第一話:誕生秘話
本編は二話から始まります。
前置きなので読み飛ばしてもらっても構いません
低温に負けず聳え立つ針葉樹を、スルスルと抜けて飛び回る、緑色の宝石。
追い風が羽を靡かせて、気持ちよさそうに山を越える。一匹の小鳥の視点だ。与えられた名前はスパロー。名付け親はとうに亡くなってしまっていて、何十年と生き続ける、長寿の鳥である。種はカワセミだが野鳥とは思えない程の頭脳を持ち、人の言葉を解することができる。他にもスパローは変わっていて、視覚聴覚、習性や寿命も一般的なカワセミとは一線を画す。この類稀なカワセミを捕まえようとする者、面白がって記事にする者、コソコソと観察する者、スパローは様々な人々と対峙してきた。とある日、スパローは不覚を取ることになる。
河原で優雅に低空飛行をして、日々のストレスを解放する、スパローのモーニングルーティン。その最中、あっという間に目の前に広がる網目に、羽が絡まりそのまま地面に叩きつけられた。何が起こったのか分からぬまま、体中に痛みが伝わり、羽毛に絡まる縄が警告する。「暴れるな」と。無駄に動いても逃れられないと分かっているが、勝手に体が動いてしまう。動揺してしまっているのだ。
「ようやく捕まえたな、例のやつ」
「全くだ、手間暇かけさせやがって」
白衣を揺らす、二人の人物が俺を見下ろしている。二人が話し出してから、ようやく状況が掴めた。口調からして自分の天敵である研究員に捕らえられたのだ。このまま研究室に放り込まれて、一生牢屋生活。気持ちの良い斜陽も拝めず、実験台の上で骨となりこのまま幕切れ。そんな絶望的な未来が頭によぎり、生きる気力を失いかけていた。
怖い。怖い。痛い。痛い。恐怖と痛覚が交差して、より一層頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「このまま本館まで持ち帰るかー?」
「それが一番手っ取り早いな、んじゃあ鳥籠……」
ふいに、微風に乗って落ち葉が場を通り、川もいきなり激流になった様に感じる。
言い終わる前に、一人の男がふらふらと、体を揺らして歩を進めて近づいてきている。片目しか開けないこの体制では、影しか見えない。
「ド……ドクター!まだ安静にしていてください!研究所は私たちでなんとか………」
もう一人の男も不安そうに“ドクター“と呼ばれる彼を見つめている。ドクターは一言も発することなく俺の目の前にしゃがみ込んだ。そして、ゆっくりと口を開く。
「辛かったろう、そんな身に生まれ、気の抜けない、常に誰かに監視されているような生活を送るのは」
彼の発する柔らかな声、俺を触れる温かみのある手に、体が沈んでいくような感覚に襲われる。つい、聞き入ってしまうのだ。
「ユーラン、こいつは僕が面倒を見る。いいな?」
重厚感のある声だ。二人を威圧するように放たれたこの一言は、二人の咽仏に食いかかるようだ。研究員はドクターの部下だったようで、軽く一礼をして、音も無くその場から立ち去った。
「僕の元で共に暮らそう。部屋が少し広くてね、まだまだ何年も歳を重ねるのに、このまま一人で一生を終えるのは嫌なんだよ。ワガママだけど、何年かくらい付き合ってくれるかい?」
まだまだ若い、それなのに。苦労顔のせいか、病服のせいか、形容し難い貫禄を感じる。俺は言われるがまま、流れるように彼の胸元に体を預け、名前も知らない彼の元で暮らしてゆくことになった——————。
*
街から外れた小さな研究所に面して、ポツンと存在する家は、根っこが巻きついて廃墟のように見える。彼は俺を抱き抱え、フラフラと歩き息を荒げてようやく扉を開いた。
「今日からここが君の家になるんだ、どうか警戒心を解いて、くつろいで欲しいな」
にこやかに笑う彼は、俺の心に残る少しの不安も読み取り、細かな気遣いを欠かさない。それから少しずつ。少しずつだがこの家での生活に心体ともに慣れていくようだった。
「君がいるだけで、世界が彩られていくようだよ」
彼の口癖だった。
ただ俺は彼が話す言葉を聞き取って、頷く。または首を傾ける。たったそれだけの事だが、話し相手のいない彼にとっては俺が心の支えになっていたのだろう。
彼から教わった莫大な量の知識は、俺の世界も華々しく色付けしていった。マニアックな内容もあれば、生き方、情勢、一般常識。いつの間にか俺は、彼の話を聞くのが日々の楽しみとなっていた。
「魔法って知ってるか?才能や血筋がないと扱えず、70年修行してやっと操ることのできる非科学的な術でね…」
話の最中、彼はふとベットから体を起こした。
「そういえば名前。名前をつけてあげないといけないね。それじゃあ……スパロー。スパローなんてどうかな?」
彼の声から発せられたその名前は俺の心にストンと落ちるように響き渡り、あっという間にその名前に心を奪われた。
彼はまた、こんなセリフも度々口にしていた。
「君は人の心が分かっていないようだね」
誰々と一緒に星を見た、だの最高の一夜を過ごした、だの彼は幸せそうに笑って語ってくれるが、俺は訳も分からず毎度首を傾けていた。
「いつか、いつか分かるようになるよ。俺が居なくなってからでも、遅くはないと思うよ」
そんなこと、冗談でも言わないで欲しい。この気持ちは、俺が分かっていない気持ちと酷似しているのだろうか、少なくとも俺は彼のいない生活なんて想像できなかった、いや、想像したくなかったのだろう。
溶けるように流れていった彼との時間は、思い返せば胸が躍る、一瞬の出来事のように思えた。恐らく、彼にとってもそうだったと願いたい。
「僕の代わりに、いや。僕の分まで生ききってくれるかい?これが僕からの最後の約束だよスパロー」
彼自身も、死期を悟っていたのだろう。この遺言は、静かで透き通るようだった。彼の無理をして作ったであろう笑顔は、脳裏に焼き付いたように、ふとした時に思い返すようになった。
そして彼は亡くなった。
朝、いつものように起こそうと顔を突いても、うんともすんとも反応が無い。慌てて触れた彼の手からは氷のように冷え切っていて、力尽きるように息を引き取った。
いわゆる流行病で、他に同居人がいなかったのは感染のリスクを抑えるためでもあり、彼に後がないことは彼自身が一番分かっていたそうだ。俺が部屋で飛び回っていると、笑いながら注意していた彼も、ベットで俺を肩に乗せて本を読む彼も、もう戻ってはこない。彼が俺に託してくれた全てを、宝物のように胸にしまって、今を生きる。俺が生きるのは、彼のためでもあり、自分のためでもある。