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冷たい不死鳥  作者: 岩岸佐季
終章
8/10

水脈のみち

 かれは、おぼろげに目を覚ましました。


 あたりは、闇夜のように真っ暗です。空を見上げても、月も、星もありません。ただ、ごうごうと、風音が絶え間なく彼の横を吹き抜けてゆきます。




「ここは、どこだろう。」




 と、かれはつぶやきました。


 強い風が、こたえもなく、はるか遠くへと流れていきます。


 かれは、自分が靴を履いていないことに気が付きました。地面はぬるぬると湿っています。




「ぼくは、どうしてここにいるんだったっけ。」




 彼が発した声の残響は、ひとつひとつ、まるで割れたコップに水をそそぐように、あっというまに消えてしまいます。


 闇の中、いつまでも響きつづける風の音色が、彼を心細くさせました。


 せめて、どこかに、ここから出られる手がかりはないだろうか。


 どこを向いているのかもわからないまま、歩きにくい、明かりのないその湿った空間を、一歩一歩、手探りで進んでいきます。



『そっちじゃないよ。王さま。』




 ふいに、かれを呼ぶ声がしました。




「だれですか。いま、どなたか、ぼくのことを呼びましたか。」




 かれは声の主を探して、あたりを見渡します。目はぼんやりと暗闇に慣れ、あたりの様子もうっすらと分かるようになっていました。




『そっちじゃないよ。さがしてごらん。アタシたちは、うんと小さいからさ。』




 言われたとおりに目を凝らすと、かれはときおり風の中に小さく、緑色に光るかけらが散っていることに気が付きました。


 かすかに、ささやくようにかれに語りかけているのは、その光るかけらでありました。


 うんと小さいので、かれの闇に慣れた目でなければ、見過ごしてしまうほどなのでした。




『気が付いたかい。アタシたちのことに。』


『はじめまして、王様。アタシたちは、水の精。』


『ここは、大陸の底に張り巡らされた、無数に分かれる水脈のみち。女王陛下が、あなたを賢者様のところに案内するように、とおっしゃったの。』


「女王陛下?」




 光の声が、笑うように言います。


 かれはおうむ返しに、声に訪ねました。




『そうだよ。あなた、自分がどんな目にあったのか、覚えていないの。』


『そんな風にまでなって、姿さえなくしてしまって。』


『だから、慈悲深きわれらが女王陛下が、慈悲深きお心をもって、あなたのもとへぼくらを遣わしたっていうわけさ。』




 かれはそう言われて、ようやく、自分に何があったのか、ぼんやりと思い出しました。




「ああ。そうか。」




 彼は自分の腕を持ち上げます。それは、どろどろにとけて、水のようになってしまっていました。


 指も、手首もなくなった袖もとから、しずくがぼたぼたと零れていきます。


 かたちをまるごと喪失した自分の身体を眺めて、かれはぽつりとつぶやきます。




「ぼくは、自分自身の魔法で、氷になってしまったのだったっけ。」




 水の精たちは、意を得たりと、さざ波のようによろこびました。




『そうだよ。きみは、もうかつての肉体を失ってしまった。』


『偉大なる王はもういない。』


『かわりに、わずかな残滓だけが残った。』




 かれは、その台詞に、ぼうっとしながら反論します。




「ぼくは……王なんかじゃないよ。ただの兵士で……」




 水の精たちはあわてた様子で、かれの言葉を遮りました。




『王さま、それ以上は、口に出さないほうがいいよ。』


『ただでさえ、殆どの部分をなくしてしまっているんだ。それ以上くちにしたら、言霊に全部もっていかれてしまうよ。』


『あいつらは、地の底だろうと、水脈の奥深くだろうと、どこへでも関係なしにあらわれるからね。』


「……うん。」




 かれは頷きました。どこかで、彼らの助言にしたがうべきだと、分かっておりました。




『それで王さま。なにか思い出したのかい。』


「ああ、うん。よく覚えていないけれど、誰かにこの道を行けと言われた気がする。」


『ああ。それはわれらが女王の言葉だ。』


『女王の命に応えるのがアタシたちのつとめ。あなたがここから先へ行く手助けをしてあげましょう。』




 水の精たちが応えると、かれの目の前に、白いまっすぐな道がひとすじ浮かび上がります。


 それははるか遠く、はるか闇の向こう側までのびているようでした。





『さあ、お行きなさい、王様。』


『この道をすすめば、賢者のもとへ着けるだろう。』


『じゃあね。もう、あなた自身を失ってはいけないよ。』




 かれは白い道を背に、いちどだけ振り向きました。


 そこにはもう、水の精たちの姿はありません。ただ真っ暗な闇ばかりが、口をあけています。




「ありがとう。……もし、あなたがたの女王に出会えたら、かわりにお礼を言っておいてほしい。」




 返事は聞こえませんでした。


 ただ、ごうごうと吹き抜ける風の中に、かすかに、小さな光が舞った気がしました。






   ∞






 石と岩が転がるばかりで、水脈は荒涼としておりました。


 ときおり、道の傍らに遥か太古の竜や、巨人や、名もなき神兵たちの屍が転がっているほかは、どこまでも無機質に変わりない風景が続いています。


 白い道の先は、もやがかかったように、にじんで見えません。かれはその道を、幾日も幾日もかけて、ひたすら進みました。


 意識が遠くなるまで歩き、疲れてはうずくまって眠ります。




「どこまで歩くのかは分からないけれど、水の精たちの言葉にしたがうべきだ。」




 迷路のように複雑にいりくんだ水脈を、白い道がただしく目的地まで導いてくれていると、かれは確信していました。


 ごくごくまれに、その証拠となるものも、みつかりました。


 荒れた道の傍らに、赤く光るものが落ちていることがあります。近づいて拾い上げると、それはいつも、小さな宝石なのでした。


 宝石の放つ赤い光を見つめていると、わずかにかれの脳裏に、なつかしい光景がよみがえります。




『魔王の星。わたくしはあの星が一番好きですわ。』




 もう、聞くことはかなわないと思っていた、透きとおる響き。


 まるで薄くて軽い金の板がふれあうように、さらさらと楽の音が響きます。その演奏に重ねるように、女性の声がかれに話しかけます。




『本当かどうかは知りません。ですがあれは、わたくしにとってあなた様の星なのです。』




 誰の声だったのかは、かれにはわかりません。


 ただ、その声は、不思議とかれの耳に好ましく響きました。彼女が彼にかける言葉が、嘘いつわりのない、誰かへの思いやりにあふれているように、かれには聞こえました。




『あなたさまのお力をもってすれば、帝国を攻め滅ぼすことも、容易でしょうに。』




 水の精たちは、かれのことを王と呼びました。


 ぼくは魔王だったのだろうか、と彼はふと思いました。






   ∞





 湿った水脈を、かれはさらに進みました。


 生き物の化石は少なくなり、かわって、むき出しになった天然のウランや石油の鉱床が目立つようになりました。ところどころ、地盤の圧力に負けたのでしょうか、まっさらな事象軸そのものが岩盤を貫いていることもありました。


 赤い宝石は、ときおり、思い出したように落ちています。まるで、その場所でかれを待っているかのように。




『あなたはわたしとお父さまの命の恩人の生まれ変わりなのですよ。』




 遠い日の、両親の声が聞こえます。自分がだれなのかはわからないのに、かれにはそれが、両親のこえだということだけ、はっきりとわかりました。


 本ばかりを読んでいるかれに、かれらは心配するように、優しく声をかけます。




『おまえは、かしこい子だ。だがなあ、そんなに急いで進級する必要は、ないんじゃないか。


 父さんの身体のことは、心配いらないよ。おまえひとり食わせていけるくらいの備えはあるんだ。』


『あなたは、かしこいうえに優しすぎるのね。だから気持ちをわたしたちにも隠すのかしら。


 ねえ、愛しい私の子。あなたは、あなたが本当にやりたいことを、言葉にだしていいのよ。』




 かれが両親になんと答えたのかは、わかりません。ただ、なんだか胸があたたかくて、頬が自然と緩むような、そんな心地でした。


 白い道をひたすら進みながら、はじめて彼は、




「帰りたいな。」




 と思いました。


 いつのまにか、左腕の感覚がなくなっていることに、気づきました。






   ∞






 訓練通りやればいいのだ、とその上官はいいました。




『ねえ、手をにぎっていて。』




 かれの隣で、少女がねだります。かれはこたえて、優しくその手のひらを握りました。


 彼女は少し驚いた顔をすると、すぐにおかしそうに、ふふ、と笑いました。




『あなたの手のひら、相変わらずとっても冷たいわね。まるで雪みたい。


 これじゃあ逆に、わたしが温めてあげたくなってしまうわ。』




 ぎゅっ、とかれの手のひらが握り返されます。少女の手のひらは、汗ばんで、じっとりと熱をもっていました。


 彼女のふるえる唇が、炎と熱の呪文を、素早くむすびます。


 魔法が、






   ∞






 右腕に続いて、左脚が、最後に右脚の感覚がなくなっていきました。


 気が付けばかれの身体は、いつしか輪郭を失い、水脈を流れる水と同化しておりました


 それでも、かれは白い道を進み続けます。地の底にひかれた道を、水と同化したまま、彼は流れていきます。


 海に出るのだ、とかれは思いました。

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