第八話:あの人との約束
風に吹かれてゆらゆらと靡く葉っぱに、アリたちがせっせこ働いている枝。
そんなアリとは対照的で、隙間から漏れる日光を浴びながら身体を溶かすように枝の上でくつろぐ。
なんと平穏な日々だ、このまま一生ダラダラしていたい。そんな腐った考えは「早く降りて来なさい、スパロー」という罵声と共に消し去られた。
「今日は大事な話があるって言ってたでしょ!?」
俺は慌てて鬼に変貌したラッキーの肩に飛び乗った。
「全くだらしない…よくぞ伝書鳩とか名乗れたものね」と追い打ちをかけてくる。
俺たちはそのまま家まで急いだ。
「で、この手紙よ」
食卓には一家の大黒柱、セトさん。そして世話焼きのノノさん、ラッキー。その三人がテーブルに置かれている手紙を見ては俺の顔を見て、を繰り返している。
状況が掴めない俺は、仕方なく居心地の良いラッキーの肩から降りて手紙を至近距離で見る。
———月光が落ちるメダカの川にて待つ———
見覚えのある文字だ。どこで見たんだっけ…と頭をぐるぐる回転させて思い出を掘り返す。
手紙の右下には、スパロー宛だと書いており、日時と時間帯も記されている。
「それで、明日がこの手紙に記された日よ」
ラッキーはため息をつきながらそう言った。
「言わない方が良かったと思うんだけど」
「でも、もしスパローの大切な人からの手紙だったら…」
最近、家族の雰囲気が妙だと思っていたのだが、まさかこの手紙のことだったのか。
「スパロー程の知能を持つ鳥は、奴隷として捕えられることも多いから僕も反対だったんだけどね」
セトさんとラッキーは反対派。
ノノさんとマレンちゃんは賛成派。
という訳か。なんか性格が出てるな、こういうところにも。俺なら反対派だったであろう。
「行くか行かないかはスパローが決めることだし、好きにすればいいと思うけど…行くなら気を付けてね」
ラッキーはいつになく心配そうにそう忠告してきた。
普通なら絶対に行かない。
それに月光の落ちるメダカの川?検討もつかない。
だけど…この字に見覚えがあるのだ。どこかで見た事あるような…無いような…。
俺は一先ず「行かない」と意志を固めた。
モヤモヤしながらも、その日はいつもより早目に鳥小屋で眠りについた。
……。
「スパロー、僕の体が良くなったらいつか月を見に行こう。君の好きな水辺で。出来れば浅い川が良い、メダカが楽しそうに泳ぐ、澄んだ川でね」
優しい声でそう言ってくれる。
間違いない、あの人だ。
俺に世界を見せてくれて、自由をくれた、あの人。
白い髪が肩まで下りていて、髪の隙間から綺麗な耳飾りが見える、あの人。
「って言っても、あと何年生きれるかは分からないんだけどね」
ははは、とくす笑いしながら俺の頭を撫でてくれる。
笑いごとじゃ…無いと思うよ。
彼のそのような言葉を聞く度に、俺の心は締め付けられるように苦しくなる。
「じゃあ、お先に寝るよ、おやすみ」
彼はそのまま倒れ込むようにベットに入り、眠りについた。閉じた目から一瞬涙が見えたのを俺は見逃さなかった。
…。
目を開けた途端、日光が目に入る。
…あー、夢だったのか。目覚めてから数秒間、現実か夢か分からなかった。
月…メダカ…あっ!
そのまた数秒後に、夢を思い出した。
もしかして手紙の送り手は…。
思い立った瞬間には、無意識に体が動いていた。
メダカが泳いでいる、浅い川。どこにあるのかも、なんの手がかりも無い。だけど、ここで行かないと、ここで会わないと、きっと後悔する。
日が暮れるまでに見つけないと!
……気づけば夕方。
どれだけ探しても、それらしき川は見つからない。
ラッキーとか、心配してるだろうなぁ。
セトさんも探しに行っちゃってるかもしれないなぁ。
無意識に、諦める口実を探してしまっている。
俺の気力はもう尽きてしまっている。
何時間もフルで動かし続けた羽をピタリと止めて、地上に降り立つ。
「会いたかったなぁ…」
思い出されるのは、あの人との記憶。
どの記憶でも、あの人は俺に笑いかけてくれていた。
月を見よう、と言ってくれた日も。
そんな俺の視界をある影が通り過ぎた。影につられて上を向いてみると…カワセミが飛んでいるでは無いか。
普段なら同種を見つけてテンションが上がるところだが、今だけはそんな気分にはなれない。
そのカワセミは俺に気付くと、鳴き声を上げて羽をパタパタと動かしている。その姿が俺には、なぜだか「ついて来い」と伝えているような気がしたのだ。
俺は慌ててそのカワセミの後を追った。日が暮れるまで無心で追い続けた。
そして。
木々に囲まれている小川には、メダカが何匹も流れに逆らって全身を動かしている。
見つけたのだ、それらしき場所を。
しかし、”あの人”の姿はどこにも見えなかった。
やっとこさ見つけたのに…。
飛んだ無駄足だったな、と首をがくっと下ろしたその瞬間。
俺の目に光が差し込んできた。
木々の葉っぱの隙間から漏れ出した月光が俺を輝かしく照らしている。
この月、出来れば二人で見たかったなぁ…と帰ろうとすると月光に照らされている川石と川石の隙間がキラリと光を反射しているのが目に見えた。
そこには…あの人が付けていた耳飾りが挟まっていた。
あの人がここに来てくれていた、それが分かっただけで十分だった。
俺はその耳飾りを咥えて、今の家まで颯爽と帰った。
「何よ、その髪飾り」
帰るや否や、ラッキーが大切な耳飾りを奪おうとしてくる。俺のいつになく必死な姿を見て、そっぽ向いて家に入って行ってしまった。
俺が居なくなったことに気がつくと、案の定セトさんは俺を探しに出かけていたようだ。「何事も無くて良かったよ」と一言だけ。クールである。
マレンちゃんも、ノノさんも「おかえりなさい」と一言。
身勝手に出ていった俺を笑顔で迎えてくれた。
今はこんな家族に囲まれて暮らしていますよ、とあの人に話しかけながら、髪飾りを包むように俺は眠りに落ちた。
スパローの忙しくも、何だか心地よい生活はこれからも続いていく。