画廊【がろう】
案内状の通り、道を歩いてゆくとそこには小さな画廊があった。
中に入ってみると、油絵の独特な匂いが鼻をついた。
案外、人は入っている。
見たことのないものばかりの風景が、壁に窓のように飾ってある。
家、田んぼ、海に紅葉。
言葉は悪いが、特殊な絵は一つもない。
だがそれがまた人の心を掴むのであろう。
淡い木漏れ日は人をノスタルジーな心にさせ、虜にする。
絵の前に人が固まっている。
作者だろうか。おじいさんがいる。
説明をしていたり、人と話をしている。
それを横目に、奥へ進む。
一枚の絵の前で足が止まった。
驚くべきことに、行ったことはないが懐かしく感じる家が描かれている。
だが二階の窓は割れている。
その不気味さが心に引っかかり、しばらく立って見入っていると
「気に入りましたか?」
と話しかけられた。さっきのおじいさんだ。
”ええ、この風景がどうも懐かしくて・・・”
「そうですか。じゃあ、この絵はあなたのものですね」
私のもの・・・?
ちょっと待ってくれ、と言葉が出る前に男は
「いやあ嬉しいな。やっと見つかった」
「あぁ、そうだ。この絵の話を聞きたい」
「行きつけの喫茶店があるんだがそこで話をしてくれないか」
とサクサクと話を進めた。
とんでもないじじいだ、と思ったが、何故かすごく嬉しかった。
おじいさんに連れられビルの一室にやってきた。
こんなところに喫茶店があるのか・・・と疑問に思ったがそれを打ち消すかのごとくコーヒーの香りが扉の向こうから漂ってきている。
「行きつけの喫茶店、と言ったがすまないね。僕はここで絵を描いているんだ」
「決してアトリエってわけじゃないけど・・・。」
そんな話を聞きいていると、扉が開いた。
「いらっしゃい。あら、お久しぶり!」
タヌキのような可愛らしいおばあさんがにっこり笑って出てきた。
天井はコンクリートはむき出し、地面は古びたフローリング。
壁には敷き詰められるように風景の絵が飾ってある。
窓からは大きな川が見える。
流れるように窓側の席に案内され、メニューを聞かれた。
男はいつものを頼む。とだけ言うと、おばあさんは裏に引っ込む。
…しばらくすると「落ち着かないかね」優しく声をかけられた。
そわそわ、キョロキョロしている私を見かねたのだろう。
”それはそうでしょう。いきなり連れてこられましたから・・・”
と言うと奥から「あんた勝手に引っ張ってきたのかい!」と笑い声と共に
台に香ばしいコーヒーとチーズケーキを乗せて、おばあさんが出てくる。
おじいさんは「違うぞ」と不機嫌に答えた。
テーブルに置かれたコーヒーは、深い紫色をしている。
一口啜った。おじいさんも啜った。
味は・・・
・・・・。
「では、話を聞かせておくれ」
話・・・。そうだ話だ。
”あの絵は、どこか懐かしくて、二階の割れた窓に引き込まれそうで”
”帰りたい、自分の家です”
思わぬ言葉が口からこぼれ落ちた。
慌ててコーヒーを口に入れてゴクリと飲む。
意識していないのに、ボロリと落ちた言葉。
その言葉がタガだったのであろう。
ボロリボロリと言葉が大量の汗と共に溢れ出る。
”描いたのは私だ”
”でも、酷評だった”
”展覧会でどこにでもある普通の絵と言われ、大勢に笑われた”
”悔しくて悔しくて辛かった”
”あの日から絵が描けなくなった”
”あの絵が目に入ると気が狂うのです”
”あの二階の窓をイーゼルを投げて破ったのは私です。”
”そして自分で・・・”
ポケットから血のついたパレットナイフを取り出した。
おじいさんは手を差し出した。
弱々しく渡す。
すると次の瞬間、おじいさんはナイフを絵に突き刺した。
”何を…!?”
ナイフを引き抜こうとしたが力が入らなかった。
刺さった場所から絵の具が溢れ出ている。
私の腹からも・・・。
全身の力が抜けてゆく。
がたり、と椅子から落ちた。
意識が遠のいて行く中
「自分を大切にしろ馬鹿野郎」
と、怒声が耳に響いた
不思議にも聞き慣れた優しい声だった。
私の名前を呼んでいる。
母さんだ。
「おかえり」と優しく私を包んだ。
ふわり、と消毒液の匂いと母の匂いが舞う。
痛みを感じお腹を見ると、縫った後がある。
しばらく経ち、家に戻るととても懐かしく感じた。
当たり前のように仏壇に手を合わせに行く。
これが日課だったからだ。
手を合わせながら
”お母さんに寂しい思いをさせてしまいました…ごめんなさい”と報告しつつ写真を見るとそこには
あのおじいさんとおばあさんがいた。
心拍数が上がる。ドタドタと走り二階に駆け上がる。
傷が痛む。
自分の部屋に入ると、油絵の独特な匂いが鼻をついた。
あと、少々鉄の臭いもしていた。
二階の窓は割れ段ボールが貼られている。
私はここで、自分の腹を刺したのだ。
そして机に目をやると、
パレットナイフが突き刺さったあの絵・・・窓の割れていないあの絵が置かれていた。
私は不覚にも安心していた。
あの絵は燃やした。
その日からまた筆は進むようになった。
おかしなことに以前より気が楽である。
私は呪縛から解放されたのかもしれない。
あの世で死んで。