第一話 地球人 勇者になる その3
「神器を扱う力」
「うむ。君の体内にはある力がある。その名はブレイブパワー。それが神器を動かすエネルギーとなる」
「……そんな力が」
「あるからこそ君を選んだのだ。 頼む。世界を救う勇者になってくれ」
「…………」
ボクはどう答えようか迷った。ここは流れ的には「はい」と言うところだろうが、それでも一人ぼっちで知らない世界に連れて行かれることを考えると、即答は出来ない。
でも、その無言を神は肯定と捉えてしまったようだ。
「行ってこい。君が救うべき世界の名は《トゥインクルワールド》だ。頼んだぞ」
突然ボクの身体が浮いたと思った直後、下から何かに引っ張られるのを感じた。
違う。立っていた所の床がまるで切り取られたかのように円形に穴が空いている。
い、いつの間に……。
「ちょっと待ってボクはまだやるって――」
ボクは急速に遠ざかっていく神に向かって大声をあげるが、返事は返ってこず代わりにこんな言葉が聞こえてきた。
「君がいなくなっても取り乱さないように人々の記憶は操作しておく」
記憶を操作? そんな一瞬にして身体中から冷や汗が出てくるような言葉を聞きながらボクは、穴の縁を思いっきり掴んだ。
四本の指だけで体重を支えているために長くは持ちそうにない。
「どうした。忘れ物か?」
「待って! 母さんの記憶を操作するならお願いがあります!」
「何だ?」
「父さんを、父さんを生き返らせてください!」
僕が小学生の時に外国で事故にあって死んだ父さん。
それを知った時の母さんの顔は見ていられないほど悲しみに呑まれていたのを、今も覚えている。
ここでボクが居なくなったら、母さんはどうなってしまうか。
考えただけで身体が震える。
「勇努。死者を生き返らせるなんて事が出来ると思うのか?」
「貴方は神様なんだから、それくらい簡単でしょう」
神は穴の縁でしゃがみこむ。ボクの手を引き剥がそうとするのかと思ったがそうではないようだ。
「出来ないことはないが……」
「じゃあ!」
「話を聞け。これは今まで前例がないことだ。もし仮に、勇努の願いを聞き届けて、父を蘇らせたとしよう」
神は優しく諭すように口調で説明してくる。
「本人や母は勿論、周りの環境自体にも手を加えないといけなくなる。それは、小さくても歴史を改変するということだぞ。そんな大それたことをして、責任持てるのか?」
「持てます!」
ボクは即答した。
「願いを聞いてくれて、母さんを悲しませないでくれるなら、ボクはちゃんと異世界を救ってみせます。けれどもし、神様が嘘をつくなら、ボクはこの力を貴方にも向けます」
神の目つきが一際鋭くなる。
鋭すぎて心臓に穴が空きそうだ。けれど退く気はない。
「ボクは冗談でこんなこと言っているわけではありません!」
「……全く、予想以上に面倒くさい人間を選んでしまったな」
「それじゃあ」
「分かった。勇努の願いを聞き届けようじゃないか。ただしもう元の世界には戻れないからな。歴史を改版し、君の存在は完全に地球から抹消される。それでいいんだな?」
「はい。ありがとうございます。それじゃボク行ってきます。父さんと母さんの事よろしくお願いします!!」
ボクは縁を掴んでいた手を自ら離した。
身体が重力と言う名の無数の手に捕まって下へ下へと落ちていく。
……けれどその世界に住む者の大半は、ある意味冥王以上にボクの事を敵視していたんだ。
半ば無理やり勇者にさせられてしまったボクが初めて見たのはある王国だった。
そこはヒューマン――地球人そっくりの種族――の王が治めていた国だ。
何故過去形なのかというと、ボクが来た時にはもう征服されていたから。整然と家が並ぶ城下町も、王国の象徴ともいうべき美しい城も無残に破壊され焼けただれ、そこかしこを赤い液体が絵の具のようにべっとりと付着している。
ボクは水溜りの中に落ちた。
最初に感じたのは悪臭だった。鉄錆のような臭いが鼻に付く。
直ぐに、それが血の臭いだと分かる。
何故なら大通りには、沢山の人が赤い水溜りに倒れ込んでいたからだ。
死体だ。自分の身体から流れた血の海に浸かっているのだ。
それを見たボクの口から何か逆流してくるのを感じたが、必死に耐えた。
口を抑えた両手が真っ赤に染まっていて、強い鉄の匂いが更に胃を刺激したが、それでも耐えた。
どれぐらいそうしていただろう。少し落ち着いたのか、ある音に気づく。
それは誰かの叫びと、金属がぶつかり合う音に似ていた。
……もしかしてまだ生きている人がいる⁉︎
その考えに至った途端、全身に力が戻る。
もしかしたら、誰かを助けられるかもしれない。それが勇者の、力を持った者の使命だと思っていたから。
ボクは走る。
音がしたのは城下町中央にあると思われる噴水広場だった。
憩いの場であった筈のそこも何十人もの人が倒れていて、噴水も今は水ではなく、赤い血を涙のように流している。
そこにいたのは武器を構える人々と、噴水の上で滞空している怪物だった。
怪物は真っ黒な剛毛に全身を覆われていて、背中の蝙蝠の翼が忙しなく動いている。
頭には黒い二本の角が生え、下にいる人を虫けらでも見るような目で見下していた。
怪物は傷ひとつなく元気そのものだが、それとは対照的に見上げる人々は傷だらけだ。
怪物は満身創痍の人を見下ろしたまま、鋭い爪の生えた右手を頭上に掲げる。
広げた掌に黒い炎が生まれた。
あれを投げつけるつもりか!
怪物の炎を喰らえば下の人達はひとたまりもないだろう。
そんな事をさせない為に、ボクは慌てて駆け寄った。
「待て――」
見上げていた人々が一斉にボクの方を見る。その視線に射竦められて一瞬動けなくなる。
同時に続く言葉も途切れてしまった。
上を見ると怪物と目が合った。
ボクを見て口を笑みの形に変え、無造作に右手を動かす。
掌で出番を待っていた黒い火球が一瞬の後にはボクの目前へ。
どう考えても避けれなかった……。
ボクの全身に黒い炎がまとわりつく。服と皮膚を焼き、瞳は熱で破裂し、息を吸うと同時に鼻や口から入って来て肺を焼き尽くす。
その場にいる誰もがそう思っただろう。炎を放った怪物も同じ結論に達した筈。
あの少年は骨も残さず焼き尽くされた、と。
自分でもそう思ったけど、どうやら違うようだ。
「何だと?」
その言葉を口から発したのは誰だろう。僕を見る人達? いや上から聞こえたから、あの怪物のようだ。
ボクは炎に包まれたままの姿で怪物と目を合わせる。
「下等生物が俺様の炎に耐えるなどありえん」
ボクは黒炎が纏わりつく左腕を持ち上げる。
炎は未だにボクの皮膚を炭化させようと必死のようだ。
「何者だ」
ボクは何も答えず、左手を真っ直ぐ怪物に向ける。
「答えろ! 貴様は何者だ!」
「ガントブレイド。チェンジ、バトルモード」
神から教えられたこの呪文は、最初聞いたときはとても恥ずかしかったけど、悪を倒すためと思えば、躊躇うことなく唱えることができた。
左腕の金のブレスレットが液体金属のように形を変え、僕の手の中に銃として収まる。
銃のボルトが自動で後退し、体内のブレイブパワーを弾丸に変化させた。
その光景を見て、おそらく初めて見たからだろう。周りからざわめきが聞こえてくる。
空を飛ぶ怪物にとっても見慣れない光景だったらしく、こっちを見たまま固まっていた。
ボクは怪物の胸に照準し、三日月のようなトリガーに力を込める。
トリガーは引っかかることなく、滑らかに動き弾丸を発射した。
甲高い爆発音と、緑色のマズルフラッシュの衝撃が、ボクにまとわりついていた黒い炎を吹き飛ばす。
噴水周りの人々が突然の轟音と閃光で耳と目を抑える中、放たれた弾頭は迷うことなく怪物の胸に吸い込まれた。
「ぐっ……何だこれは?」
怪物が視線を落とすと、自らの胸の中央から少し左にずれたところに穴が空いている。
こちらを見た怪物の目に怒りの炎が灯って見えた。
「俺様の体によくも傷をつけてくれたな――ぬぐぅ!」
突然怪物が胸に手を当てて苦しみだす。
「まさか、この俺様が……こんな小さな穴ひとつで……グブッ」
怪物は口から勢いよく黒い液体を吐き出す。どうやら血のようだ。
吐血した怪物は、滞空したまま体を卵のように丸めると、その全身から緑の光が溢れ出す。
「貴様、一体何なんだぁぁぁぁっ」
怪物は、破裂する風船のように全身から緑の閃光を発して大爆発を起こす。
光が収まった頃には跡形もなかった。
「ボクはユート。この世界を救う勇者だ」
この名乗りは、もう聞こえてないであろう怪物に向けてではない。
噴水の周りで、爆風から逃れるためにしゃがみ込んでいた人々に向けてだ。
この時のボクは、今まで家で見てきたヒーローと一緒の立場に立てたと思い込んでいたんだ。