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冷たい不死鳥  作者: 岩岸佐季
トワの章
4/10

帰るところ

「無理はしないほうがいい。身体がつらいならば、くにへ帰るがよかろう。」




 ライアが泣いていることに気づいた朝から、トワは彼女の様子に気を配るようになりました。


 するとすぐに不死鳥は、ライアがじつは、毎朝のように泣いていたのだ、ということに気づきました。


 いつも、日が昇る二、三刻前。


 夢から目覚める直前の時間帯に、毎日彼女は声もなく、静かに涙を流していたのでした。


 しかしそのことを指摘すると、彼女は辛そうに笑って、トワの言葉を否定するのでした。




「無理など、しておりませんわ。」




 女はそう言って、不死鳥の翼を撫ぜます。


 そうすることで、氷の羽毛の一枚一枚が、まるで薄くて軽い金の板を並べたように、さらさらと歌うのです。ライアはことさらこれが大好きで、ひまを見つけてはトワの翼を櫛で梳き、手入れを繰り返すのが常でした。




「わたくしは今、幸せなのですもの。」




 ライアはそう言い張りますが、化粧で隠してはいるものの、よく見れば頬はやつれ、肌はぼろぼろで、とても平気そうな様子ではありません。


 トワもそろそろ察しておりました。冷たい不死鳥が治めるこの一帯は、いくら符術で結界を張れるとはいえ、人間には厳しすぎるのだと。


 一番の問題は、トワの身体そのものでした。毎日この不死鳥の体に触れ、身を寄せ、キスをするたび、ライアの身体は極寒を魔力を浴びて、知らず知らずのうちに衰弱していたのです。




「わたしには、そうは思えない。」




 不死鳥は、彼女が浮かべた表情を見て、案じるように言います。


 じっさいこのころには、ライアは不死鳥にとって、失いがたいと思える存在になっていました。


 もし、彼女の身に何かあれば、トワはそのことに責任を感じてしまうでしょう。そのことをもう、トワ自身理解してしまっていたのです。




「なんといわれても、ここを離れません。わたくしは望んでここへ来たのですから。」


「なぜおまえはそこまでするのだ。」




 トワは、あきれたように言います。




「だって、わたくしはあなた様の、妻にしていただきに来たのですもの。」




 ライアは強情にも言い張ります。


 その青い瞳に、正体不明の炎が灯っているようにも見えます。


 トワはそれを見ると、それ以上なんと言えばいいのかわからなくなってしまいます。なぜなら、彼には、どうしてライアがここまで不死鳥に執着するのか、その本当の理由すらわかっていなかったのですから。




「だが、おまえの体は、ここで生きてゆくようにはできていない。」




 トワはそれでも、数日間、真摯に説得を繰り返しました。




「あなた様がわたくしを案じてくれるのは、とてもうれしく思います。それでも、わたくしはあなた様のそばを、離れたくはないのです。」


「わたしがおまえを拒むわけではない。ひとの国では、住処を移したあとであっても、里帰りというものを行うそうではないか。今のお前に必要なのは、きっとそれなのだ。」




 トワの真摯な態度に、少しずつ、ライアも耳を傾けるようになりました。




「本当に、いつでも帰ってきてよいのですね。」


「ああ、お前が来たいと思ったら、いつでもここへ訪れるがよい。」




 この極寒の地は、女ひとりで旅をするにはあまりに過酷です。


 トワにもそれはわかっていたので、トワは自分の羽毛を一枚引き抜いて、彼女に渡してやりました。




「これを護符として使うがよい。この地を行き来する場合、ありとあらゆる災魔から、そなたを遠ざけるであろう。」


「ありがとうございます。わが愛しの君。」




 彼女は嬉しそうにそれを抱き、不死鳥に抱きつきました。




「きっと、少し体調を崩しただけですわ。春になったら必ず、戻ってまいりますので」




 そうして半島の端へ送られた彼女は、何度も振り返りながら、不死鳥のもとを去っていったのでした。






   ∞






 彼は待ち続けました。


 約束の春はとうに過ぎ、短い夏が訪れ、じき秋が差し迫ってきました。


 しかし、やってくるのは風ばかりです。


 それでも、幾日も、幾日も。彼は待ち続けました。雪の中でまどろみ、ライアのことを思います。夢うつつに、彼女がトワに触れる指の感触や、彼女が歌う声を思い出しては、目覚めて傍らに誰もいないことを寂しく思うのでした。


 ある日、ぴしり、という小さな物音が聞こえました。


 なんだろうとおもってトワが自分の体を覗き込むと、冷たい氷の体、ちょうど心臓のあたりに、小さな亀裂が入っていました。




「信じているとも。」




 彼は地平の果てを見やり、つぶやきました。


 声はすぐに熱を失って、雪の上にぼとりと落ちて、それっきりでした。






   ∞






 三年後の、ある日のことでした。


 ふとトワが顔を起こすと、そこにライアがおりました。




「ただいま帰りました、わが君。」




 ライアは、トワに向かって優しく笑いかけました。




「なぜ戻って来たのだ。」




 トワは、不思議と安心するような気持ちで、ライアに問いかけます。




「なぜ戻って来たのだ。おまえには、もうわたしの羽をくれてやっただろう。」


「やはり、知っていたのですね。」




 ライアは、視線を落とします。その手元には、トワが渡したはずの羽は、どこにもありません。




「わが君。わが愛しの君。やさしき冬の王よ。すでにお察しのことと存じます。わたくしがここに戻ってきたのは、あなた様に罰を頂戴するため。この命をもって償うためですわ。」


「その必要などどこにもない。」


「いいえ!」




 ライアは、首を振って、トワの言葉を否定しました。




「いいえ、いいえ! わたくしは、許されぬことをいたしました。あなた様のやさしさを、あなた様の寛容さを、あなた様の諦めを利用したのです。」


「わが妻、わが伴侶、わが恋人よ。おまえが、わたしの不死性を狙っていたことは、知っていたとも。」




 トワは優しく、落ち着いた声でライアに告げます。




「最初から知っていた。おまえにはわたし以外に、愛する者がちゃんといることも。わたしの羽は、ちゃんと効力を発揮しただろうか。」


「わたくしにはあなた様以外に夫がおります。つい先ごろまで重い病を患っておりましたが、トワ様のお情けにより一命をとりとめることができました。」


「なるほど。」




 不死鳥は安心したように笑いました。




「わたくしは、夫がいる身でありながら、あなた様と結婚をしようとしました。不義の……不貞の責任を取らねばなりません。」


「もう、代償は払っているだろう。」




 不死鳥は宥めるような口調で言います。




「わたしの魔力に晒されながら、おまえは決して弱音を吐かなかった。見上げたものだ。」


「あなた様のことは、お慕いしております。わが君。わが愛しの君。どうか、わたしの罪はわたしの命だけで。」


「夫のためを思ってのことなのだろう。愛する者がありながら、わたしのことを夫と扱わねばならないのは、どれだけつらかったか。」




 ライアが流す涙は、あっという間に凍ってしまいます。眼球を傷つけないように、トワはそれを魔法で取り払ってやります。




「おまえは、わたしにいろいろなことを教えてくれた。王都の噂。スープの味。星の物語。そしてなにより、誰かにやさしくすることを。」




 だから、と不死鳥は言います。だから、もういいのだ、と。


 ビシリ、とトワの胸のあたりが、大きな音をたてました。


 ライアが驚いて見上げると、そこに大きなひびが入っていました。




「わが君。」




 亀裂は次第に広がり、トワの体がぼろぼろと崩れていきます。




「わが君!」


「どうやら、これで私の寿命も終わりらしい。おまえが来るまでは、なんとかもたせることができたな。」




 不死鳥は、諦めたように笑います。




「氷のようにどこにも進めぬ、諦めに満ちた我が人生の、最後の恋人がそなたでよかった。」


「そんな。」


「残されたものは、そなたが持っていくといい。きっと、ひと財産にはなるだろう?」


「そんな。わが君! どうして。」


「最後におまえに会えてうれしかったよ。来てくれてありがとう。わが妻。」




 それが、不死鳥の最後の一言でした。


 トワの身体はばらばらに崩れてゆきました。




「そんな……わが君! わが君!」




 ライアは嘆き、トワの身体があった場所に近寄りました。


 トワの名残はほとんど残っていません。あの巨大なくちばしも、美しい羽毛も、すべて小さな氷の欠片になって、粉々に砕けてしまっていました。


 しかし、ただひとつ。


 氷の欠片の中に、ひときわ大きなものが残っていました。それは、トワの胸のあたり。ちょうど、心臓にあたる部分に。


 大きくて、つやつやと丸い、それは氷でできた卵のように、ライアには見えました。




「わが君……」




 ライアは卵を抱き、泣きくずれました。


 不思議なことに、彼女が流した涙は凍りませんでした。主がいなくなったことを嘆くように大風が吹きすさぶ中、彼女は長いことそこにうずくまり、その氷の塊を抱いて、不死鳥を想い泣き続けました。


 そうしてしばらく経ってようやく、彼女は卵を抱えて、その地を後にしたのでした。


 一人で。






   ∞






 翌年。


 ある帝国の家で、卵に罅が入りました。


 家の住人である夫婦が見守る中、卵は二つに割れました。


 中から生まれたのは一人の、かわいらしい人間の男の子でした。彼は外気に体を震わせて、おぎゃあと産声をあげました。

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