第三十四話:明るい景色を
『特別編:ラッキーの行路』を是非参考に
シレンス•シシラスという人物がいた。
娘を戦争にて亡くし、娘の夫は戦争で両目と片足を怪我して満足に出歩くことが出来ない。
取り残された孫娘は、その身を削って父親の看病をしていた。毎日毎日。
「自分が娘の足でまといになっている」
「娘には俺の事など気にせず生きて欲しい」
父親は娘の未来のため、と称して自害した。
娘に何の相談もせずに。
この件でますます孫娘は責任を感じて、気に病んでしまい、廃人のような生活を送っていた。
そこで私、シレンス•シシラスは孫娘を救おうと動き出したのだ。総帥から受け取った仕事も全て断って、自分の娘のやり残したことを全うしようと孫娘を大事に大事に育ててきた。
孫娘の名前はキリス•シシラス。
青色の髪の毛に青色の目。
貴族と間違われるほどの美貌で私を超越するほどの存在感を持っている。
「…また孫娘の世話か」
「はい、私に救えるのはたった一人。あなた様のようにはいきません」
「俺も全員を救っている訳では無いけどね」
総帥に初めて会ったのは本を出版してから間もなくだ。本屋で自分の出した本をニヤニヤと笑いながら見ていると突然背後から話しかけられた。
「世界の平和を守るため〜!」なんて言い出して胡散臭かったし、子どもが仕切るような組織に属するのは不愉快だと切って捨てたのだが…。
信じられない事だが、目の前の子どもは私よりも長く生きていた。
それも、百年程だ。
一度”俗の合議”とやらに顔を出したところ、世界中で名を馳せる有名人がポツポツ居たり、昔から恐れられている暗殺一家の長まで出席していた。
「シレンスには出来るだけ多くの人の心を救うような本をどんどん出して欲しい」
お願いされたのはなんて事ないこと。言われずともやっていただろう。
だがしかし…。
「孫娘の一人も救えないのなら、私は本を書く意味が見い出せません…」
総帥は私の全力スピーチに心を打たれて、仕事を回さないようにしてくれた。
それから毎日毎日、私はキリスに寄り添った。
毎朝挨拶をして、話しかけて、笑顔を見せて…。
初めてキリスが笑った時は何と胸が踊ったことか。
おかげでキリスは今、楽しく人生をすごしている。これも全て娘のやり残したことを果たすためだ。
でもたまに、私の見えないところで苦しそうな顔を作っている。それは恐らく…。
———
「小鳥さん、今日はどこ行きます?」
ここ三日間、ずっとこの人と動いている。
こちらから探さずとも気付けば後ろにいる。
悪く言えば存在感が薄い。
良く言えば…。いや、良く言えない。
「今日は滝を見に行きましょっか」
この人、名前を名乗ってくれない。何か事情でもあるのだろうか?それとも言う必要無いから?確かに無いけど…。
「どうしたんですか、昨日と違いますねテンション」
風で靡く髪の毛。それを抑えながら片目を閉じる彼女は雑誌に載せたいくらい美しかった。
~~
「この滝は昔から心身の清みに使われています、私にはよく分かりません」
清らかな水を浴びることによって自分の罪や心の汚れを取り払うという伝統行事があるらしい。ふふっ、変ですよねと笑う気持ちも良くわかる。
「あれ、あそこに誰かいますね」
んん?と思わず二度見してしまう。
彼女が指を差した所には…。
「あれ、スパロー、じゃ、ない、かぁ!」
上から容赦無く降り注ぐ水に溺れながら、俺の名を呼ぶその人はセトさんである。
「知り合いなの?」
キョトンとした顔で俺を見つめてくるが、出来れば他人のフリをしたい。こんな所で水に打たれて一体何をしているんだか。
「スパロー、そこの人はどちら様だ?」
ヘックションと豪快なくしゃみをした後、何事も無かったかのように近寄ってきた。頼むからそんな格好でこの人に近づかないで頂きたい。
「キリス•シシラスと申します、この子とはこの街に来てからお友達になりました」
シシ…え?
「シシラス!?さん!?」
目玉を飛び出すセトさんに、目を回す俺。
「ちょっと…!」
驚きのあまり、体制を崩して肩から落下してしまったものの、不幸中の幸い、キリスさんの手の中に収まった。
———
俺がこの街で行動を共にしていたのはシレンス•シシラスさんの孫娘、キリス•シシラスさんである。
「なるほど、その女性は知っています」
「本当か!」
滝行をした甲斐があったなぁ〜とボヤくセトさんをつつく。俺の手柄を滝行の成果にすり替えないで欲しい。
「最北端の地、オリオール帝国でその子を見かけました。恐らく今も滞在しているかと」
「元気そうでした?何か悩んでたりとか…?ケガとかもして無かったですか!?」
俺も同時にキリスさんに熱い視線を向ける。
ふふ、と口元を抑えながらキリスさんは「そんなに大切なのですね」とからかいながら返答した。
「ええ、とても元気そうでしたよ、早く会いに行って上げてください」
キリスさんは笑いながらも、どこか寂しげにそう伝えた。
~~
「スパロー、早速明日出発だ。身支度済ませておけよ」
鳥に身支度など無い。だが、この街で思い残すことをやりきること、それが俺にとっては身支度である。
セトさんは一足先に宿に戻った。この場に残されたのは俯いたまま動かないキリスさん。
体育座りをしながら滝を見つめるキリスさんに水を吹っかける。
「何…何するの!?」
ニヤリと笑いながらもう一発。
そうすると彼女もその気になったのか、綺麗な服装のまま水場に足を浸からせて反撃してくる。
あはは、と笑いながら水を吹っ掛け合う。子どもの遊びだ。
言葉で伝えられない俺がこの人の記憶を麗せることは困難である。
昔の人もこうやって記憶を洗って行ったのだろう。
滝行という名の水浴びをして、辛い思い出をかき消したのだろう。
俺はキリス•シシラスという女性とあの人を重ねてしまっている。この人は闇を抱えている。その闇を払えないでいる。あの人も自由に体を動かせないだけで無く、心に病を抱え込んでいた。
あの人とだけでは無い。昔の俺とも重なる部分があるからだ。「後を任された人」は精一杯生ききらなければいけない。…俺は人では無いが。
キリスさんには今の俺と同じ景色を見て欲しい。
苦い経験に縛られた景色では無い、明るい景色を見て欲しい。
「もう…びちょ濡れじゃない」
数分間の戦いの末、結果は引き分け。
彼女の笑った顔が見られたら満足である。
「スパロー…って言うのね、三日間も楽しい思い出をありがとうね」
結局、ここに残るのか…。
「キリス、あなたはどうしたいの?」
トコトコと歩いてきた通り過がりのローブ姿のご老人が急に話しかけてきた。しかし、ローブ越しからもキリスさんと同じような雰囲気を感じる。
「おばあちゃん…私はここでお父さんたちと一緒に…」
「もう死んだわ」
「私のせいでね…」
「私の娘を託した男だ、舐めるんじゃないよ」
ふふんと自慢げにそう話したご老人は、泣きそうになっているキリスさんの頭にそっと手を置いた。
「亡くなったあの人の分まで、笑って生きなさい」
気付くのに少し時間がかかったが、この人がシレンス•シシラスという伝説のお方であった。
泣き叫ぶキリスさんをゆっくりと優しく抱きしめるシレンスさん。
俺はいても立っても居られずその場から飛び去った。
澄んだ甲高い泣き声を聞きながら。
言いたかったことは全て、シレンス•シシラスという人が代弁してくれた。
———
「スパロー、行こうか」
宿から出て、準備万端の俺たちが向かう場所は地図上最北端の地。相当長い道のりになりそうである。
「どれどれ…」
地図をなぞって道順を取り決めているセトさん。
駆け寄るように誰かが走ってきた。
「スパロー!」
来たのはキリスさんだった。昨日気まずくなりそうだったからちゃんとお別れを言えていなかった。
いつものように髪はサラサラでは無く、飛び起きてそのまま走ってきたようだ。
「私、旅人になろうと思うの。それでいつかあなたにお礼を言いに行きたいんだけど…」
地図をキリスさんに渡してある場所を指差した。
場所はもちろん、フォークタルト家の場所。
「いつでも遊びに来てね」
「…はいっ!」
この時よ彼女の笑顔は雑誌に載せたい様な笑顔では無かった。髪もボサボサで清楚さが感じられなかった。
でも、無邪気な幸せそうな笑顔だった。