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第三十七話 温泉街の狂犬 1

鉄道を何度も乗り継ぎして、色々な景色を通過、そしてようやく見えてきたのが、セントラル。


「セントラル行くの初めてだから、割と楽しみなのよね」


駅弁を慎重に味わい、それから他愛も無い話を続けていた。

ここからは少し長旅になるが真っ直ぐ家に帰るだけなのだが…。


「この手紙、責任をもって届けないとね!」


手紙を届ける…というよりもセントラルでハネを伸ばすと言った方が正しいだろう。かく言う俺もやれやれ、と呆れつつも内心ではあの温泉を思い出しては、顔を溶かして待ち焦がれていた。


「ラッキー、そこの窓を少し開けてくれないか?」

「了解」


車窓が開くと台風の如く風が入り込んで来た。

吹き飛ばされそうになりながら俺はラッキーの髪の毛を掴んで何とか耐えていたが、視線が怖い。


窓を閉めたら叩かれるだろうと思い、咄嗟に逃げる体制を整えた。案の定窓を閉めると、ラッキーの拳は俺ではなくセトさんの元へと向かって振り下ろされた。


「窓なんて開けなくて良いでしょ!」

「こんなに風が入ってくるとは思わなかった…」


車内だと言うのに、家にいる時のボリュームで会話する二人から目を背けて俺は別の席を眺めていた。誰も座っていない、どこか寂しげのある四人席。



「中央会館前〜中央会館前〜」


ある停車駅にて。


一匹の犬が乗車してきた。二人は全く気付かず会話を続けていたが、別の席を眺めていた俺にはハッキリと見えた。


焦げ茶色をしている荒荒しい犬は俺の視線に気付き、「くってやろうか?」という目で睨んできた。


冷や汗を身体中に残して俺は視線を変え、さり気なく二人の会話に相槌を打って誤魔化した。


何だ、気のせいか…といった感じで先程俺が眺めていた席に座り込んだ犬っころは静かに、一歩も動かず終点まで乗っていた。



~~



「終点、セントラル、セントラル〜」


車掌さんのアナウンスにより、二人は目を覚ました。


「着いたね、じゃあ俺は宿を探しておくからラッキーとスパローは温泉街にでも遊びに行っておいで」

「ありがと!」


手紙を渡すのは明日の朝。

もう日が暮れたので一晩ここで遊び尽くしてから明日の出発に備えよう、という算段である。


俺の視界の隅にはのそりと駅を抜ける犬の姿が映った。

その顔はどこか寂しげで、気付けば姿を消していた。


「まずは温泉卵と、温泉饅頭を食べに行こーう!」

「キキー!」


俺の頭は犬のことなど忘れて、卵と饅頭で埋めつくされた。

前来た時はランダさんから牛乳を飲ませて貰った、食べ物関連の思い出はそれくらいしか残っていない。今回はこの街を堪能し尽くそうと気合を入れて街中を闊歩する。


「あの温泉卵が1ロード、あの温泉卵は7ロットか」


10ロットで1ロード。

大体1ロードあればキュウリ1本、またはジュース2杯程度。

温泉卵はお財布に優しい食べ物である。


「スパローは安い方ね〜…痛い痛い!1ロードの方買ってあげるから!」


少しつねったらこんな風に価値の高い方を選んでくれる。

前に一度髪の毛を引っ張った時は、怒りで何も買ってくれなかった。やりすぎも逆効果という訳だ。


「卵は丸々一口で行くの、こんな風にね」

そんな事を言われても俺の口で一口丸呑みなんてすれば窒息死してしまう。ラッキーのような口の大きさも噛み砕く歯も持ち合わせていない。


結局ラッキーの看護付きで少しずつちまちま食べる事になった。何とも悔しい限りである。俺が体に求めるのは、どれだけ小さくても良いから歯が欲しい。切実にそう願う。



「次は温泉饅頭ね、どこにあるのかな…」

「キャー!」


温泉街をキョロキョロと見回しながら温泉饅頭を探していたところ、何やら事件性のある女性の悲鳴が聞こえてきた。


緊急事態だと察知して、ラッキーの肩から悲鳴のする方まで一気に飛んで行った。


何軒もの家を超えて俺が目にしたのは、電車にいたあの犬である。



「お姉さん、下がって!」

「狂犬イリスだ、刺激するなよ!」

「分かってるよ!」


女性と警備員に威嚇するその犬は名前がつけられているようで、狂犬扱いされていた。


警備員が容赦なく刀を振り下ろそうとする。

狂犬と言われているということは、恐らく人を襲いでもしたのだろう。


「止めて!」

犬と刀を振りかぶる警備員の間に、滑り込むように一人の女の子が飛び込んできた。


「この子は悪くないの!皆がそうやって虐めるから、この子は威嚇してるだけで、決して乱暴者じゃないの!」


必死に弁論する少女だが、当然相手にはされない。


「お嬢ちゃん、この子は凶暴な犬だ、早くそこをどきなさい」

「嫌!」


中々引き下がらないなぁ〜、と文字通り高みの見物をして状況を把握しているスパロー刑事。

これは女の子が犬好きで、いても立っても居られなくなったに違いない。


この推測から分かるように、まだまだスパロー刑事は新米である。


「…おい、逃げるぞ!」

狂犬イリスは騒ぎに乗じて、路地裏から姿をくらませた。

俺には見えているが、わざわざ追いかけるのも面倒くさいのでさっさとラッキーの元へ戻ろうと体を捻った。



そんな俺を、先程の女の子は不思議な顔をして眺めていた。

夕暮れの雲を泳ぐ俺を、羨ましそうに見つめた後、その子は走り出した。




———




「突然飛んで行ったと思ったら…ほら、温泉饅頭。味わって食べてなさいよ」


小分けに千切られた温泉饅頭を口から流し込むように食べると、それはまた美味である。舌がとろけるように、饅頭に付いていた粉がまた良いアクセントになって口溶けを良くしている。


「結局、さっきの悲鳴は何だったか分かったの?」

こくりと頷く。何があったか詳細に伝えることは俺には出来ないが、まあラッキーの身に害がない事なのでわざわざ現場に連れて行く必要も無い。


…!俺が気付いたように、ラッキーもこの足音を怪しんでいるようだ。


先程から、人混みをかき分けてこちらに向かっている人がいる。足音は段々と近づいてくる。


「スパロー、一旦に…げた方が良いよね…?」


俺の了承を得たラッキーは訳も分からず走り出した。

音から遠ざかるよう、必死に。


「待って下さい!」

人混みから聞こえてくる声は聞き覚えがある。

これは…?


あ…さっきの女の子か!と気付いた俺はとりあえず無我夢中で足を振るラッキーを止めた。


「何?知り合いなの?」


決して知り合いという訳では無いものの、あの子が何で俺たちに助けを求めているのかも気になる。


「すいません、違ったら申し訳ないんですけどそこの鳥さんもしかして伝書鳩のスパローじゃありませんか?」


女の子は俺のファンだった。


「あんた人気者なのね」と耳元で呟いてくるラッキーはキョトンとした目で彼女を見つめている。


「私はイタという者です。何卒ご相談があるんですけど…」


「イタ…?」

イタ…?


「ってええぇ〜!」

えええ〜…。


反応がシンクロしてしまい、目玉が飛び出でる程驚きだったが、俺のファン且つ狂犬を庇った女の子はまさしくトキの妹であるイタであった。





———






宿は和風の何とも言えぬ安心感漂う大部屋。


「二人と一匹なんだからこんな大きい部屋取らなくても」

「まあまあ、もう一人増えたんだしちょうど良いじゃん?」

「失礼します…」


それから何やかんやあってイタは俺たちの宿まで連れて行くことにした。


「あなたの姉から手紙を受け取っててね」

「姉から…」


手紙を受け取ると、彼女は大事そうに握り締めて胸に当てた。まるで貴族の挨拶のようだ。


「喧嘩してしまってそれっきりだったんですけど、どうしても謝りたくて手紙を送ったのですが、返事が返って来てとても嬉しいです」


「こんなこと聞くのもあれだと思うけど、喧嘩って?」


「ほんの些細なことですよ」


ほくそ笑んで色々と語ってくれた。



~~



姉は全てが完璧で、私はその正反対。


姉は仕事を続けて、私は家で居候状態でした。


仕事も上手く見つからず、途方に暮れていた私の元に一匹の犬がやって来ました。


その犬は体が傷だらけで、何とか姉を説得して治療して頂きました。


「犬は感染病にかかる可能性があるから、この治療が終わったら森に返しておいでね」


そう優しく忠告してくれました。


でもその当時の私は、この犬と遊ぶ時間がとても大切な時間で心の支えになっていたんです。


遊んでいくうちに、イリスと名前も付けて毎日毎日楽しい生活を送っていました。


なので簡単にお別れなんて出来るわけも無く…私は姉にイリスを家で飼えないかと交渉したんです。


その時、仏様のような姉が激怒したんです。


「もしあなたが病気にかかったらどうするんだ」

「早く森に返して来て!」と。


今思うと姉は私を心配してくれていたんですが、私は日々の楽しみを奪われたようで、何とも気が動転してしまい、つい言い返してしまったんです。


それから後に引けなくなって、イリスを連れて職を探しにセントラルへ…。



~~



なるほどなるほど、それは百パーセント妹であるイタが悪い。ラッキーやセトさんは泣きそうになる彼女を宥めているが、俺から言わせてみればただの我儘ガールである。


「それで、職は見つかったの?」

「はい、中央会館の横にある役所で事務作業を」

「良かったじゃない、仕事が休みになったら会いに行きなさいよ」


ラッキーは包容力がある。返答も話の誘導の仕方も、相手の話しやすいようにしている。


「で、そのイリスっていう犬は…?」

「そのことが今回相談したいことなんです!」


急に血相を変えて俺とセトさんの前に正座してきた。

何だ何だ、と動揺しながらも話を聞く体制を整える。


「イリスは狂犬なんかじゃない、それを街の皆に証明して欲しいんです!」


彼女の頼みというのは、想像以上に厄介…といえば失礼だが、とにかく非常に難しいものだった。





















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