高所恐怖症は空を飛ぶ
朝食を終え、流石に食器洗いはやらせてくださいと、お願いして洗わせてもらった。
たらいに排水用の穴が空いているシンク風のものに食器を並べ、水道がないか辺りを見てみるが、そういうものは見当たらない。
まごまごしているとおばあさんが
「杖を持たずに台所行くなんて変だとは思ったけどやっぱり向こうの人は魔法が使えないのかね、どれ見ててごらん」
桶をコンコン、とたたいて言った。
「過去の遺物、不浄なる汚れを洗い清めん、洗浄」
というと杖からザバザバと水が流れ、こすりもしないのに食器が綺麗になった。
「洗浄の魔法は基本だからね、ユウも将来必要になるだろうから覚えていきな、ほれ、練習用の杖だよ」
指揮棒の様な杖を貸してくれた。
「私くらいになると簡単な魔法の詠唱なんかいらないんだけどね、さっきの通りの魔法を使ってごらん」
「えぇ、と。過去の遺物、不浄なる汚れを洗い清めん、洗浄」
おばあさんは当たり前の顔をしていたが、呪文を唱え慣れていない僕は1語毎に羞恥によって顔が熱くなる。
少し多めに蛇口を開けたくらいの水流が杖からでて僕が使った食器を綺麗にしていく。
おばあさんのと違って水流で包み込めるほどの水量がないので触れたところだけなんだけど。
「練習用の杖でそれだけできるなら意外と筋がいいね、これならものになるのも早そうだ」
その後、おばあさんと表に出てフラッシュライトの実験をしてみる。
おばあさんの家の回りに生えている木々は3割方黄色く色づいていて今の季節が秋だということを教えてくれた。
おばあさんはフラッシュライトを持ち、スイッチをひねりながら炎の精霊に呼びかけると光があたった所が暖かくなり、振ったり色々試している間に僕は家の周りを散策してみたが、森の中の小さな家、といった雰囲気で植物や虫に詳しい人ならわかるのかもしれないけど、僕には目新しいものはみつからなかった。
「やっぱり光の属性で使うしかなさそうだね」
返してくれた頃、カヨがやってきた。
「おはようおばあちゃん! と! ユウ!」
忘れられていたことにちょっとだけショックを受けたが手を降って答えた。
お願いしたいことがあるから先にお茶にしましょうとおばあさんが言い、みんなで家の中に入った。
お茶請けに僕が持ってきた糖分補給用のチョコレートを出す。
渋めの紅茶にミルクチョコレートがよく合う。
カヨは目を輝かせて美味しい! と感動していた。
「この辺では甘味は中々ないからね」
といっておばあさんも嬉しそうだった。
お茶を飲んで一段落してからおばあさんが言った。
「ユウに洗浄を使ってもらったんだけど、中々筋が良いから杖の材料を取りに行っておくれ」
「杖の材料?! あたしのときなんて2ヶ月もかかったのに!」
とカヨが驚くと、
「何言ってるんだい、2ヶ月だって天才だって言ったろう? ユウがとんでもないのさ、どっちにしろ優秀な助手が増えるのはいいことだよ」
そう言って、おばあさんはカヨをなだめつつ嬉しそうにしていた。
ぶちぶちというカヨに
「さ、先輩! 僕の杖をつくりましょう!」
と、言うと先輩という言葉が気に入ったのかにんまりと笑って
「そうね! 先輩魔女のあたしが導いてあげないとね!」
少し控えめな胸を張った。
「あんただってまだ魔女見習いだよ」
とおばあさんはくつくつと笑った。
2、3日もあれば帰ってこれるだろうよというおばあさんの話で、リュックには寝袋と寝袋用の蚊帳に水はカヨが魔法で出してくれるというので水筒ではなくステンレスのカップ、寒くなった時のためにアルミシートを2つ入れる。
僕だけ寒さから逃れても申し訳ないし、一緒に入るほど大きくないから。
ミニポケットに入っているファイアスターターと小袋の着火剤を確認した。
あとは何が必要かな、とリュックをゴソゴソとしていると、
見習いの訓練も兼ねるから食料は現地調達だからね、と言われてしまい、持ってきた食料は置いていくことになった。
キャンプしながら美味しいものが食べれると期待していたカヨが文句の声を上げていたが、沈黙の魔法をかけられてもごもごしていたのが面白い。
練習用の杖を腰に、ミルクパンくらいの大きさの両手鍋を後輩がこういうのは持つもんだよ、リュックにぶら下げられた。
カヨは手のひら位の大きさの木の板を受け取り、
「長老の木の枝と川底の石と火喰い鳥の尾羽根と寄生樹の蔦だけでいいのね?」
とカヨが確認すると、毒ヒトデは危ないし、火山の石は遠いからうちにあるのを使うよ、とおばあさんが言っていた。
「いつもの通り長老の木までは飛んでいっていいのよね」
そう言って僕に手を伸ばすが、なんのことか意味がわからないでいると、がしっと僕の手を取って呪文を唱え始めた。
「空の女神よ、風の女王よ、汝が使徒カヨが願う、御身の自由の力を! 飛翔!」
と唱えると、手を掴んだ僕の体ごと空へ浮き上がり、抗議の声を上げた。
「ちょっと僕高所恐怖症なんだよ!」
「そうなの? 魔法使いには必須だから慣れてね」
と可愛く微笑んで流された。
緊張と恐怖であちこちから汗が吹き出す。
掴んだ手が汗で滑らないか心配になるし、手汗がカヨに気持ち悪がられてないか心配にもなる。
滑らないようにもぞもぞしているとカヨは僕の手をぎゅっと握り込んで、ものすごいスピードで移動を始めた。
飛びながらカヨはなにか叫んでいるけど、ボウボウと鳴る風の音で聞こえないのでずっとえ? え? と叫んでいると困った顔を見せたカヨは空いた方の手でごめんね、とジェスチャーをすると、僕をちょっと上に引っ張ってから空中に放り出した。
持ち上げられた力と重力が均衡し、徐々に重力の方が強くなってきた瞬間にカヨの背中が目の前に来たので慌てて後ろからお腹に捕まり抗議する。
「ひどいよ! 高所恐怖症だって言ったのに!」
「滑って落としそうだったから手じゃなくて背中に来てって言ってたんだけど、声が届かなくてさしょうがなくね、怖かったよね、ごめんね」
済まなそうに眉尻を下げて言うカヨに憤りは萎れてしまったが、さっきまで滑って落ちそうだったということに改めて血の気が引き、カヨのお腹をぎゅっと抱き寄せた。
「もう大丈夫だからそんなに締め付けなくてもいいよ」
というカヨはなんだか楽しそうだった。
最初の頃はこわごわ見ていた景色だったが、3時間以上も飛び続けていると、なんだか感覚が麻痺してきたのか、下を見ても周りをみても同じ様な景色で飽きて来てしまった。
カヨの背中に耳を当てて心臓の音を聞いたり、
腕を強く締めてカヨをぐえっと鳴かせてみたりしながら時間つぶしをしていくとカヨが指をさして言った。
「あれが長老の木だよ」
悠久の時を生きたであろう巨木は眼下に広がる森の中心で森全体を支配しているように鎮座していた。
「今日はあの長老の森の枝でキャンプするよ」
そう言ってカヨは枝で顔をガードすると、長老の木に突入していった。
僕は顔を守るはずの腕がカヨのお腹に回しているのでなんとか守ろうとカヨの背中に顔を押し付けた。
カヨの背中はカヨみたいに優しい匂いがした気がした。
枝の中は思ったより葉に囲まれた広い空間が広がっていて、普通の木の幹より太い枝の上に降り立った。