。
「・・・失礼な」
「ま、まて!」
「・・・うるさいな。私は忙しいんです」
そう言って眉間にしわを寄せ、苛立ちのまま背を向けて、しかし、待てと足を止めた。
相手は人間。怪我もすれば死にもする。それでは?
レイは改めて顔を向けて黒髪と銀髪に尊大に尋ねた。
「・・・少しモノを尋ねます。あなた方、治癒術は使えるか?」
「治癒?フォルトランが得意だぞ。誰か、怪我でもしたのか?」
・・・若い男ふたり組みは、アリアナのフォルトランと、リカンナドのディレスだった。
訝しげに尋ねてきたディレス・・・黒髪にレイは頷いた。
「使えるのなら話が早い。手を貸しなさい」
慇懃な態度でお願いをしているようだが、それは懇願ではなく命令だった。
ディレスの眼差しにフォルトランが頷いた。頭が痛い。
「・・・なんにせよ。困っている奴に手を貸すのは良い事だ」
たとえそれが魔族だろうが、人間だろうが、さ。
そう言って、急ぐレイの後に付いて行き。
・・・彼らは天使に出会う。
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痛みに気を失い、襲う痛みに眼が覚める。
目を覚ましても、冷たく研ぎ澄まされた青銀の眼差しが、モノを見るようにこちらを見るから、胸が締め付けられてまた気を失う。
夢と現をさまよって、エイミールは何度目かの邂逅を果たした。
銀の髪が月の光のように、しゃらしゃらと、落ちて来る。
静謐な香りが、鼻腔に届き、それでようやく安堵のため息をついた。
うっすらと見上げる先に、心配そうな眼差しの・・・青。
銀の髪に縁取られたその顔が、今は良く見えなかったが、胸を震わせるほどの安心感が押し寄せる。
そっと手を伸ばした。
また、弾かれるかもしれない。
その思いが、腕の動きを鈍らせる。
繋いで欲しかった。
この手を取って、離さないでいて欲しい。
「・・・に、・・・さま」
呟いて、拒絶の畏れに震えたエイミールの手は今度は弾かれることなく、温かい掌に包まれる。
それにほっと息をつき、眦から涙を零し目を閉じた。
・・・ああ。やはり夢だったのだ。
あれは酷い夢だったのだ、と思いながら、エイミールは今度こそ幸せな夢を見る。
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「・・・眠ったようだ。レイ殿」
治癒の術式を、構築し展開したフォルトランが、そう呟いて、レイとレミレアはほっと安堵の吐息をついた。
「間に合ってよかった。こんな酷い怪我、どこで受けたのだ」
ディレスが痛ましげな顔をエイミールに向けた。
小さな女の子が、受けていい傷ではなかった。
「・・・そもそも、あんたたちはどうしてここに居るんだ」
ディレスのもっともな問いに、レイは沈思した。
なぜ、とは彼が問いたい事柄だった。そもそも、なぜ、あの魔王閣下が、よりにもよってエイミール嬢を痛めつけたのだ?
あの眼差しを思い出し、レイは背中をあわ立たせた。冷たい眼差しだった。あんな眼差し、嬢様に向けるものではない!
・・・そんなレイとは対照的にレミレアが苦い顔をし、呻くように言葉を発した。
「・・・夜の眷属だった。夢魔の一人で・・・キリエの術は記憶を喰うんだ・・・」
「記憶喰らい?では、魔王閣下は・・・!」
「・・・魔王だけじゃない。・・・アマレッティさまも、リアナージャ様もだ・・・!あそこにいた側近全て、ねえさまの記憶を喰われている・・・!!!」
レミレアは泣きそうな顔で、更に続けた。
「・・・キリエだった!ずっと、檻に繋がれていたあいつが、なんで今、魔王閣下を襲うんだ?・・・襲うなら俺だろう?あいつを迫害していたのは、夜の眷属なのに!教えてよ、レイ!なんで、あいつ、ねえさまの記憶だけ喰ったんだ!?」
「・・・私のほうが、聞きたいですよ・・・。ですが、そうですか、記憶喰らい・・・だから、ですか。魔王閣下の変貌は」
そう言って痛ましげな眼差しでエイミールを見た。
エイミールは今は安らかな顔で、眠りについていた。
治癒の術式のもたらす淡い光の中で、フォルトランの手を握り締め。
仄かに血色の戻った頬が、危うい影を作っていた。
それを見つめて、レイ・テッドはおもむろに包帯を解き始めた。
それをぎょっとした顔でレミレアが見つめる。
「レイ!・・・い、いいのか?」
「魔王閣下がいないのです。それにそろそろ嬢様に素顔を見せてもいい頃でしょう。レミレアも、覚悟なさい。魔王閣下が混乱なさっている今、嬢様が見つかればそれは死を意味します。閣下の混乱が収まるまで、閣下の目から隠さなければなりません」
そう言ったレイの目は本気だった。
本気でエイミールを隠し切るつもりなのだと思い知った。
魔王を相手に真っ向から歯向かおうとする不死者の意気込みにレミレアも、覚悟を決めて頷いた。
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・・・そんなふたりを横目に、フォルトラン・デルサは戸惑っていた。
・・・ディレス・レイも戸惑いを隠せずにいた。
目で話す、ふたり。顎をしゃくって注意を促すディレスにフォルトランがうなずく。
・・・年頃も、容姿といい、転生の女神にぴったりな少女だった。
だが、フォルトランはディレスの目を見て、首を振った。
ディレスの目が驚愕に染まる。
・・・フォルトランはもう一度、首を振って否定を示した。
治癒の術式を展開する時、傷を見極める為にフォルトランは少女の全身を見ていた。
そこには、転生の女神のシルシである花の文様がなかったのだ。
ディレスが見る見る萎れていく。
だが、フォルトランは、わきあがる思いに胸を熱くしていた。
・・・酷い傷だった。
引き裂かれたような体の傷は、背中が一番酷く、これだけは痕が残るだろうと思われた。背中に縦に二本の傷は、まるで羽をもがれた天使のようだ。
・・・いや、天使に違いない。
豪奢な金髪。白皙の肌。赤い唇は、わなないて。それからうっすら目を開けた。
薄く見開かれた翠の目。虚ろに誰かを捜していた、その眼差しに囚われた。
涙を浮かべて縋りついた細い腕。赤い唇が目に痛い。
畏れに震えた小さな手を、咄嗟に繋ぎとめたのは、このままでは少女が儚くなってしまうと思ったからだ。
大丈夫だと、心配は要らないと、声にするでもなく伝えてあげたかった。
だから繋いだ手を、少女が握り返してくれた時。
その翠の瞳が自分を捕らえて、淡く微笑んだ時。
・・・歓喜が襲った。
生きようとしているのだと、諦めてはいないのだと、知らせてくれた少女の手。
暖かさが胸を打った。
フォルトランは、エイミールの手を掴んだまま、ただじっと、エイミールを見つめていた。
・・・フォルトラン・デルサ。落ちました。
後、裏に未来予想図アプ。