第四話 勇者は胃袋を掴まれ リィベは頰をつっつく その1
「ユーちゃん」
「んあっ?」
竜を助けた夢を見ていたボクが瞼を開けると、こちらを見下ろす二つの太陽と目があった。
見てもわかるほど柔らかそうな白い肌に、光を受けて少し赤みがかった黒髪を持つ女性が、聖母のごとき笑みを浮かべながら口を開く。
「途中からぐっすり寝ちゃってたわね。とっても可愛い寝顔だったわ」
ここはリビング? アレ? ボクなんでここで座ってるんだっけ?
というかボクを見つめるこの女性は……?
そうだ。いきなり扉を壊してボクの母とか言ってた女性だ。
すぐに立ち上がろうとしたのだが、それが出来ない。何故なら後頭部が凄い気持ちいいからだ。
柔らかくて、適度に跳ね返してくるこの弾力感。
凄い良いクッションだ。この塔にそんな良いものあったのか。
「なあ、こんなクッション何処にあったんだ?」
まだ何処かにあるなら部屋に一つは欲しい。これがあったら凄い快適に過ごせるぞ。
「クッション?」
「うん。ボクの後頭部を支えてくれてるクッションの事だよ」
ボクは感触を確かめる為に後頭部を擦り付ける。まるで女性の柔肌のような暖かくて柔らかな触感。ずっとこうしていたい。
「んん……っ」
頭上からなんか変な声が……。
「ユーちゃん。嬉しいけれど、それはクッションじゃないのよ」
「えっこんな柔らかいのに違うのか?」
更に後頭部を押し付けると、頭半分が温もりに包まれた。
あったけ〜。天にも登る気持ちってこういう事を言うのか。
「んっ、そうなの……クッションじゃなくて……ンッ!」
何だよさっきから。くぐもった変な声出して、こっちまで変な気分になるじゃないか……。
「どうし……えっ」
様子を見ようと頭を上げると、先程と同じように二つの太陽がこちらを見ていた。
ただ、その瞳は潤み、顔は上気して赤くなっている。
左手で口を抑えているが、その隙間から漏れる吐息は火傷するほど熱い。
もしかして……!
なんかとんでもない事をしてる気がして、慌てて――少し名残惜しかったけど――クッションから頭を離して振り向く。
そして見た。白い割烹着を押し上げる二つの水まんじゅうが揺れ動いていたのを。
「はぁっ……もう、ユーちゃん押し付けすぎです。おかあさん息苦しかったわ」
「もしかして、ボクが頭乗せてたのって、おっ、おっ、おっ、ぱ……ぃ」
「ええ」
太陽ような瞳を持つ女性は、ボクの頭の感触を確かめるように自分の胸に手を置いて頷く。
「な、な、な、なんでそんな事を」
ま、まさか女性の胸に後頭部を埋めていたとは!
「起こさないほうがいいかなと思って。もしかして気持ち悪かったかしら?」
目尻を下げ、首をかしげながら聞いてくる。
いや気持ち悪いなんてことはなくむしろ気持ちよすぎてずっとそうしていたかったです。
何て言えるはずもないので、首を必死に横に振ることでこちらの意思を伝えた。
言いたいことが伝わったのか、彼女は胸に手を置いたまま笑顔になる。
「良かった。気に入ってくれたのね。またして欲しい時はいつでも言ってね」
「いや……あ、ああ」
いや大丈夫です。ときっぱり断りたかったが、あの温もりと柔らかさと弾力には抗いがたい魅力があったのも確かだった。
「あらまあ、おかあさん忘れてたわ。はい、これを見てみて」
「これは鏡?」
彼女は手鏡を取り出すとボクの前に持ってくる。
そこには鏡を持つ彼女以外に一人の少年が映っている。
誰だ?
誰かいるのかと後ろを振り向くと、柔らかい笑みを浮かべる彼女と目が合って、慌てて首を前に戻す。
じゃあこの鏡に映っている少年は……。
「ボクか?」
「ええ。ユーちゃんよ。どうかしら? 髪型これでいいかしら? おかあさんはとってもカッコよくなったと思うのだけれど」
確かに、この世界に来てから一度も切らずに伸び放題で、目元まで隠すほど長かった緑の髪は、今は短く切り揃えられて、とてもサッパリとしている。
前髪を整えてもらった事で、久しぶりに自分の瞳と対面した。
「気に入ってもらえたみたいね」
鏡を見ているボクに、彼女は顔が触れるほど迫ってくる。
微かに触れる頰はふっくらスベスベしていた。
「ち、近いって」
「ふふふ。ユーちゃんの瞳とっても綺麗。こっちの方が断然カッコイイわよ」
褒められて心臓がドクンと高鳴る。
今まで、自分の容姿を褒められたことなどなかったので、褒められるたびに顔が熱くなって反論できなくなってしまう。
「あら?」
鏡を見ていた彼女が何かに気づいたようだ。
「首のところに切った髪の毛が付いてるわ」
「うあっ」
彼女の指が首筋に触れた途端、ピリピリと小さな電流が走って変な声が出てしまった。
「ごめんなさい。痛かったかしら?」
「何でもない。ちょっとびっくりしただけ。後は自分でやるからいいよ」
どうせ、ほっておけば勝手に飛んでいくだろうし。
「駄目よ。着ているお洋服に付いたりしてたらみっともないわ。ちょっと待ってて」
そう言って、リビングを出て行く。どこに行くのかと耳をすますと、パタパタと上に登って行く音が聞こえた。
しばらくすると、物が入った桶を抱えて戻ってきた。
「それは?」
「おかあさんが頭洗ってあげるわ」
掲げた桶に入っていたのは、どう見てもシャンプーのボトルとタオルだった。
「ちゃんとリンスインシャンプーよ」
「いやそんなこと聞いてない。な、なんでそんなものがここにあるんだよ」
この世界では地球の物が手に入るのか? いやそんなはずはない。この世界はどう見てもボクがいた日本よりも高い文明だったとは考えられない。
お風呂だって沐浴で、温泉みたいなところもなかったはず。
「ふふふ。これはね……おかあさんが買ってきたの」
何故か少し誇らしげな様子。
「一体どこで買えるんだよ」
「それは後で話すから。今は頭を洗いましょ。痒くてたまらないんじゃない?」
「えっああ……」
彼女に指摘されて気づく。
会話しているうちに自分の頭をポリポリ掻いてしまっていたのだ。
そこまで無意識の行動を指摘されては、もう何も言えず、彼女に促されるまま歩いていくと……。
「頭洗うだけだから洗面台でもいいわね」
「ちょっと待て」
「あら、何か問題あるかしら?」
「いや、問題は、全くない」
むしろ問題はない。快適な環境になっていて驚いているのだ。
ここに洗面台なんてなかったはずだ。ここにあったのは、そう井戸だ。
結局、最初探し回って見つけたのはすでに枯れた井戸しかなかった。
なのに、今は水垢ひとつない洗面台へと姿を変えていた。
清潔感あふれる鏡に蛇口、どういう事だ?
蛇口の上部に二つのノブの内、一つをひねる。
「冷たっ!」
冷水が勢いよく出て手に掛かったので、慌てて止める。
「あらまあ! お洋服濡れてない? はいこれで拭いて」
「どうも」
彼女から渡されたほんのり温かいタオルで手についた冷たい水滴を拭う。
「今お湯出すからちょっと待ってて」
彼女がもう片方のノブを回すと、蛇口から出てきた水がしばらくして湯気を纏う。
どうやら温水になったようだ。
「はい。服濡れちゃうから、これ付けて」
ボクは水に濡れても大丈夫なクロスを被り洗面台の前へ。
「頭洗うだけだから、立ったままで大丈夫?」
因みに身長は彼女の方が大きいので、立ったまんまでも何の問題もなかったりする。
「ああ」
せめて口では反抗しようと、つっけんどんな返事をして見たが、彼女は微笑むだけ。
まるでこっちが小さい子供みたいじゃないか。
「これぐらいの温度なら大丈夫そう。ユーちゃんどうぞ」
彼女は柔らかそうな掌でお湯の温度を確かめてからボクをそこへ誘う。
ボクは吸い込まれるように蛇口の下に頭を移動させた。
頭全体が濡れたのを確認した彼女は蛇口の温水を止める。
「ちょっと頭動かすわね」
彼女のしなやかな指がボクの頭に触れる。
今のボクは水が入らないように目を閉じているので、感覚が鋭敏になっている状態だ。
そんな時に頭を触れられると、くすぐったいけど、ずっと続けて欲しい刺激が走る。
左側からとポンプを動かすような音が聞こえ、爽やかな香りが鼻をくすぐる。
どうやら彼女がシャンプーを掌に出したようだ。
彼女の髪から漂ういい匂いの正体はこれだったのか。
頭上で微かに何かをこすりあわせるような音が聞こえる。
シャンプーを泡立てているのだろうか?
次の瞬間、きめ細かい泡と細くてしなやかな感触がボクの頭全体に広がっていく。
「目に入ったらすぐ言ってね」
そうして十本の細い棒、いやこれは指か? それがゆっくりと動き、頭皮を滑る。
「爪とか当たってないかしら?」
「だ、大丈夫」
返事がしどろもどろなのは口に水が入ったからではない。
頭部が、頭全体が気持ちよすぎて口がうまく動かないんだよ!
彼女のほっそりとした指が十本同時にボクの地肌を優しく労わるように動き回るからだ。
あーこれどうしよう。もう頭がフワフワして、ずっとこのままでいいような気がしてきた。
そんな考えに浸っていると、不意に彼女の指の動きが止まった。
「ユーちゃん大丈夫?」
「……えっ?」
「身体が小刻みに震えてるわ。それに首に鳥肌が立ってるけれど……もしかして、爪が当たっちゃったかしら?」
どうやら、気持ちよすぎて身体が震えていたらしい。
「何でもない。気持ちよかっただけ……あっ!」
言ってからしまったと思ったがもう遅い。
気持ちいいなんて言っちゃったよ。
「あらまあ……気持ちよかったなんて……そう言ってくれて嬉しいわ。じゃあ、もっと洗ってあげるわね!」
彼女がボクの一言でとても喜んでいるのはその声の弾み方からして一目瞭然だった。
「えっ! ちょっと大丈夫だから――」
それから数分間、彼女の指の動きに悶絶しっぱなしになるボクだった。
モーターで温められた熱風がボクの頭に吹き付けられると同時に、ブラシが洗い立ての髪を梳いていく。
「ユーちゃん。もうちょっと顔上げてくれる? おかあさん上手く乾かせないわ」
「…………」
ボクは何も言わずに頭を少し上げた。
「ええ。それくらいでいいわよ」
彼女に髪を乾かしてもらっている間、ボクは前に設置された鏡を見れなかった。
何故なら目が合うのが恥ずかしかったから。
まさか女性に頭洗われるのがあんなに気持ちいなんて……。
そしてそれ以上に変な声が出てしまったのが死ぬほど恥ずかしい。
もし手元にドリルがあったなら、それを使って穴を掘り、今すぐ飛び込みたい気分だ。
「……よし大丈夫。はい。乾きましたよ」
彼女はドライヤー――もう驚く気も失せた――を止めると、ボクの髪が濡れてないか触って確かめる。
偶然だろうけど、指が時々耳に当たるだけで、さっきの心地よさを思い出してしまう自分がいた。
それがバレないように出来る限り目線を下にするのを心掛ける。
「飛び跳ねた髪もなし。ユーちゃん癖っ毛なのね。洗ったら爆発したみたいになってて、おかあさんちょっとびっくりしたわ。ふふふ」
何が可笑しいのか。口元に手を当てて笑っている。
こっちの気も知らないで。
「はい。終わりましたよユーちゃん。お疲れ様」
そう労いながらクロスを取ってくれた。
「疲れてなんかいないよ。それよりも、そっちの方が疲れたんじゃないのか?」
ボクの言葉に彼女は目を何度か瞬かせる
って、また何でそんなこと聞いてるんだボクは!
「あらまあ、ありがとう。でもおかあさんはこれくらいじゃ疲れなんて感じないわ」
「何でだよ?」
来て早々、雪掻き分けてお風呂作ったり、牢獄の中改装したり、ボクの髪切って頭……洗ってくれたりしたんだ。
並の人なら疲れるんじゃないのか?
「おかあさんは我が子が喜んでくれるお顔が見れただけで、疲れなんてどこかに吹っ飛んじゃうものなの。ふふふ」




