第二話 勇者の前に自称おかあさん登場 その2
見た目はボクより年上に見える。
地球にいた頃の親戚の大学生のお姉さんと同じくらいかな。
初対面の女性は何故かボクを見て泣いている。
ただ悲しいから泣いているようには見えない。まるで長い事離れ離れで、やっと再開できた事を喜ぶ母親のように見えた。
「やっと、やっと会えた。ユーちゃんはあの時と全然変わらないのね」
女性は両手を大きく広げて、体当たりするような勢いでこっちに近づいてくる。
ボクは半ばパニック状態で、反応が一瞬遅れた。
「ちょっと待て、あんた誰――うぷっ」
喋り終わる前に、ボクの顔はとても柔らかいものに深く埋まる。
……何これあったかくてほんのりといい匂いがして、それにめちゃくちゃ柔らかい!
何これ何これ何これ何これ……?
後頭部を固定しているのは、柔らかさの中に硬さのある棒のようなものが二本。感触からして恐らく両腕だろう。
じゃあ、ボクの顔面を包むこのとんでもなく柔らかいものは……。
何とか目線を上に向けると、こちらを愛おしそうに見つめる女性と目があった。
つまり、ボクは彼女の胸に顔を埋めらているのか?
「スンスン、んー?」
頭の上で何かしているようだが、今はそんな事どうでも良かった。
ボクは全身が熱くなるのを感じた。特に下腹部のあたりが異様に熱を持っている。
こ、これは不味い!
どうにか逃れようとしたが、女性の身体はどこも柔らかいのに華奢で、突き飛ばしたら壊してしまいそう。
頭を固定している腕を掴むと、彼女の方が何かに気づいたようだ。
「あらまあ、ごめんなさい。息苦しかったわよね」
理由は違うが、女性はボクの頭を解放してくれた。
「ぷはあっ」
良かった。後数秒遅かったら、とんでもない事態になるところだ。
ボクは少し前屈みのまま後ろに下がると、頭の中で呪文を唱えた。
鎮まれ鎮まれ鎮まれぇぇぇ。
呪文の効果か、下腹部の熱が治まってきた。
「ふう〜〜」
ボクは額の汗を拭って一息つく。安堵したのもつかの間。
「お顔が真っ赤よ。熱でもあるの?」
見るからに柔らかそうな掌がこっちに伸びてきたので慌てて避ける。
冥王との戦いでも出さなかった超反応で、迫る右手を避けた。
「熱なんてないから!」
今のボクにとっては手でさえ色々な意味で致命傷になりかねない。
「そう、なら良いんだけど……」
手を避けられたからか、女性はとても悲しそうに顔を伏せる。
何なんだよこの人、突然来て調子狂うな。
「その首輪」
女性は顔を上げると、今度はボクの首輪に視線を注いできた。
「そんな不快な物、おかあさんが取ってあげます」
「何言って……」
取れるわけないだろう。と言おうとしたが、素早く伸びた彼女の両手が首輪に触れる。
今度は避ける間もなかった。
「触る――」
「動かないで」
強い口調にボクは動けなくなる。
「すぐ済みますからね」
ボクの目を真っ直ぐ見ながら微笑んで来た。
「…………」
不覚にも、その花のような笑顔に見惚れていた間に、硬いものが割れる音が首のあたりから聞こえて来た。
直後、何かの金属の塊が床に落ちる音が続く。
「はい。取れましたよ」
「取れ、てる?」
頭を下に向ける。
ボクの首を長い事締め付けていた忌々しい首輪が煙を上げて落ちていた。
両手の鯖まみれの腕輪も元の輝きを取り戻しているじゃないか!
これで力が使える。ボクをこんなところに閉じ込めた奴らに復讐できる。
マズハメノマエノオンナカラ。
ボクのそんな昏い考えは、彼女の少し悲しみを内包した笑顔によって霧散した。
「こんなに赤くなってしまって可哀想に、ちょっと動かないでね」
彼女の細い指が、首輪のせいで熱を持っていたところに触れる。
すると、吸い取られるかのように熱が引いていった。
「これでよし」
「あっ」
指が離れても、首の皮膚に彼女の感触がしばらく残っている。
不覚にも、もっと触れていて欲しいと思ってしまう馬鹿な自分がいた。
「ユーちゃん」
「ボクの事をちゃん付けで呼ぶな」
「彼等に復讐したい?」
「はぁ?」
彼等に復讐? 一体何言ってるんだ。
「貴方にこんな酷い仕打ちをしたヒトをどう思ってるの?」
「どう思うってそれは……」
言葉に出そうとした途端、触れたものを殺す猛毒のヘドロのような殺意が内から溢れ出そうとしてくる。
すぐさま自分の口を抑える。今、口を開いたらボクは言葉だけで人を殺せる自信があった。
「恨んでいるのね?」
「…………」
顔を背けて表情を隠すが、心の中は丸見えのようだ。
「答えなくてもいいわ。おかあさんには分かっているから。ユーちゃんがどれだけ彼等を恨んでいるか……」
なんだよそれ。なんで初対面のあんたにそんなこと分かるんだよ。
「……おかあさんは子供の事はなんでも分かるのよ」
その言葉はボクの心の声に答えるようだった。
ボクが口を開くまで、彼女も口をつぐむ。
聞こえて来るのは階下から入ってくる風の音だけ。
「恨んでるに決まってるじゃないか!」
口を開いてしまったら、もう体内に溜まっていた恨みつらみが堰を切ったように溢れ出すのを止められなかった。
いや、止める気がなかったというのが正しいか。
「ボクは勝手に身体を作り変えられて、半ば無理矢理この世界に連れてこられたんだぞ!」
胸の奥に溜まったものを吐き出している間、目の前の女性は何も言わずに相槌を打っていた。
「この世界に来てみれば、周りから白い目で見られて、魔物を倒せば倒すほど、この世界の人間はボクの事を魔物を見る時と同じ目で見てくるんだ!」
相槌を打つ彼女の右眼から一粒の雫が落ちる。
それを見てやばいと思った。自分の視界が水の膜を張ったようにぼやけてきたからだ。
でも構うもんか!
「挙げ句の果てに……挙げ句の果てには冥王を倒してこの世界を救ったのに、感謝もされず気づいたらここに閉じ込められた! そんな奴らを許せるものか!」
ボクは声が枯れるのも構わずに、長いこと出していなかった大声を出し続ける。
そのせいで喉がヒリヒリして咳が出たが、不思議と胸の中のモヤモヤした感覚は少し晴れていることに気づく。
ボクが言い終えるタイミングに合わせて口を開く。
「彼等をどうしたい? 復讐したい? ユーちゃんがそうしたいならおかあさんも……手を貸すわ」
そう言って、ボクの両肩に優しく手を置いてくる。その手は微かに震えていた。
「選んで。貴方はどうしたいの?」
「ボクは……」
ギュッと強く強く拳を握り締める。爪が掌に食い込んでいるのがハッキリと分かったが、それでも力を込めて握り締める。
「……しない。復讐なんてしない」
握りこぶしを作ったまま、ボクは彼女の質問に答える。
「しないの?」
意外そうな彼女の問い掛けにしっかりと頷く。
「しないよ。確かに持っている力で、簡単にできるだろうけど、そんな事しても気持ちは晴れない。だからしない。けれど彼等が嫌いなのは変わらない」
そうだ。そんな事をしても何の意味もないんだ。けれどそれで納得なんて出来ないけどな。
「……良かったぁ」
ボクが復讐しないと知ったからか、彼女は自らの豊かな胸に手を置いてホッと息を吐く。
「良かったって?」
「ええ。ユーちゃんが「復讐したい」なんて言うはずないっておかあさん信じてたから」
「もし、そう言ってたらどうする気だったんだよ」
「例えユーちゃんに嫌われてでも全力で止めます」
その口調はとても力強く、どんな力でも壊れない伝説の鎧のような確かな意思を感じさせた。
「おかあさんは、そんな事絶対にさせません。必死に説得してみせます」
「それでも、復讐しようとしたら?」
彼女は自分の掌を俺に見せる。
「やりたくないけど、実力行使です」
ビンタか?
「おしりペンペンです」
予想と違う答えを言いながら手を勢いよく振る。 叩かれたところは真っ赤に腫れているだろうなと容易に想像できる鋭い風切り音が聞こえた。