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聖女テレネーは昼飯を喰い過ぎた  作者: 山田擦過傷
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1話 空腹に勝る苦しみ無し

 


「主よ、感謝します。

 あなたの慈しみに。

 我が友人、ジャック、セッテ、ベリルらと共に歩んだ道のりを祝福されたことを。

 先に自由を得た戦士たちを胸に刻み、いつか彼らと晴れやかなる再会が叶うことを祈ります。

 またこの食卓に着かせ給うたことを感謝します。

 エイメン」


 共に魔竜を討伐した三人を席に着かせ、手の指を組み合わせてお祈りを済ませます。硝子窓からは陽の光が燦燦と注がれ、大きな机に並ぶ色とりどりの料理を照らしていました。セッテが注いでくれたオレンジジュースと白い陶器のコントラストは目を楽しませ、トマトとレタスのサラダは瑞々しく、ただでさえ美味しい料理がさらに美味しそう。


 起き抜けに何の苦労もせずありつけるブランチの、最初の一口を噛み締めて、至福の時間が始まりました。

 そうして私は、昼飯(ひるメシ)を食い過ぎたのです。




 ――♰――




「う……ぷっ」

「テレネー、どうしました? 少し食べ過ぎたのでは?」

「いえまったくそんなことはありません。ご心配なく」

「コルセット、緩めにしておきますね」

「ありがとう。セッテ」

「ふふ――」



 数日前、私たちは人々を苦しめる魔竜討伐の旅を終えることができました。

 始まりは私ひとりでしたが、侍女をやってくれているセッテが増え、料理をしてくれるジャックが加わり、騎士のベリルが仲間になり、いつしか十数名の大所帯になっていった旅は、つらくとも有意義なものでした。


 あの時は、まさか討伐が終わって聖都に到着した後の方が大変だとは思ってもみませんでした。連日に渡る、謁見、国葬、叙勲式、お祭り……。

 腰を落ち着ける暇もなく襲いくるイベントの数々。喪った仲間を弔う国葬を早く終わってくれと思いながら過ごすとは。


 そして昨晩の祝賀会。

 聖王が主催し、国中から貴族の方々が集まり、今まで見たことがないような大きなパーティーでした。始めこそ(たっと)きお方々らしく礼節を持った社交界だったものの、会場にお酒が回ればみるみるうちに理性は剝がれていったのです。


 コネクションを作りにきましたと顔に書いてある伯爵閣下。息子の嫁にこないかと私の胸元を凝視しながら言う侯爵閣下。農民出身なのだから調子に乗らないようにと迂遠(うえん)に伝えてきた子爵令嬢。緑魔(ゴブリン)の群れかな、と。


 ベリルが止めてくれなければ回復魔法で、聖王含めて頭をパーにして差し上げたことでしょう。


 何より、パーティーが終わって大量に残された料理を見たとき、日の出と共に起きて厨房で働いていたジャックに申し訳なく思いました。「しょうがないですよ」と悲しそうに笑っていた彼の表情はしばらく忘れられないでしょう。


 彼が心血を注いで作った料理は、あの場にいた者たちにとってただの綺麗なインテリアでしかなかっのです。無料(タダ)無料(タダ)酒にありつけると豚のように喰っていた男爵閣下が一番好印象に思えました。


「ワインも凄い量が残っていましたね。もったいない」

「いくらセッテでも、ウ。あの量のワインは飲みきれませんでしたか」

「私を何だと思ってるのですか? 竜でさえ二日酔いにできそうなほどでしたよ。残念ですが、ほとんど捨てられてしまうのでしょうね」


 これも試練です。苦しみは甘んじて受け入れなければならないでしょう。

 パーティーで余った手つかずの残り物をもれなく温め直してもらったのです。夜遅く、午前様だったのです。久しぶりの午前休で朝飯を食い損ねたのです。ゆったりとした午前10時過ぎの、素敵なブランチだったのです。残すという選択肢はありえなかったのです。



「セッテ、憶えていますか?カルンシャの村のこと。ウ。温厚なジャックが怒って、思慮深い、ウ。ベリルが先を焦っていました」

 喉元に居座っている昼飯たちを忘れるため、格式ばったドレスを着つけてくれているセッテに話しかけます。


「ええ、もちろん。やっと食料を買えると思ったら、村は飢饉に陥っていたのですから」

「命など捨てる覚悟で戦いに赴いているのに、ウッ。空腹には耐えられないものなのですね」

「そうですね。でも、あのとき一番怖かったのはテレネーでしたよ?」

「まさか」

「本当。『狼狽えるな、我慢なさい』と貴女の一言で皆黙ったでしょう?あそこで喋ったら食料にされると思いました」

「いくら私の食い意地が張っていても、人は食べませんよ」


 多分ね。


 食事というのは不思議なものです。

 空腹の時には食卓に並んだ料理を前にして、いくらでも喰えるわ。少ねえわ。私の食欲ナメとんのか。と感じるのに、いざ満足するとさっさと幸せを感じて食器を置く。腹八分目が健康にいいのよ、とか言い出します。


 そして、無理やり皿を空にし、胃袋の限界に挑戦するともう食べ物を見たくもなくなる。人間とは何と自分勝手な生き物だと思うものです。


 私も回復魔法が使えるだけで聖女などと呼ばれますが、卑しい人間に違いはなく、お腹をパンパンにして苦しんでいます。今にも監禁した昼飯たちが反乱を起こし、外界に飛び出してきそう。それを必死に押しとどめています。ですが、私には心の余裕がある。力があるから。


「あれ、口紅ってどこにあるんだろう。少し離れますね」

「ええ」

 セッテが化粧品を探しに行きました。まだこの城に慣れていないのです。

 その隙にお得意の回復魔法を行使します。魔竜討伐の旅を成功に導いたのはこの力があったからだという自負がありますから。ただセッテには失った手足さえも元に戻す力を、こんな食べ過ぎの苦しみに使っているところを見られたくありません。


 ――。


 ――――。


 ――――――。


 おかしい。一向に満腹の苦しみが楽にならない。

 心の余裕が絶望に変わりました。何故。使えない。


「お待たせしました」

 セッテが戻ってきました。私に向き合い、口紅を近づける手を握ります。ジャックと共に水仕事を一手に引き受けてくれた、乾燥した肌を両手で包み込みました。


「て、テレネー?」

「主よ、我に祝福を。かの者に恩寵を」


 やわらかい光に包まれたセッテの手はみるみるうちに十代本来の美しさを取り戻しました。

「きれいな肌なのだから、これからは大事にしなさいね」

「あ、ありがとう……」


 日に焼けた浅黒い頬でも、さっと紅潮したのがよく分かりました。彼女、可愛いかったから旅に誘ったのよね。

 それはそれとして、回復魔法が使えなくなったわけじゃない。しかし、私のこの、濁流を押しとどめ続けるような苦しみは癒えなかった。


 そう言えば、前にもこんなことが――。

「はっ!! ウぷっ」

「どうしました!?」

「なんでもありません続けて」

 まさか、生理現象には効果が無い。

 満腹で苦しいのはあくまで正常の範囲内。今にもインスリンに屈し、膝を着いて転がり、落ち着くまで横になって何もしたくないと感じるのは、異常ではないということなの。


「本当に大丈夫なんですか?」

「ええまったく心配ありません。それより午後の予定は?」


 まずい。非常に。

 とても4時間の労働に耐えられる胃の状態ではない。聖女としての役割をこなさなければ。いえ、それどころか、公衆の面前で口から粗相を噴出してしまえば、聖女としての威光は失われ貧しい農民に逆戻りの可能性も。

 母と父と兄弟たちへの仕送りは止まり、村には戻れなくなる。聖女として送り出した私のお株は墜落し、故郷に帰れば白い眼を向けられるようになってしまう。そうなったらどこで生きていけばいいのでしょう。

 セッテが身の回りを世話してくれて、労せずジャックの料理を食べられ、何でも言うことを聞くベリルが重いものを持ってくれるこの暮らしを手放すわけにはいきません。


 いっそ自室にいるうちに吐いてしまおうかしら。でも、ジャックの料理を粗末にしたくない。そう迷う私に、セッテは手を動かしながら気負わない口調で言います。


「これから日暮れまで聖都を巡るパレードが催され、民に顔見せです。愛想よくしてください。それから教会で魔竜討伐の成功を主に感謝するための典礼(ミサ)。夜は他国の貴族を招いてのパーティーです。二夜連続は堪えますよね。今日は寝るまで落ち着かないかも。……テレネー? どうしました? 白目剥いて、大丈夫ですか?」


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