第十一話:おつかいと義妹
・・・魔界と人界は、険しい山脈で分断されている。
一介の人間が踏み込めば、死を免れる事など無い、険しくも荘厳な立ちはだかる壁。
前人未到の豪峰。
あたりに満ち満ちた魔力の渦が人間の踏襲を阻むのだ。惑わしの魔力渦巻く山脈の尾根。
それが、魔の葬剣と名高い、ガズバンドのダウニー山脈だった。
だが、もちろん、魔族にとっては気軽に登れる山にしか過ぎない。
彼らにとって、ダウニー山脈は鼻歌交じりで散歩する、ハイキングコースでしかないのだから。
魔力のほとんど無いエイミールにとっても、そこは馴染みのお散歩コースだった。
だから。
エイミールが普段着で(総レース、アルファーレン選)山すそを籠待って歩いていても、誰も気にしない(魔王閣下以外は)
「エイミール、ダウニーへ行くのか?・・・まさか、ひとりで?」
アルファーレンの声にエイミールは頷いた。
「はい!にいさまのお好きな木苺がそろそろ熟す頃なので!」
「待て。一人でなど行かせられるはずあるまい。今、私も」
「大丈夫ですよ、にいさま!レミレアの言葉だと、私、もう十八らしいですから!身体は小さいですけど、もう大人なんです!」
そう言って、エイミールは小さな胸をえへんと張って見せた。
その仕草にくらりとした魔王閣下は、その小さな胸に己の顔を埋める日を妄想した。
・・・精神的に十八ならば、もういいか?と、悪魔の声。
いや、だめだろう、俺!と、天使の声。
サイズが合わな過ぎて、エミーが傷ついてしまう!とか何とか暴走を始めた魔王閣下の脳内。
・・・どこのサイズ?何が合わないの?なんて質問はいけません。
と、無表情のまま、脳内で理論を戦わせている魔王閣下を尻目にエイミールは尚も続けた。
「一年で三歳分大きくなるんですって!私は体が成長しない分、精神的に大人になっているんだろうって!レミレアが!」
なら、体の小ささで子ども扱いされるのもおかしいですものね!だから、もう、一人で行こうと思うんです!
「・・・ほう・・・レミレアが・・・ね・・・(そう言って保護者を足止めし、自分だけが合流するつもりだな!)」
姑息な。
魔王閣下の揺らぐ瞳を不思議そうに見つめて、それからエイミールは微笑んだ。
それは、ほのぼのとした、心温まる笑みだった。
「にいさま、お仕事頑張ってくださいね!エイミールも頑張って木苺摘んできますから!」
「・・・仕方が無いな。では、これをもっていけ。お守りだ」
アルファーレンは自分の指から指輪をひとつ抜き、エイミールの指(もちろん、左薬指)にはめさせた。
だが、サイズが合わずに緩んでしまう。ちっと舌打ちをしたアルファーレンは、己が髪を引き抜いて、魔力を込めた。
青銀の髪ひとすじが輝きを潜めると、そこに現る、青銀の鎖。
それに指輪を通し、エイミールの首にかけてやった。
エイミールの華奢な首を彩る自分の色に、アルファーレンは満足すると、エイミールを送り出した。
アルファーレンの隣で、エイミールを心配そうに見つめてアマレッティはダグニーを見あげた。
「・・・兄上。やっぱり心配だから、誰か・・・レイにでも付いて行ってもらおうぜ」
「ああ。護符の指輪だけでは遮られる物に限りがあるからな。レイ・テッド。エイミールの後をつけていけ」
「御意」
「あ!俺も!俺もー!」
そう叫ぶレミレアには、アルファーレンとアマレッティが声を揃えて。
「「貴様は却下」」
レイの教えもあって、最近彼女は、精霊達を身近に感じられるようになっていた。
今日も、風がそこここで優しく揺らいで、彼女の金の髪を遊ばせている。
その揺れる金髪を、遠めに微笑ましく見つめるゾンビがここに一人・・・。
・・・ああ、眼福です!嬢様!
なんて可憐なんでしょう!絵になりますな!
己の幸福に打ち震えるゾンビ。
・・・やはり、魔王閣下、想定外のこのポジション!おいしすぎる!
ゾンビぶらぼー!ゾンビになって良かった・・・!
そんな変態に見守られているなんて知らないエイミールは風の精霊と戯れていた。
(嬢様、あっちに木苺あるよ)
(あっちには山葡萄が)
(嬢様、ここに、甘い実がなってるよ)
「わあ。ほんとだ!ありがとう!」
嬉しいな。
木苺で何を作ろう?アルファーレンにいさまのお好きな木苺のパイかな?
それとも、山葡萄のジュース?ああ、リアナージャねえさまは果実酒のほうがいいかな。
アマレッティにいさまのお好きなジャムクッキーも作りたいな。
それから、いつもお仕事を頑張ってくれている、執務室の皆さんの口に合う一品を、何にしよう・・・?
考えている合間も手は動き、木苺を摘んでは籠に入れるを繰り返す。
単純作業ゆえの没頭。
警戒すら必要の無い、日常の空間。
なぜならば、ここは魔族の庭。
・・・精霊達も、エイミールも、すっかり油断していたのだ。
ひとしきり摘み終わって、ほっと一息をつく。
これぐらいあれば、みんなの分に間に合うはず。
服についた小枝や、葉っぱを指で丁寧につまみ上げ、さて、城へ帰ろうと籠を待ち上げた時。
あたりに緊張感が走った。
「嬢様!伏せてください!」
レイ・テッドが警告の声を投げつける。
え?と思う間もなく、一斉に、射掛けられた。
煌く銀光。大地を縫い付ける刃の音。その重量感溢れる音の連続。
その、冷たい音。硬く鋭利な、研ぎ澄まされた。
「レイ?」
「っ!嬢様お怪我は?」
「レイ!血が!」
「・・・なぁに。これしきの傷でゾンビは死にません!何しろ、すでに死んでおりますからな!」
身の内を流れる命が、その異物を伝わって滴り落ちる、その恐怖。
レイの身体に取りすがって、エイミールは傷を調べた。
「大丈夫ですよ、嬢様。それより、嬢様こそ、傷は?怪我はありませんかな?」
「わ・・・私は大丈夫!どこも痛くなんか無い」
「それは良かった!では、嬢様、立って走れますか?きっとここに新手が来るでしょうから」
「これ抜けば・・・わたし、抜くわ!」
「・・・嬢様、触れてはなりません。これは魔族を封じる為の術具。何、この程度の術具このレイに掛かれば、すぐに!」
「レイ!」
レイ・テッドが無言で己が身体を刺し貫いていた術具を引き抜いた。尖った槍をぽいと放り投げ、いつものように顔をエイミールにあわせた。包帯の影でにこりと微笑む。
「さあ、ここは私に任せて、エイミール嬢様は魔王閣下にお知らせしてください」
「にいさまに?」
「そうです。魔界の一大事です。ここまで人間がやって来た証拠ですからな!」
「あ!」
「恐らく、嬢様の指輪が魔王閣下に異変は知らせているでしょうが、一刻も早く、嬢様は城へ!」
「は・・・はい!」
すくっと立ち上がる。足がすくむが気になどしていられない。
エイミールはいま自分ができる事を成そうと思った。
無力な自分。
アマレッティにいさまのように早く走る事も、リアナージャねえさまのように空を翔ることも。
レミレアのように羽も無ければ、レイの様に強大な魔法力も無い。
敬愛するアルファーレンにいさまのような、圧倒的な魔力も無い。
では、何も出来ないとうずくまって震えてる?
否!
ダウニーに入り込んだ人間に捕まらないよう逃げる事!逃げて、そしてにいさまに伝える事!
私がやるべきことは、それ。
「レイ!先に行ってにいさまたちに知らせます!それまで、どうか、無茶をしないでね!」
エイミールはそうレイに告げると、脱兎の如く走り出した。
「嬢様も!無茶はいけませんぞ!」
「はい!」
駆けて行くエイミールの背中に、レイは魔法をひとつ、授けた。
見る見る、エイミールの姿が薄れていく。不可視の魔法。さらに、まわりで息を飲んでいた風の精霊に声をかける。
「・・・行け。守ってくれ」
風の精霊がエイミールを追っていくのを見届けて、レイ・テッドは包帯の影で、安堵の吐息をついた。
おもむろに立ち上がる。
風がまわりに集まってきていた。
濃い精霊の気が満ちる。
立ち昇る、揺らめくような魔力の渦。
その中で、レイ・テッドは今は煌く黒い眼を来る者に向け、力を全身に駆巡らせた。