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冷たい不死鳥  作者: 岩岸佐季
クオンの章
6/10

いくさ

 雪がちらついていました。


 手をごしごしと擦り合わせて、身震いをしながら、カリンはそこに息を吹きかけます。


 彼女の眼鏡がほんの一瞬だけ熱で薄くくもり、またすぐに透明に冷えてゆきます。




「寒いのか。」




 クオンは彼女を気遣うように言いました。


 彼には、冬の寒さの厳しさが、よくわかりません。物心ついたころから、冷気や北風、地上の霜、たまに帝都に降る雪などは、彼の大切な友人でありました。おのれ自身の持つ魔力のせいか、クオンの身は寒さを感じることがほとんどないのでした。




「うん。」




 一方のカリンは顔を真っ赤にして、ぶるぶる震えながらそう答えます。辛そうです。


 もともと痩せぎすだった彼女は、この戦争がはじまってさらに薄く、ひとまわり小さくなってしまったかのようでした。


 寒さのせいか、目もとにも力がありません。得意の火魔法が使えればよいのですが、今は作戦行動中のため、それは禁じられているのです。




「そういえば、カリン。覚えているかい? ぼくが、不死鳥さまの生まれ変わりだっていう話。


 母さまが不死鳥さまにお目通りしたのは、一年中こんな風に寒い土地だったみたいだよ。


 雪山を踏み越え流氷を船で渡り、ひたすら北へ北へと旅を続けたそうだ。」




 クオンは、少しでもカリンの意識をひこうと、彼女に話しかけます。




「あなたのお母さまはすごいね。わたしには、とてもまねできそうにないや。ここの冬でさえ、こんなに厳しいのに。」


「ほら、がんばって。もうすぐだから。――きたよ。カリン、準備して。」




 遠見の魔法の向こう、クオンの目が、動くものを捉えました。


 それは軍隊でした。はるか眼科、山向こうの谷底を、隣国の兵士たちが行軍しているのです。


 ふたりが待っていたのは、彼らでした。




「……二、三、いま!」




 カリンはふるえる指で、魔法式を紡ぎます。


 ふたりが見つめる先、はるか遠くの馬車が、ゴウ! と炎に包まれました。カリンが研究改良した、炎の遠隔魔法です。


 それは膨張し、あっというまに谷底をなめつくしました。


 豆粒のような大きさの兵士たちが、あっというまに炎にのまれてゆきます。焼かれながら逃げまどう者。崖を這い上がろうとする者。炎の壁を脱出しようと、必死で命令らしきものを出す者。


 そして、一台の荷馬車を内部から破壊して、転がり出てくる黒い影。


 獣の咆哮が、離れているふたりのところまで響きました。




「グゲエエエエエエ」




 燃え盛る馬車からとびだしたひときわ巨大な影は、耳にしたものすべてに恐怖を感じさせるような、怒りの声をあげました。


 その巨体をのたうたせ、炎を消そうとしています。魔法の直撃を浴びて、苦しんでいるようです。




「またキメラ……懲りない人たちだね。クオン、あれの正体、わかる? 前回のサソリと同じくらいにしたけど、魔力、足りるかなあ。」


「あれはたぶん、ベースはバジリスクだ。問題ない、じきくたばるさ。」




 クオンの言う通り、鳥と獣が融合したとおぼしき影は、蛇のようにとぐろ巻く炎を振り払えておりません。体の一部の火を振り払っても、ほかの場所に残ったところからすぐ全身に燃え広がるのです。


 大人が何十人もかかって退治するような、大型の魔物です。それが、カリンの魔法に対してなすすべなくダメージを受け、弱っています。


 必死に体に土をこすりつけ、熱さから逃れようとしています。が、哀れにも次第に魔物の肉体は火炎にちぎられて削れてゆきます。




「隣国のやつら、いつになったらわかるのかしら。いくら上級の魔物を融合したって、接合部が脆くちゃ戦に使えるわけないのに。」




 断末魔の叫びをあげていたキメラが、最後のあがきなのか、呪詛をのせた黒い粒子のブレスを吐き出しはじめました。


 谷底から崖の上まで、ものすごい速度でそれは広がってゆきます。あたりの草木が黒く腐り、あるいは赤く錆びて、雪の重みで倒れてゆきます。


 しかしそれも、クオンが張った結界に阻まれて、二人のところには届きません。


 むしろ、わずかに息をしていた兵士たちが、そのブレスを浴びて、命を落としてゆきます。




「言いがかりだよ。脆く思うのは、君の魔法が優秀すぎるせいだろう。あいつら合成魔獣に、どれほど戦場を荒らされていることか。」




 やがて、キメラも息を引き取りました。


 動くものがいなくなった谷底を見やり、クオンは「【凍れ】。」と一言命じました。


 すると、二人が見ている前で、キメラの亡骸は凍って白くひび割れてゆきます。


 巨大な体が、ふたつ、よっつと砕けて、やがて小さく小さくなり、雪のかけらとなって花弁のようにあたりに舞い散りはじめます。


 焼けてしまった馬車も、兵士たちも、キメラが死に際に残した呪詛や魔法の焼け跡さえ、すべての戦闘の証拠はひとつとして残りません。まるで、もともとここに部隊などいなかったかのように、クオンの魔法が始末してしまったのです。




「優秀? それって、どっちのことなのよ。」




 ようやく暖をとるための火魔法を発動させたカリンが、その光景を見てぼやきます。


 クオンは肩をすくめて、帰ろう、とカリンを促しました。


 この数か月、ふたりはこうやって、敵の作戦を妨害し続けているのでした。






   ∞






「近いか。」




 男はつぶやきました。


 男の外套には鉤印の紋章が刺繍されています。その傍らには、召喚獣と思しき黒い狼もはべらせています。


 彼は隣国の将軍でした。四つ刃の鉤印は、隣国では中位貴族の証でもあります。


 将軍が受けている指令は単純なものでした。とにかく、この地を一刻も早く掌握すること。それだけです。


 帝国はようやく重い腰を上げ、各地の軍をあつめはじめているようです。今は第一軍と再編成された第三軍が主力ですが、じきに東から、第五と第八もやってくることでしょう。


 そうなれば、将軍の所属する国には勝ち目がなくなります。四つもの師団を相手に戦えるほど、かの国に力はありません。


 この戦は電光石火、ここ西の藩――いえ、この県だけでも帝国から奪い取ったうえで、残りはとにかく防衛に専念し、帝国から少しでも領土を切り取らんとする戦略のもとに行われていました。そして、男はその任務にふさわしいと判断され、この戦に将軍として派遣されたのです。


 しかし、男は苦い口調で、




「ままならぬものだな。」


『いくら図体ばかりでかくてもな。まさか、政治的な横やりで、あんな紛い物をおまえが使うことになるとは。』




 男のつぶやきに、黒い狼が人語で応えました。


 狼は、別名を病毒の黒狼と呼ばれる、魔獣でありました。一度噛まれれば命を失うとも言われる、猛毒の牙を持つ種です。


 牙だけではなく、皮膚・毛皮・爪と、全身のあらゆる部位に毒素を持つことでも知られています。




『だから、忠告したのだ。研究所のやつら、自信満々にあのでかぶつどもを披露していたが、高位の術師を相手にすれば、混ざりものなど用をなさんというのに。』


「だが、あのキメラどもを暗殺できるような、厄介な相手がいることは事実。少数で極秘に輸送していた奴らに限って、何匹もやられてしまった。」


『もともとお前の作戦に合うものではないだろう。』


「ああ。巨大な合成獣を大量に投入して、『面』で制圧する……俺の気性に合わんと思ったが、かくも難しいとはな。」




 狼が指摘する通り、将軍の得意な戦術は、高速の、相手が予想もできないところから仕掛ける、奇襲作戦でありました。男には優れた探知魔法と、十分な攻撃の手段がありました。


 しかしまた、それを将軍は忌避してもおりました。彼の相棒である黒狼は、戦闘となれば毒を広範囲にばらまくため、せっかく土地を奪っても、そこが利用できないものになってしまうからです。だからこそ、使えるものはなんでも使うべきと、これまでは何頭もの合成獣をこの戦に投入してきたのでした。


 それが次々と無力化され、戦術そのものが役に立たなくなってしまうと、将軍が取れる手段は、それほど多くはありません。


 そして今更、大規模輸送という手段をとる意味も、彼らにとっては薄いでしょう。


 黙り込んだ相棒を、狼はじっと見上げて、




『どうする。相手の陣は近いぞ。追うか、退くか。』


「無論。どうあれ、これ以上好き放題させるわけにはいかん。」




 将軍はやさしく黒狼を撫でます。




「だが気を付けろ。見ろ。魔法も、戦闘のあとも、死んだキメラどもも、ここには何一つとして残っていない。


 標的は周到だ。この火魔法の残り香がなければ、俺たちとて相手を見失っていた。」




 狼は、心外だと言わんばかりに、鼻をふんと鳴らしました。




『承知している。だが出張った以上は、仕事をせねばなるまいよ。』




 黒狼は、地面を前足で引っかき、土のにおいを嗅ぎました。


 その魔法――カリンが暖をとるために使った、小さな灯火――の、かすかな残滓を利き、忌々しそうに東を向きます。




「行くぞ。」




 黒狼は跳躍しました。


 そうして次の瞬間には、そこにはただ物言わぬ雪原が広がるばかりです。もう、雪の上に将軍たちの姿はありません。






   ∞






 そのときクオンとカリンは、友軍の陣のすぐそばまで来ていました。


 だから、もしかすると油断があったのかもしれません。


 親しい雪精がクオンに報せるより早く、黒狼の牙がカリンを襲ったことに、クオンはすぐに反応できませんでした。


 魔法と魔法がぶつかり、事象軸が高い音を立てて、あたりの精霊をいっぺんに吹き飛ばしました。


 クオンにとって、その迎撃は「した」というより「させられた」という方が正解でありました。あらかじめ護身用に仕掛けておいた魔法式のうち、大半を狼にぶつけました。そうせざるをえなかったのです。クオンが張った氷と雷と大地の結界のうち、氷を除く七割が瞬く間に破られました。


 将軍にとって、その襲撃はかなり確実な一手のはずでした。迎撃は「されるもの」ではなく、「させないもの」であり、将軍と狼が纏う隠密魔法がまさか見破られるとは思っていなかったのです。表情に出さぬまま、彼は内心で標的二人のことを口ぎたなくののしりました。


 将軍ばかりではなく、黒狼もこれには驚愕しました。黒狼の牙を逃れるばかりか、将軍の魔法をも跳ね返す結界。そして自動的に反撃してくる氷の魔法式。長い時を生きる狼にとっても、それらは未見の技術だったのです。クオンが発動した魔法は、あらかじめ彼らが想定していたものよりも、遥かに強力でありました。


 しかし、襲撃者たちは冷静でした。どんな人間も、襲撃されれば混乱して隙ができます。その隙ができているうちにかたをつければ問題はありません。


 黒狼がその躰から、あたり一面に無数の毒魔法を展開しました。




「氷の精よ力を! 【氷結界】! 【氷結界】【氷結界】【氷榴弾】! 逃げろカリン! こいつは囮だ、早く友軍にっ!」




 本命とすべき相手はどう考えても、カリンではなくクオンでした。


 幻影魔法で生み出した自分自身の複製を使い、狼と真逆の方角から将軍が仕掛けました。




「炎霊よ我が願いを聞き届け給え、【炎結界】! 疾く現れよ火の精【火防壁】! 火の精よ、かの敵を、」


「ばか、逃げろって! 無理だ!」




 クオンの腕が、肩から断ち切られて、宙をとびました。


 それがどれほど強力な攻撃でも、当たらなければ意味がないのです。どの戦場でも通じる、対魔法使い戦の常道でありました。

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