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第十九話 氷の贈りもの

「奥様! 旦那様がお呼びです」


 自室でブルーベルに勉強を教えていると、ヨゼフがやって来てそう告げた。ブルーベルの足元でうずくまっていた氷狼のアルは、ヨゼフに駆け寄ってその周囲をクルクルと回っている。


「もしかして……温室のことかしら? 今参ります!」


「おんしつ? それってどんなもの?」


「部屋を暖かくして、太陽やランプの光をいっぱい入れて、植物を育てるお部屋です。上手くいけば、お野菜や果物が獲れるんですよ!」


「わあ! それいいな、早くたべたい!」


「ふふっ、残念ながら、すぐには食べられないんです。でも育てるところもとっても楽しいので、お嬢さまも一緒にやりましょうね」


「やったぁ! ありがとう、ミーシャさん!」


 跳ねるブルーベルと手を繋ぎ部屋を出ようとする所を、ヨゼフに止められる。


「待ってください奥様! 上着を着てください、たっぷりと! ブルーベル様もです」


「ええ? 大丈夫ですよ、屋敷の中くらい……」


「いいえ、駄目です! 着るまで部屋の外には出しませんからね!」


「もう、ヨゼフは心配性なんですから……」


「なんですから〜」


 アリシアの真似をするブルーベルを微笑ましく思いながら、ヨゼフに先導されて屋敷の中を歩む。レイモンドの執務室を素通りし玄関に差し掛かった所で、アリシアは慌てて尋ねた。


「ヨゼフ、どこに向かっているのですか? てっきり、温室の話かと思っていたのですが……」


「外ですよ、外。寒いから気をつけてくださいね……」


 ヨゼフが扉を開けると、冷たい風がビュウと吹き込んできた。屋敷の外は快晴で、珍しく吹雪も止んでいる。


 少し歩いた所に、レイモンドとセドリックが立っていた。光が反射する白い雪の世界の中で、銀色の髪だけが一際眩しく輝いている。レイモンドはこちらを振り向くと、「止まれ」と言うように手を伸ばして制止した。


「……来たか。そこに居てくれ、すぐに済む」


 彼は足元に跪き、土が剥き出しになった地面に触れた。地面をよく見ると、水晶のような宝石が放射線状に埋まっている。レイモンドはその石達に手を触れ、フゥッ……と細く息を吐いた。


「レイモンド様、何を……」


 次の瞬間、地面から青白い光が立ち昇った。巨大な魔法陣状に放たれた光は、外側に向かってゆっくりと動いていく。


「わあ……! これは……?」


 やがて光が外側の円に収束すると、レイモンドは静かな声で「……上がれ」と呟いた。


 その声と共に、地面から氷の壁が勢いよく迫り上がっていく。ミシミシと音を立てながら伸びる氷は、アリシア達を囲むように壁を作り上げていった。


「わああ……!」


 アリシアに縋りつきながら、ブルーベルが歓喜の声を漏らす。その声とほぼ同時に、氷の壁が天井を覆って閉じた。


「氷の、大温室……」


 あっという間に、そこは氷で囲まれた温室になっていた。


 六角柱の形に伸びた温室は、遠くから見たら巨大な水晶のように見えるだろう。薄青く透けた壁はキラキラと輝き、頭上から燦々と太陽の光が降り注いでいる。


「……上手くいったみたいだな」


 レイモンドは手袋をはめながら、何てことない顔で天井を見上げた。


「これで、どうだろうか? 何かあれば、手直しも出来るが……希望に添えたか?」


「…………す」


「す?」


 アリシアは拳を握りしめ、肩を震わしながら呟いた。


「す……す、す……素晴らしいです!!! こんな……こんな素敵な温室を作ってくださるなんて!!」


 思わず抱きつきたくなる気持ちを抑え、アリシアは興奮気味にレイモンドの手を握った。


「ありがとうございます!! 本当に嬉しいです!」


「手……手を離した方が……」


 レイモンドは動揺した様子で、手を握られたまま固まっている。


「呪いなら大丈夫ですよ! こんなに素晴らしい働きをしてくれた、この手を労いたいのです。こんな大きな魔法……ご準備とか、大変だったんじゃないですか?」


 吹雪の降る中、これほど大掛かりな魔法陣を地面に仕込むのは簡単なことではなかっただろう。

 ただでさえ忙しいレイモンドに、負担をかけてしまったのではないか……と不安に思っていると、レイモンドは俯き気味に呟いた。


「ああ……それなら、大丈夫だ。この温室は以前、ある人の誕生日に贈ろうと準備していたものだったから。その時は結局、見せることはできなかったが……」


「そうでしたか……」


(ある人というのは……きっと「亡き妻」のことよね。彼女も私と同じように、植物が好きな人だったのかしら。)

 

 二人が愛し合ったであろう年月の存在を感じ、胸がチクリと痛む。


「かなり時間が経っていたので調整はしたが……それほど大変ではなかったので、気にしなくて良い」


「……ありがとうございます」


 胸の痛みを隠しながら、アリシアは柔らかに微笑んだ。


 アリシアの手から解放されたレイモンドは氷の壁に近づき、強度を確かめるようにコツコツと指で叩く。


「ただ氷の建物を作るだけならば、魔法陣無しでも出来るのだが……今回はそれを維持することが必要だった。地面に氷の魔石で魔法陣を描いているから、温度が上がったり吹雪が吹き付けたりしても、壊れることはない」


「そうなのですね……!」


 氷の壁は分厚く見えるが、思いの外薄く出来ているようだ。1メートルほど離れれば冷たさを感じることもなく、室内は吹雪の影響もないので暖かい。

 

 天井の形のせいか、太陽の日差しが増幅して差し込んで来ているようにも感じる。ここにランタンをいくつか設置すれば、雪の降る日でも問題なく温室として機能するだろう。


「数日に一度魔力を込めれば、半永久的に保つ計算だ。それは俺がするつもりだが……ブルーベル、お前もやってみるか? 呪いの制御の練習にもなるだろうから」


「!! う、うん……! やってみる……!」


 アルとはしゃいで走り回っていたブルーベルはピタリと立ち止まり、キラキラとした瞳で駆け寄ってきた。


「ああ、今日はもう魔力を込めたから、また三日後にしよう。やり方は俺が横について教えるから」


 恐る恐る手を伸ばしたレイモンドは、ぎこちない動作で娘の頭を撫でる。ブルーベルはくすぐったいような、照れたような表情で、ぎゅっと目を瞑った。


 レイモンドとブルーベルの二人が、触れ合うきっかけとなって良かった……。アリシアがその光景を眺めて幸せを感じていると、どこからか呻き声が聞こえる。

 視線の先にいたのは、少し離れた所でうずくまるセドリックだった。


「セドリック!? どうしました……!?」


 思わず駆け寄ると、セドリックは肩を震わせて泣いている。


「だって、おい……温室だとよ……。またお前と、野菜が作れるんだ」


 セドリックは涙でぐしょぐしょになった顔を上げ、小さな声で呟いた。その表情を見て、アリシアも思わず涙ぐんでしまう。


「ええ、セドリック……。昔みたいに、また一緒に……」


 セドリックの背中を撫でながら、空を見上げる。透明な天井越しの空はキラキラと輝いて、青く青く、どこまでも晴れ渡っていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] セドリック良かったね……!すごい面白いです [一言] 旦那様に聞かれてたら昔みたいにとは……?ってなりそう
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