重たい器
七味を買った。あまり好かず、食卓に上がることもそうそう無いのに、二つ買った。それから柚子胡椒を買った。これは私の好物である。私はこれを目玉焼きにつけて食べる。その他にも、白米、鯖、みそ汁と、大抵のものと合わせたい。しかしそれをすると家内に嫌な顔をされるので、納豆に合わせるのみに留めている。また、ノートを買ってきた。私は日記など書いてこれを埋めるつもりである。
貧乏性の私は、そうして生きてゆくのである。死にたいと思っても、買い溜めた調味料が、または純白のページがあるのでは、死ねないのだ。私は生きなくてはならない。そのように命ぜられたからこその肉体であり、納豆である。私は家内を養わなければならない。私は人として良くありたいと願っている。質素倹約、卑しいことは無く、道徳を愛する。
しかし、いざ絶とうという気が起こるともはや、買い込んだ調味料のことなど微塵も頭に無く、暗闇にぼうっと家内の顔が浮かび上がり、なんだか冷たいような気がしたことだけが思い出されたのである。しかし痛いのは嫌である。苦しいのも気持ち悪いのも、甲乙つけがたく嫌である。こういうわけで、死の覚悟とは裏腹に、私は四十まで生きている。
「あまり苦しくならないでくださいよ」
これは家内の口癖であった。己の信条にみっともなく委縮し狼狽するのを、誰より間近に見せられているのだから、もう少し小言あってもいいようなものだけれど、家内はいつでも微笑をたたえ、女神のように私を見守った。私はそれに随分と救われたものだけれど、時には冷酷に感じもした。
ある時、家内は食器を欲しがった。煮物を入れるのに使っていたのがひび割れたらしい。あれは北の方の焼き物であったけれど確かに、重たく、形悪く、食器洗うときには手が滑るようであった。私たちは揃って器買いに出かけた。
「軽いのがいいだろう」
「いいえ。私、これがいいですわ」
持ってみて軽く、滑りにくいのを探そうとしたが、家内は見るからに重厚なものを好いた。
それからというもの、家内は毎日それを食卓にあげた。毎日煮物が出された。時には麻婆豆腐だったり、茹で野菜だったりもした。丁寧にされている。家内が片手で持つには酷いほどの重さがある器だ。それでも、そっと触れて、ちょうどいい重さのごとく扱い、清潔に、ひびも入れずに保っている。私は、その器と自分自身を重ねてみるようになった。
死というのは、理性で制御できるものではない。多少は効くが、理屈では生きるのも死ぬのも難しく、本能、もしくは自身の深層にあるなにかしらによって、生きたり死んだりするようである。
私はそれから死にたく思った時、家内の冷たさを思うことはなかった。代わりに、あの器を思い出すのである。餓死や熱中症などを待っているあいだ、それはじわじわと存在を大きくして、意味を持ち始める。
家内は、手間を手間と思わずにやってのける才がある。寧ろ、手間をこそ愛しむようである。
私は水中の枷から外れたように、三日ぶりの煮物に柚子胡椒を付けた。