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冷たい不死鳥  作者: 岩岸佐季
トワの章
3/10

ライア

 目覚めた女は、ライアと名乗りました。


 じぶんは「冬の王」の伴侶となりにきたのだと、彼女は言い張って譲りませんでした。そうしてトワに命を助けられた礼を言い、これからは一生トワに仕えますと何度も繰り返しました。


 一度助けた手前、もう一度追い払うのもめんどうになり、トワは彼女のしたいようにさせておくことにしました。


 ライアはとても献身的な女性でした。まるでトワに尽くすことが自分の喜びだと言わんばかりに、毎朝不死鳥の巨体を磨き、氷の羽毛を梳き、うたを歌い、不死鳥が眠ると言えば、何も言わずその傍に寄り添って身体をなでてくれるのでした。




「なぜおまえは、こんなことをしているのだ。」




 と、トワが問えば、




「あなた様の妻にさせていただいたのですから、このくらいは当然のことです。」




 と笑います。


 ライアは白い肌に金の髪を持つ典型的な北国の容貌で、瞳は冬の海のように深い青でありました。


 トワは彼女を妻にしたつもりなどまったくありませんでしたが、その笑顔を見ると、心なしか羽の根元がきしむような気がして、なんとも言えなくなってしまうのでした。


 きりっとした眉に、ほほ笑みを称えた口元。ライアが美しい女なのかどうか、ということにトワはまったく関心を払いませんでしたが、ほかの異性が彼女のことを見れば、まず感嘆をもらさぬものはいないことでしょう。まさに創造主に愛されたような美貌の娘でありました。




「なぜ、私の妻になろうなどと思った。」


「わたくしは以前、帝都の宮廷魔導士を務めておりました。貴き方、冬の王のことは、とある文献で初めて知りました。」




 ライアは、トワの羽の先にある爪をせっせと研ぎながら答えます。




「冬の王。北の果ての果ての、そのまた果ての地を支配する王。かつて帝国が幾度もその魔力を求めて軍を送り、そのたびに少なくない被害を出したと。」


「ほう。あの頃のひとの子の国が、まさか今も続いていようとはな。」


「ふふ。といっても、皇室……当時の皇帝の血筋は何度も絶えているはずなのですよ。あの地を支配している国が、便宜上、正当性を主張するために皇帝の胤裔を名乗っているだけのことなのです。」




 トワは興味をなくし、話の続きを促しました。




「あのころ、わたくしは死が恐ろしくてたまりませんでした。帝都では死ねば天の国へ行けるなどと聖職者が説くのですが、あなた様はご存知ですか? ……とにかく、わたくしはそれを信じることができなかったのです。」




 女は身を震わせました。まるでおそろしいことを思い出したように。




「死ねば地獄へ行くかもしれない。しかし、地獄であればまだましでありましょう。死ねばすべて終わりだとしたら? わたくしという存在が一片の残りなく消滅し、わたくしがわたくしでなくなるのだとしたら、わたくしという生はいったい何のために存在するというのでしょう?」




 女の青い目が、まるで熱に浮かされたように、赤みを帯びました。


 ふう、と女は辛そうに息をつきます。




「そんなとき、あなた様のことを文献で目にしたのです。永遠の生を生きる『冬の王』。冷たい不死の存在。わたくしは、最初あなた様に憧れました。不敬と知りながら申しますと、あなた様を害し、その不死性を奪えるのであれば……そんな愚かな考えを抱いたこともございます。」




 さもありなんと彼はつぶやきました。不死が実在すると知った人間が狂うさまを、飽きるほど見てきたのです。永遠の生というものが、人間の目にはたまらなく魅力的に映るらしい、ということを、トワは十分すぎるほど知っておりました。


 とは言え、トワを害そうとすれば、その生をさらに短いものにするだけなのです。それがどうして分からないのか、トワには不思議でたまりません。




「しかしわたくしはある日、思ったのです。一人きりで生きる生に、どれほどの価値があるのだろうと。」




 長くトワの身に触れていたため、ライアの手はあかぎれと罅割れで、今にも崩れそうなほどぼろぼろです。


 その手を、護符で温めつつ、ライアは話を続けます。




「わたくしは再び冬の王について調べ始めました。すると、驚くべきことが分かったのです。あれほど執拗に侵略を試みた帝国に対し、冬の王は報復をしないばかりか、なんの要求もしていませんでした。謝罪も、賠償も、宗主としての立場も、なにも。」




 切なそうに眉を寄せ、トワの羽根を抱きしめて、ライアはささやくように、




「非があるのは帝国だというのに、まるであなた様はその偉大なお心ですべてを許しておられるよう。でも、それが諦めによるものだとしたら?


 ――そう考えると、わたくしの胸は張り裂けそうで、とても耐えられなくなるのです。」






   ∞






 こんなこともありました。


 朝、トワが目を覚ますと、彼女が料理をしています。火を熾し、どこから手に入れたのか、青野菜と魚を使って、スープを作っていたのです。


 トワがそれを問うと、ライアは笑って、




「昨夜は風が静かでしたから、凍った海で釣り糸を垂らしておりましたの。」




 と、こともなげに言うのです。


 彼女がお玉でかき混ぜるスープの鍋は、トワがこれまで嗅いだことのないような、香ばしい匂いでいっぱいでした。


 トワの表情に気づいたのでしょうか、ライアが嬉しそうに「召し上がりますか?」と不死鳥に問いかけます。




「どうやって食べよというのだ。」




 不死鳥は、拗ねました。




「私の身体は極寒だ。ありとあらゆるものを、触れる前に氷漬けにしてしまうだろう。きっとそのスープも、わたしの口に入る前に、鍋に張り付いてしまうに違いないよ。」




 それを聞くと、ライアはいたずらを思いついたように「では、こういうのはどうでしょう。」とスープを口に含みました。


 ライアは符術師なので、ライアの身体の内側だけは、なんとか人間が生きていける温度が保たれています。




「ではあなた様、どうか目を閉じて、口を開けてくださいな。」




 言うとおりにした不死鳥の嘴を両手で抱えると、ライアは口移しでスープをのませてあげました。


 不死鳥ははじめて食べるスープの味に驚きました。


 これまで彼が味わってきた、北の風。雪。海の氷。そのどれよりも甘くて、香ばしくて、うまかったからです。


 トワは幸せな気分になって、どうしてももう一口食べたくなりました。




「まあ。」




 それを聞くと、ライアは嬉しそうに、同じようにトワにもう一口分けてくれるのでした。






   ∞






 こんなこともありました。


 日が沈む前、天気がいいと、ライアはトワに歌や音楽をまじえて寝物語を聞かせてくれます。


 それは、昔の帝国の偉人の話だったり、最近帝都で流行っている歌劇であったり、あるいはただのゴシップだったりしました。




「そういうわけで、侯爵はすっかりマグロ狂いになってしまいましたの。お屋敷はアカマグロの身で溢れんばかり。でも、結局どうなったと思います?」


「マグロに潰されて死んだか。」


「いいえ、死ぬような思いをしても、侯爵は懲りなかったのですわ。そして、なんと侯爵は、その年の税を山のような量のアカマグロで払うと言い出したんですの。もちろん皇帝はカンカン。帝国ではそれから一年間、マグロ漁が法律で禁止されてしまったんです。」


「なるほど。度し難いな。」


「それでも、侯爵はマグロの蒐集をやめなかったのですけどね。」




 話し合っているうち、暮れゆく空に数えきれないほどの星が浮かんでゆきます。


 ライアはトワの知らない星の名前も多く知っておりました。墓標の星。笑うペリカンの星。女神の涙の星。魔王の星。




「よくもまあ、それだけ覚えていられるものだ。」




 トワは感心したように、ライアの顔を覗き込みます。




「女神の涙の星は、わが国ではいっとう有名なのですよ。かつて日照りが何年も続いたとき、青の賢者と呼ばれる方が、雨が降らなくなった帝国の全土をめぐりました。そして女神に水をこいねがったところ、夜空にはあの星が現れ、地は雨で満たされたのです。」




 でも、とライアは少し低い位置にある〈魔王の星〉を指します。


 ほかの金砂銀砂のような星々と違って、ひとつだけ赤く光る大きな星です。




「わたくしはあの星が一番好きですわ。」




 ライアは、地上からトワの巨躯を見仰ぎます。ライアの目をまっすぐ見つめて、




「あれは魔王の星と呼ばれておりますけれど、一説によるとその魔王は北の果ての果ての、そのまた果ての地に住んでいるそうなのです。」




 トワの瞳。そのガラスのような巨大な眼にも、〈魔王の星〉は映っています。




「本当かどうかは知りません。ですがあれは、わたくしにとってあなた様の星なのです。」




 そうして、ライアは星をつかもうとするかのように、トワの顔に手を伸ばします。


 トワが巨大な翼で優しく引き寄せると、ライアは喜んで、彼の瞼に口づけをするのでした。






   ∞






 こんなこともありました。


 不死鳥が珍しく早く起きると、彼の横で寄り添って眠るライアが、涙を流しているのです。それも、トワが見たこともないような、とても辛そうな表情をして。


 彼女が目を覚ますのを待って、心配したトワが「どうしたのだね」と尋ねると、




「いいえ、何もありませんでしたわ。」




 と、答えるのです。 




「故郷の夢を見て、なんだか懐かしいような、寂しいような気持ちになってしまったのかもしれません。」




 しかしそんなとき、寝起きの彼女は決まって、無理に作ったような笑顔で笑うのでした。

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