第三章 前半
帰りの時刻になっても、生徒玄関に人影は見られない。
あんな事が起きた後でも、部活動は無くならないようだ。あちらこちらから、元気な掛け声が響いてくる。まあ、帰宅部の俺には関係のない事なのだが。
結局あの後死体は消えて、それ以上問題になる事は無かった。教師が誰も見ていないし聞いていないのだから、どうしようもなかった。
「あーあ、帰ろっ!」
もう忘れよう。これ以上首を突っ込むつもりも無い。
内履きを脱いで、下駄箱に突っ込む。
ぐしゃ。
紙のくしゃくしゃになる音がした。内履きをどけてみると、やはり紙切れが入っている。広げてみる。
『放課後、屋上まで来い』
左下には、ご丁寧に今日の日付がついている。
「きたねー字」
まさにミミズののたうった様な字。筆圧が濃いうえに、はみ出さんばかりのでかい字。
絶対野郎だ。断言できる。リンチされるんだ。いわれの無い因縁つけられて、ボッコボコにされるに違いない。
この学校では、そんなこと日常茶飯事だ。よく救急車とパトカーが乗り込んでくる。
俺はまだ、一度も呼び出しを食らったことは無かった。かつあげされた事ならあるが。
「はあぁー……」
ため息が漏れ出るばかりだ。
打撲で済むだろうか。骨までいかなければいいけど。
バッグを床に置いて、渋々と内履きを履きなおす。
「行くっきゃないか――――」
今行かなければ、後でもっとひどい目に遭うかもしれない。そんな、酷く後ろ向きな考えで。
◇
屋上の手前まで来たところで、足が重たくなる。
「何人居んのかなあ……」
未だに踏ん切りがつかないでいた。
やっとの事でドアノブに手をつけるが、どうしても、「捻って押す」という簡単である筈の動作が出来ない。
男らしくないと言われたって構わない。しかし痛いのが嬉しい人なんて、そういう特殊な人で無い限り、あり得ないだろう。
「はああぁ――――っ」
ドアノブに力を込める。
「えいっ」という我ながら可愛らしい掛け声と共に、ドアを開け放った。
「……………………?」
女子生徒が一人立っていた。
大人びた顔つきだが、高いところでツインテールにしている。しかし不思議と違和感はない。ただ、流れるよーな黒髪のストレートヘアーは、女子高生の間で茶髪の巻き髪が流行っている時代としては、違和感を覚える。
内履きの色から、同じ一年だと分かる。
他には誰もいない。ドアの裏にでも隠れているかと思ったが、そんな様子もない。
不良は? 俺をボコろうとしている奴らは?
とりあえず、この子に聞いてみるしかないか。
「あの……、君は……?」
恐る恐るといった感じで話しかける。
すると少女は、顔に似合わない子供っぽい笑顔で、片手を伸ばしてきた。
「ボクは『殺人部』部長の、空谷澄子。キミと直接話すのは初めてだね」
心臓がドクンと脈打つのが聞こえる。
この声。この、子供みたいな、舌足らずな喋り方。あの時とは違って、砕けた喋り方をしているけれど。
「……放送の――――っ」
顎がガクガクいって、いうことを聞かない。
後ずさりし過ぎて、閉まったドアにぶつかる。
そんな様子気にもせずに、二人の間隔を縮めてくる少女。
「今日はね、キミを『殺人部』に勧誘しに来たんだ」
勧誘? ああ駄目だ、訳が分からない。
「部活入って無いでしょ、黙人」
「――――――!」
今、確かに黙人って言った。なぜ俺の名前を知っている? なんで部活に入って無いって分かっている?
「それじゃあ黙人、『殺人部』に入るでしょ? うんって言って。入部届けとかいらないから。口約束でいいよ」
図々しくも、決定事項にしようとしている。
殺人部に入れ? ふざけるな。
急に冷静になった。
「嫌だ」
仲間なんて、作る訳ないだろう。
相手が殺人犯だろうが、恐れることは無い。
もう誰にも関わらないと決めたんだ。
道徳とか法律とか、そんなどうでもいい事じゃなくて。
犯罪者だろうが、傷つけたくはない。それは、俺が決めた。俺の意思だから。
「嫌だって? 何で? どうしてー?」
子供みたいに不機嫌な顔をして、手をバタバタさせる。
「傷つけたくないんだ。俺のせいで、大事な人、何人も失ったんだ。君に関わったら、今度は君が死んでしまう羽目になるかもしれない。これ以上、他人と関わって、感情を移したくないんだ」
正直な気持ちが口を突いた。でもやっぱり怖くて、言葉の端が震えた。
さっきまで不機嫌だった少女は、またまた笑顔に戻った。しかしそれは、無邪気だけれど、悪戯っぽい表情で。
「これ、どうなってもいいのかなぁ。いいのっかなぁ」
楽しそうに少女がひらひらさせたそれは、写真で。
死んだように美しい、少女が映っていて。
「みうちゃん!」
写真に手を伸ばした。
「殺人~、死体遺棄~。けーいさつにー言っちゃーおー」
みうちゃん。本名、五月雨深雨。俺の彼女。だけど。
殺人? とんでもない。
第一、死んでなんかない。
ずっと一緒に居られる様にしただけじゃないか!
「失いたくないからって~、勝手に殺して~。しかも死体愛好家~」
少女は悪ふざけをやめない。
「この死体も失っていいのかな」
いやだ。唯一の大事な人なんだ。彼女がいないと――
「入る」
深く呼吸をして。
「俺、『殺人部』に入る」
他の何を傷つけてでも。彼女だけは、失う訳にはいかないんだ。