第九話:小さな魔法使い
魔法使い。それはこの世の中で両手で数えられるほどしか存在しない鬼才である。
俺があの人から聞いた話だと、現存しているのは五、六人程度だという噂である。
魔法に必要なのは「血」と「魔法石」である。
自分が魔法石と相性の良い血を持っているかどうか。
言ってしまえば才能である。
そして「魔法石」を使いこなすには莫大な知識と経験が必要である。幼少期から研究を重ねて、深海に生息する正体不明の化け物の能力を模倣する。そうした過程を経て、始めて魔法を使うことができる。
この過程はおよそ70年間かかると言われている。
人生のほとんどの時間を賭けてそんな博打をする変態などそうそう居ない。
———
「魔法使いが家に来る、ですって!?」
衝撃でノノさんは持っていた食器を落としてしまう。
「何でも、ご挨拶がしたいんだと。どうせ深海生物のテイムを頼まれるだけだろうけどな」
セトさんはいつにも増して不機嫌だ。
最近のお気に入りの場所は家の中にある鳥籠である。
朝昼晩、一日中モフモフの布団でゴロゴロするのは至高である。
目を細めながら二人の会話を聞いていると、「ただいま」という声と共にラッキーが学校から帰ってきた。
「喧嘩でもしてたの?」
割れた皿と不機嫌そうな父親を見てそう感じ取ったのだろうが、的外れだ。
「魔法使いがこの家に来るんですって、そういうことは早く言ってよ〜」
ノノさんはいそいそと皿を片付けて家の掃除を始めた。魔法使いというのはそんなに高貴な人なのだろうか。礼儀を払うべき存在なのだろうか。
魔法使い…何度聞いても胡散臭い存在だ。
言ってしまえば俺を実験体にしようとした研究員たちとあまり変わらない、気色の悪い変態であるのだろう。なんとか会わないようにしないと…。
「魔法なんて嘘っぱちよ、どうせ手品でも見せて皆を騙してるだけ」
ラッキーは理論学校の学生。魔法という非科学的な力は信じないのは当然である。
さて、一体どんな老いぼれが来るのか、楽しみだ。
———
「お初にお目にかかります、セト•フォークタルト様、クロンと申します」
来たのは小さなお嬢さんだった。
おそらくマレンちゃんと同じくらいの年齢で、見たところ身長も同じくらいである。
「魔法…使い?」
セトさんから疑いの目を向けられて、「ここもですか…」と小声でボヤいている。
「お嬢ちゃん、本当に魔法使いなの?」
「左様であります、私の祖父から受け継いだ記憶を元に、魔力を操る鍛錬を重ね、魔法使いとなったのです」
「記憶を受け継ぐ…?」
「私の祖父は『記憶干渉魔法』の使い手でした。祖父は今までの記憶をすべて私に送信したのです、ですから私は『記憶干渉魔法』が使えるようになった、という訳です」
「じゃあ、試しにその鳥籠で寝転んでいる鳥の記憶を見てみてくれないか?」
セトさんは流れるように俺の方に指を差した。イタズラのつもりなのだろうが、あの人どの記憶が少しでも思い出せるかもしれないというのなら、万々歳だ。
「鳥…ですか?動物は大した記憶は持っていませんし、やる必要は…」
「逃げるのかい?自称魔法使いさん?」
セトさんの雰囲気が変わった。
目の奥から感じられる底知れない殺意にあてられて、クロンちゃんは思わず「ひっ!」と声を出してしまった。
「やりますよ、やれば信じてくれるんですね」
冷や汗をかきながら俺に杖を向ける。
胸ポケットから錬成陣のような模様が刻まれた木片を取り出して、詠唱を始めた。
「計り知れぬ思考の一遍よ、心の奥底に眠る記憶よ、今、汝の有する世界に羽ばたけ!
『リゾーヴパス』」
杖が光る。
その反動で目を閉じた途端、俺は巨大な穴に落下する感覚に襲われた。
…何も見えない。
視界は真っ白に染る。
何も無い、無の世界に来たみたいに。
「…帰ってき…言いなさいよ」
「あ、あれ…スパローじゃ…」
「いつか…見に行こう…」
音が聞こえる。音…いやこれは人の声だ。
反響していて聞き取りずらいが、ラッキーの声も聞こえる。
「…君は俺の分まで世界を見て来てくれ」
そんなこと言わないで、一緒に行こうよ…
俺は地面に叩きつけられるような感覚を感じた瞬間、目が覚めた。
周りを見渡すと心配そうに俺を見つめる四人の姿が。
「良かったぁ〜」
胸を撫で下ろし、全員が同時にその場に腰を下ろした。気付けば俺は、テーブルの上に移動させられていた。
「では、記憶の解析結果をお教えいたします」
クロンは淡々と俺の記憶、俺の気持ちを語り出した。その内容は、一言一句全て正しかった。
「合っていますよね?」と睨まれたので、俺は首を縦にブンブン振ってみせた。
「本当に賢いんですね、言葉も理解出来てしまうなんて…」
驚いたように口に手を当てて目を輝かせている。何だか誇らしい。最近決まった人としか会わないから褒められることが少ないのだ。
「スパロー、この家を気に入ってくれてるんだな」
セトさんはくす笑いした後、おもむろに額縁から焦げ茶色のハットを取り出した。
「じゃあ、深海生物のテイム協力するよ」
「えっ…」
“まさか協力してくれるなんて思っていなかった”
そんな顔をしている。
「おや、怖いなら大丈夫だが…」
「お願いします!」
クロンは目に涙を溜めながら顔を下げた。
それから家を出て鳥小屋に戻ると。
後ろから俺を追ってくる影が写った。
ラッキーだ。
「何でお父さんが協力しようか決めたか知ってるの?」
俺はすぐさま首を横に振る。セトさんの心なんて読めるはずがない。
「あんたがこの家を居心地良く思ってくれてるのか、心配してたからよ。あの子に魔法を使わせたのはあなたの本心を知るためでしょうね」
俺の…ためだったのか。
本当にこの家に拾われて良かった、改めてそう実感した。
数日後。
セトさんは疲れた顔一つ見せず帰ってきた。
「いやー手強かったね」と一言。
彼は本当に底知れない男だ。