表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/22

第十二章 下

 振り返った少女はまだ子供っぽい顔立ちをしている。そして首からかけているのは一眼レフカメラ。

「新聞ぶ……」

「轟振子?」

 新聞部の子? と聞こうとしたのだが、流ちゃんの素っ頓狂な声が割り込んできた。

「誰おまえ!」

澄子ちゃんは楽しそうに指を指している。

「知ってる子?」

僕は流ちゃんに尋ねる。

「新聞部部長よ。新部長は一年になったって」

 一年なら澄子ちゃんは知っているはずでは。しかし当の本人は、首をかしげ、「こんな奴居たっけ」と小首をかしげている。

 それにしても一年生が部長とは、うちの部と同じだ。実力がものをいう時代が来たらしい。

「あなたもしかして、あいつの敵討ちをしに……?」

 あいつとは、おそらく、あの日僕らが殺したカメラ小僧の事だろう。カメラを持っている人間は写真クラブか新聞部しかいない。

「許さない――」

 新聞部の部長は微かに呟いた。そして制服の上着を脱ぎ捨て、ブラウス姿になる。華奢で、小柄な割にはくびれがある。

「受けてみなさい。薬で強化された私の攻撃――」

 拳を構える少女。迷いないそのポーズは、完全な臨戦態勢だ。

「うりゃあっ!」

 右足を高く振り上げ、内履きのつま先が僕の眼前に迫る。この子は、唯一の男である僕を狙ってきた。か弱そうな女の子から狙うのが普通だろうが、そうしなかった。それは、かなり腕に自信があるからだろう。

 残念ながら僕は、素手で戦うのは得意ではない。その代わり――

「あれっ? 包丁持ってくるの忘れた!」

「ばかっ」

 ともちゃんの的確なツッコミが飛んでくる。

 スローモーションで、少女のつま先が迫ってくる。

 避けれない。包丁がなければ、僕はただ料理が得意なナヨナヨ男にしかならない。

 覚悟を決めて、目をつぶる。

「わあっ?」

 どんっ!

 鈍い音が響いた。

 静かに目を開けてみる。

 少女は、地面に尻餅をついていた。

 原因はおそらく、このワックスがけされていない床だ。この特別棟には、もう何十年と掃除されていない。去年の大掃除の時も、新しい普通棟だけワックスをかけ、特別棟は掃き掃除さえしなかった。

 つるつるの床に次わりこんだまま、少女は立ち上がろうとしない。仕舞いには泣き出してしまった。

「痛い……痛いよぉ……ふぇ」

 めそめそしている少女に、澄子ちゃんは近寄る。

「大丈夫? 泣かないで――」

 机に置いてあったガムテープで、彼女をぐるぐる巻いていく。べりべり、ぐるぐる。べりー、ぐるぐる。

「ふぁ?」

 腕動かないように一緒に捲きつけて、とうとうガムテープを切り取った。

 澄子ちゃんは、ふぅっと、額の汗をぬぐう。

「できた!」

「よくやった!」

「さすが……!」

 僕らは澄子ちゃんの行いを褒め称えた。

 一方少女は、縛られたまま、バタついている。

「なんで!あんなにいっぱい飲んだのに、どうして強くならないの?」

 なんかよく分からないが、まあそれにしても――――

「おいしそう……」

 よだれが止まらない。

 もうまる二日、何も食べていない。そもそも僕は、人肉以外食べられない。食べる気が起きないのだ。

 二日間ずっと、牛や豚の肉を食べてみたり、鯨の肉を試してみたりした。けれどやっぱり、もう一口とはいかなかった。

 そして今日やっと、ご飯が食べられる。

 体が勝手に、少女に引き寄せられていった。

「へ? な、なんですか? いやぁっ! おいしくありません! 私、おいしくありませんよ!」

 美味しそうな二の腕に噛り付こうとする僕を、全身で押し返そうとしてくる。しかしだるま状態になっているその姿では、身動きが取れていない。

「わあ、お嫁に行けなくなります! ていうか、三途の川に行ってしまいますー!」

 暴れながら転がるそれは、マトリョーシカにも見える。

「うっ!」

 突然獲物が、苦しみ始めた。顔を歪め、涼しいのに汗をかいている。

 僕らはその様を、きょとんとしてみていた。発作か? 何か、持病でもあるのだろうか。それなら薬を与えないと。ここで死なれたら、せっかくのエサが、新鮮じゃなくなる。踊り食いのチャンスなのに。

「くすり……、くすり……」

 口をパクパクさせている。

「薬、持ち歩いてる? 何処にあるの?」

 暴れ始めた少女。もはや、質問に答えられる状態ではない。

 すると、振り乱した少女の胸ポケットから、錠剤が飛び出してきた。

 しかし想像していたのと違う形状をしていた。その錠剤は、とてもカラフルな色をしているのだ。決して、病院で処方されるタイプのものではない。

――――ドラッグか。

 明らかに、法で認められていない品だ。

 なぜ、という疑問は置いておいて――――さて、どうしたものか。

 こんなものを摂取している人間、食べて大丈夫なのだろうか。

 ドラッグを摂取すると、内臓がボロボロになるっていうじゃないか。

 茶色いスカスカの内臓を肝臓を想像したら、食欲が失せてきた。

 何だかんだ考えているうちに、少女は目に見えておかしくなってきた。「かおり――」と呟きながら、中空に手を差し伸べているのだ。時々何かに怯え、手で追い払うような仕草をする。

 完全に、ドラッグの禁断症状だ。しかし薬物となると、同情の余地もない。勝手に苦しんでいろといったところだ。

「待ってね、今あげるからねー」

 残り七粒ほどある錠剤をすべて取り出し、少女の口に押し込む。それを少女は、ぼりぼりと噛み砕いて食べた。ラムネ菓子を食べる要領で、一気に完食したようだ。

「ぐあぁ――!」

 おかしい。全く収まらない。

 ドラッグは、摂取していくごとに、その用量がどんどん増えていく。

 あの量を食っても収まらないとなると、かなり薬物に溺れているらしい。最近手を出したばかりという訳ではないようだ。

 少女の胸ポケットに手を突っ込む。もう一つ出てきたが、それは全てカラだった。

「そろそろ、ヤバいんじゃないの」

 流ちゃんが言った。その通りだった。果たしてこれが、何の薬かはわからない。僕らは殺人犯であっても、薬物密売者ではないからだ。ドラッグの話なんて、保健体育の教科書でしか見たことがない。

 しかしこのまま放っておいて、厳格で舌を噛みちぎって死ぬというのもあり得る。

 目の前の少女に声を掛けられないでいるうちに、澄子ちゃんは突拍子もない事を言った。

「もう、帰ろうか」

「へっ?」

 僕が振り返るのと同時に、流ちゃんも同じように振り返った。

「これ……、放っておくの?」

「うん、だって、この様子じゃ殺しても楽しくないでしょ。それに、こんなもの美味しくなさそうだし」

 僕と流ちゃんはまた同時に頷いた。

 確かにそうだ。興味が失せた。急に呼び出されたから、何があるのかと期待してしまった。それなのに現れたのは薬物中毒者ときたもんだ。

「そうだね、帰ろうか」

 立ち上がって、膝の埃を払う。窓の外からは、煌々と輝く街並みが見えていた。都会はいいな。咄嗟に、そう思ってしまった。

僕は、田舎から来た。それも過疎化が進んでいて、教育機関は一つもないところ。そこで僕が思い出すのは、澄んだ空気でも、美しい田園風景でもない。あの、地獄と化した景色。唯一僕だけが知らなかった、あの村の、秘密の景色。そして僕の、食人の始まり。

 急に眩暈に襲われた。もしかしたら、ただの立ちくらみかもしれない。ただ、引いていく血潮に、どうするもなく立ち竦んだ。

「どうしたの、晴ちゃん」

 澄子ちゃんが、僕の顔の前で手を振っていた。流ちゃんも不思議そうに見上げていた。

「ううん、なんてことないよ」

 よし行こうか、そう僕たちがあの少女に背を向けた時。

「ぐうう……許さない……、ユルザナイ――――うぐあああああ」

 急な咆哮に、振り返る。

 ぶちぶちっ、とガムテープを破り去って、両手足が自由になった。

 僕らは、何が起こったか分からず、動くことができない。

 その際にも、豹変した少女は、一番近くにいた流ちゃんに向かって、迫っていた。

「シネ…………!」

 少女のストレートパンチは、流ちゃん愛用の小刀に側面からぶち当たった。

 バリンッ!

 高い金属音と共に、小刀は根元数ミリから折れた。大きく目を見開いた流ちゃんに、次なる拳が飛ぶ。

「ぐぅっ――――!」

 潰れたような声と共に、流ちゃんは廊下側の壁まで飛んで行き、動かなくなった。

「「流ちゃん!!」」

 僕らの声に、流ちゃんの反応は無い。

 なんだ、この力は! 鋼を折り、小柄な少女とはいえ人間を、数メートル飛ばした。果たしてこれは、女子高生の力だろうか。いや、人間の力なのだろうか。

流ちゃん、生きてるよね? 湫先生のところに連れて行かないと。手遅れになるかもしれない。

 流ちゃんに駆けよる暇は、許されなかった。三つ目の攻撃は、真っ直ぐ僕の鳩尾へ向かってきたのだ。

 気が動揺していた僕は、あっさり吹き飛ばされた。そして床に叩きつけられる。やばい、内臓が……。

 ぐちょっという音がした。内臓がどこか潰れているのだろう。どうすればいいんだ。まあ、湫先生なら何でも治せるからなぁ。あの人は医師免許を持っているし、手術くらい保健室でやってくれるかもしれない。

 それにしても失敗した。何かの罠かもしれないとは、頭の隅に入れていた。そもそも僕らは、端からそのつもりでここまで来た。けれど、僕らより強くて狂っている人間がいるとは、思ってもいなかったんだ。

『殺人部』は最強そして最狂。そう信じ込んでいた。傲りだったというのか。

 無理に顔を上げると、そこでは澄子ちゃんと少女が向かい合っていた。怒りに顔をゆがませている少女と、表情を消す澄子。空気が張り詰める。

 勿論、澄子ちゃんが勝つだろう。だって、彼女は僕らのうち誰よりも強いから。彼女が負けるところなんて、想像もつかない。

 けれどそれは、あっさり裏切られた。

「悪い奴ハ……、死んデ当然です…………」

 澄子ちゃんは、負けてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ