第七話 金の瞳の竜 異世界へ飛ぶ その3
タテモチナギ! 見つけた。こんなに早く見つかるなんて、これも神の力かしら?
「どうかしましたか」
いけない。名乗ってもらって何も反応しないのは失礼ですね。
『いいえ何でもありません。タテモチナギさんですね』
「はい薙と呼んでください。そちらのお名前は?」
『わたくしの名前は……』
そこまで伝えてから、あることに気づきました。
彼女がずっとこちらを見上げていることに。
大変。このままでは首を痛めてしまうわ。
「どうしました? 何かありましたか?」
『ナギさん。ちょっと待っていてください』
わたくしは話がしやすいように、彼女の目の前で自分の体の皮膚、筋肉、骨、細胞の一つに至るまで変化させます。
変化を終えたわたくしの目線の高さは、驚いて固まるナギさんと同じになりました。
これで、彼女が首を傷めることはないでしょう。
「改めて、わたくしの名前はリィべ・ムトセラピア。よろしくお願いしますね。ナギさん」
精神感応ではなく、言葉を直接発して彼女の耳に届けます。
「…………」
反応がない。どうしましょう、言葉が通じないのかしら?
「ナギさん。大丈夫ですか?」
彼女の目の前で手を振っても、固まってしまったように反応がありません。
困りましたわね……あら?
周りから熱い視線を感じました。
見ると、お揃いの緑の服装の男性が顔を赤くしてこちらを見てるではありませんか。
何か話し合っているみたい。
「あ、あれってさっきの竜だよな」
「そのはずだぞ。俺たちの目の前で突然姿を変えたんだ」
「女性だったのか。う、美しい……」
呆然としていますが 一体どうしたのでしょうか?
「はっ!」
わたくしが頰に指を当てて考えていると、ナギさんも正気に戻られたようですね。
「その二本の角に金色の瞳、あ、貴女は先程の竜と同じ方……なのですよね?」
ナギさんは声を震わせながら、わたくしを指さします。
「はい。わたくしはリィべ。今は竜からヒトの女性の姿に変化したのです。先程から男性の視線を感じるのですが何か問題があるのでしょうか?」
周りのヒトは皆熱に浮かされたようにボーッとしています。
「問題って、お、大ありですよ!!!」
大アリ、ヒトより大きなアリの魔物のことかしら?
「ちょっと待ってくださいね! えっと着るものか、羽織るもの……ない! とりあえずこれ着てください!」
ナギさんはあたふたしながら、自分の着ている黒いジャケットを脱いで私に手渡してきました。
「何故これを着ないといけないのですか?」
「ものすごく言いにくいのですが、そ、そのままでは多くの人にとって刺激的すぎます……」
「ああ、そうでしたね。失礼しました。わたくしったら」
ヒトでありながら全裸なんてはしたないと思われても仕方ありませんね。
そう竜からヒト姿に変化したのは良かったのですが、身に纏う服の事は失念していたのです。
私はジャケットを受け取り、それを羽織ります。
「キツくなどないですか? サイズが合うといいのですが」
「大丈夫ですよ……あら?」
……前のボタンが閉まらず、無理をしたらボタンは弾け飛び、
「あぅちっ!」
「……ごめんなさい」
ナギさんのおでこに直撃してしまいました。
タテモチナギさんの案内で、自動車という黒い鉄の馬車に乗ったわたくしは、乗ったまま窓がたくさんある建物の中に入りました。
「リィベさん。少し待っていてください。あっテーブルにあるお菓子は自由に食べて良いですよ」
「ありがとうございます」
自動車を降りて案内された小さな一室には、扉が一つしかなく、中央に鉄のテーブルと椅子が二個置かれています。
左を向くと壁の一角が丸ごと鏡になっていました。
それ以外は特徴のない、いえ殺風景で少し寂しいお部屋です。
とりあえず待っていてと言われましたし、座って待っていましょうか。
今のわたくしは先ほど渡された下着とジャージという服を着ています。
最初着方が分からずに、左手側に立ったナギさんに手伝ってもらいました。
しかし、ヒトは服を着て生きているという事をすっかり忘れていました。
竜の姿の時は服など着ませんからね。
実はこれも少しキツくて、胸元が空いたままですが、文句を言える立場ではないので、ここは我慢しておきましょう。
上で光るあれは、雷の魔法を使っているのかしら?
わたくしが天井で光る棒状の明かりを見ていると、扉が軽く叩かれて開きます。
入ってきたのは先ほど私を出迎えたナギさんでした。
扉が閉まると、外から微かな金属音が聞こえました。
ナギさんは、小脇に薄い本を挟み、両手に持ったお皿の上には、カップと袋詰めされた食べ物を載せています。
「お待たせしましたリィべさん」
「さん付けしなくていいですよ。呼び捨てで結構です」
「そうですか。じゃあお言葉に甘えて。これお茶とお菓子です。よろしければどうぞ」
「ありがとうございます」
私の対面に座ったナギさんは少し緊張した面持ちで口を開きます。
「では、単刀直入に聞きます……リィべ、貴女は何しに、この日本へ来たのですか?」
ナギさんは打って変わって鋭い槍の穂先のような視線を送って来ます。
警戒しているのですね。わたくしが何をするかわからないから。
まずはその警戒を解いてもらわないといけません。
「わたくしはこことは違う世界、トゥインクルワールドから来たのです」
「こことは違う、別次元の世界……あっ異世界という事ですね!」
ナギさんはテーブルに置いてある紙の束にわたくしの言葉を書き写しているようです。
何故か、異世界という言葉にすごく反応しています。
しかもちょっと目が輝いているような?
「リィベは異世界から来たのですね。そこで何かあったのですか?」
「はい。わたくし達の世界では冥王という悪に蹂躙されかけたのですが、それを勇者の活躍によって救われたのです」
隠しても信じてはもらえないと思い、自分の記憶している事を、全て彼女に話します。
彼女はチラリと鏡を見ます。
「凄い……まるでラノベやアニメの世界みたい」
「ラノベ?」
ラノベ? アニメ? この世界の呪文かしら?
「ああ、何でもありませんよ! 世界は救われたんですよね。その後は?」
「はい。世界は救われたのですが、今再び冥王が復活しようとしています」
そこまで言うと、書き写していた彼女の手が止まり、鏡を見ました。
「我々に援助を求めるという事ですか?」
「いいえ、貴女達に戦いの援軍を頼みに来た訳ではありません」
「そうですかー」
あからさまに安堵して、また鏡を見ました。
どうやら彼女達の軍はあまり強くない、それとも長い間戦争が起きておらず規模が小さい。
もしくは、今も何かと戦っていて、それに備えている?
「ではリィベは何しにこの世界へ?」
わたくしの思考はナギさんの質問によって断ち切られました。
「はい。わたくしはこの世界の文化を学びに来たのです」
「文化……我々の事を知りたいと言うことですね」
「ええ、その通りです。貴女達の世界の衣食住やどういう生活を送っているのか知りたいのです」
「はあ」
ナギさんのノートを書く手が止まり、鏡が気になるのか、何度も視線を送っていました。
わたくしは気付かないフリをして話を続けます。
「先ほど話した勇者、実はこの世界のヒトなのです」
「異世界転移!」
「ひゃっ!」
ナギさんが勢いよく立ち上がったのでビックリ。
しかも身体がテーブルにぶつかって、ペンが乾いた音を立てて落ちました。
「す、すいません!」
「大丈夫です。はい落ちましたよ」
「ありがとうございます。つい興奮してしまって」
ナギさんは頭を下げて椅子に腰掛けて質問を投げかけて来ます。
「その地球人は、男性ですか? それとも――」
「男の子です。緑の髪に翡翠の瞳で外見は十代前半の可愛らしい子ですよ。名前はユートと言います」
「ユート、ゆうと?」
彼の名前を聞いた途端、ナギさんの様子が少し変です。何か魚の骨が喉に引っかかったかのような……。
「貴女はユートの事を知ってるのではないですか? もしかして息子さんとか?」
「息子!」
ナギさんは黒目を大きく見開いて、わたくしを正面から見据えてきました。
「やっぱりそうなんで――」
「あっはははは」
あら、笑われてしまいました。何か可笑しい事言ってしまったでしょうか?
ナギさんはお腹を抑えてしばらく笑うと、落ち着いたのか、目尻を拭きながら、顔を上げます。
「……すいませんリィべ。私の息子なんてありえませんよ。私達夫婦には子供はいませんので」
「そうですか」
やはり記憶はないのですね。
「ところで、そのユートという少年ですが、名前からして日本人かもしれません。ちょっと調べてみます」
彼女はノートを持って外に出て行きました。
タテモチナギさん。あの人がわたくしが会いたかった人。
そう彼女が、地球でユートを産み育てた母。
戻ってくる間、わたくしは部屋の左手にある鏡をジッと見つめながら、置いてある飲み物、確かお茶と言っていましたね。それに口をつけます。
あら少し苦味があるけど、ほんのり甘みがありますね。
緑色だから、何かの草の汁なのでしょうけど美味しい。
次に、袋詰めされたお菓子というものを手に取って見ます。
袋は金色で触るとツルツルしていて、食べられなさそう。
マジックカットと書かれたギザギザのところにほんのちょっと力を込めると袋が切れました。
中から現れたのは、茶色くて四角いもの。
匂いを嗅ぐと、ほんのり甘い香りがします。
問題なさそうなので、食べてみました。
あらまあ、噛むと、強い甘味を感じましたが、同時にほんの少しの苦味がしつこさを緩和しているよう。
口の中が空になってからお茶を飲むと、口の中がさっぱり。
なるほど、この二つの組み合わせはよく考えられていますね。
こちらの世界の食べ物は確実にトゥインクルワールドよりも優れています。
特にこの茶色のお菓子――袋にはチョコレートと書いてあります――は、レニャがとても喜びそうです。
お茶の方はちょっと苦みがあるから苦手かも、ふふふ。
「お待たせしました……あっお菓子お口に合いましたか?」
調べ物を終えたのかナギさんが戻ってきました。
「はいとても。こんな美味しいものは初めてです。かなり高価なものなのでしょうね。わたくしの為にありがとうございます」
「そ、そんなかしこまらないでくださいよ。お茶もお菓子も簡単に手に入る物ですから」
「あらまぁ、こんな美味しいものが手軽に手に入るのですか」
「ええ。買うこともできますし、自分で作ることも可能ですよ」
「えっそうなんですか」
「気に入ったのならまた持って来ますよ。それで、先程のユートという少年の事ですけど……」
「あっ、何か分かりましたか?」
「いえ。ユートという名前で検索したのですが、該当する少年はいませんね。同じ名前の人間もいましたけど、年齢や特徴が合いませんでした。彼の親族も見つかりませんでした」
「……そう、ですか」
やはりユートの全てはこの世界から消えてしまっていました。母親の記憶の中からも。
もし彼女が覚えていれば、趣味や好みなどを直接教えてもらおうと思ったのですが、本当に残念です。
「あの、この世界の文化を教えてくれる方はいませんでしょうか? ここにいられるのは七日間だけなのです」
神はこう言っていました。この世界で八日目の朝になったら、強制的にトゥインクルワールドへの入口が開くと。
それが戻る唯一の手段なのです。




