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冷たい不死鳥  作者: 岩岸佐季
トワの章
2/10

冬の王

 不死鳥というものに対して、どのようなイメージを持っていますか?


 永遠に消えぬ火のようなもの?


 深紅の羽毛。壮麗なもの。神聖なもの。未来永劫の時を生きる、あるいは、孤高なものでしょうか?


 そうです。古来より、ひとびとはそういったイメージを、不死鳥に対して抱いてきました。




「まったくおまえときたら。相変わらず、なんて寒苦しい姿なんでしょうね、トワ。」




 まあ、それでも、不死鳥がまったく完全に不死というわけではありません。


 長い長い時を……人間たちの国がいくつも興り、いくつも滅びるくらいの長い時を生きるにつれ、古い羽毛は抜け落ち、深紅だった炎はくすみ、やがて命を次代に継いで、自らは母なる大地へと還っていくのです。


 そう。そうして、最後に残ったのが彼。


 不死鳥のトワでありました。




「敬愛なる妖精女王よ。さむくるしいとは、相変わらず言葉づかいの稚拙であることだな。」




 トワは妖精女王をぎろりとにらみます。


 不死鳥のトワは、ほかの不死鳥たちとは、容姿がずいぶんと異なっていました。


 永遠に消えないはずの火の翼ではなく、かわりに永遠に融けない氷の翼をもっています。


 彼のいる一帯には灼熱の炎ではなく、極寒の冷気が吹き荒れるのです。




「フン、じっさい苦しいのよ。ここでは吹雪で息も凍りそう。」




 妖精女王は憎まれ口をたたきます。


 そこは大陸のいちばん北にある平野でした。


 一年中、この場所には氷に覆われた大地が広がるだけ。他には地平線の向こうまで、見渡す限りなにもありません。




「せめて、燃え尽きない薪でもあればね。貴方の融けない氷じゃあ、この場所でなんの役にも立たないじゃない。」




 トワはほかの不死鳥よりも、うんと長生きでした。


 彼の青白い身体が融けることを知らず、また彼自身が常にこの凍った地にあったため、彼の身体を損なうものは何ひとつなかったのです。


 そのため彼の氷の身体は、ほかの不死鳥たちのように燃え尽きたりはせず、逆にどんどんと大きく成長を遂げてきました。


 長い時間。家族や兄弟、友人たちが大地に還る中、トワだけはこの地に居残り続けました。


 そうして、何千年、何万年もひとりで過ごしてきたのです。


 今では、トワの身体は小さな山ひとつぶんくらいまで大きくなっています。




「女王よ。たまに旧友のもとに訪ねてくれるのは、たいへんうれしいのだがね。」




 不死鳥のトワは巨大な翼をばさりとやって、小さな古き王をねめつけます。


 女王は吹き荒れる風の中、平然とした顔でトワの顔を見つめます。


 妖精女王の背丈は南の森に生えるキノコとおなじくらいしかありません。それでも、その身に宿す魔力は強力無比なのです。


 妖精や神々と、不死鳥のような精霊獣は、かつて古の時代、お互いを友と呼びならわしておりました。今でもそれを守っている者たちは……まあ、一部の「変わり者」くらいですが。




「きみがくるときは、いつだって厄介ごとの風を運んでくるときだ。そうだろう? だから、早く要件を聞かせてもらえないかね。」




 トワはふきげんでした。


 彼は、妖精女王が身に着けているきらきらとした宝石が、あまり好きではないのです。金色の髪も、あたたかそうでイライラします。


 しかもいやがらせのように、トワに会いに来るときの彼女は決まって赤いドレスを着用してきます。


 青白い俺に、一族の赤を見せつける気だろう。トワはいつだってそんな劣等感のような、複雑な感情に苛まれるのです。


 それでも、ここに訪れるものたちは、もう彼女くらいのものなのです。女王はもしかすると、トワに懐かしんでもらおうと、あえて赤を纏うのかもしれません。




「それは失敬。でも今日は、貴方に良い知らせを運んできたんですのよ。」




 良い知らせ、というところで、彼女はにんまりと笑いました。


 妖精女王の名に恥じない、光と影の完璧に調和した笑みでした。それを見て、トワは嫌な予感をおぼえました。




「ここに、人間の客人が来ますわ。何十年ぶり? いえ、何百年ぶりでしょう? また性懲りもなく、貴方の不死性を奪おうとしているみたい。」




 なんだそんなことか。


 不死鳥は、いっぺんにどうでもよくなりました。彼の不死性を狙う敵がやってくるのは、彼にとってもはや日常と呼ばれるくらいのことでした。


 たしかに、ここ百年ほどはその機会もありませんでしたし、彼自身も最後に人間がやってきたのがいつか、忘れてしまっていました。


 でも、ついしばらく前までは、ときの人間たちの王が絶大な権力を持つと、決まって軍勢をこの極北へ送り、トワを亡き者にしようとしてきたのです。


 


「それはつまらないことだな。女王よ。」


「あら、ちっともつまらなくなんかないわ。」




 女王は笑顔のまま、指を一本だけ立ててみせます。


 そして、子供に言い聞かせるように、ゆっくりと一言ずつ、その言葉をトワに聞かせたのです。




「だって、ここに訪れるのは軍隊なんかじゃない。人間のおんななのですもの。――こんな最果ての地へ、一人きりで旅をしに来るのよ。傑作でないこと?」






   ∞






 果たして妖精女王が帰ってから数日後、ひとりの女がやってきました。


 二十代も半ばを過ぎたあたりの容貌です。しかし、ただの女ではないことははっきりしています。


 トワのいるこの場所へやってくるためには、哭きわめく吹雪の半島と、奈落ほども深い氷河の崖、そして肺が焼き付くほどの極寒の夜を越えてくる必要があるのです。ひとりの女の力だけで成そうとするには、あまりに困難な旅であるに違いありません。


 見れば、彼女は体中に耐寒の加護を纏っています。符術師なのでしょうか。震える手でおもむろに懐から拡声の術符を取り出すと、女はトワに向かって語りかけました。




「王よ。冬の国の王よ。先触れもなくまかり越した無礼、深くお詫びいたします。だがどうか、この小身の話を聞いてくださいませんか。」




 トワでなければ、何用なのだろうと、疑問に思ったかもしれません。女はほとんど瀕死のありさまで、声を出すのもつらそうです。


 しかし、トワの心にはなにひとつ感慨は浮かびませんでした。




「去ね。」




 蒼き不死鳥のこたえは一言でした。




「疾く去ね。ここはひとの訪れるべき地にあらず。ひとの子よ、わが領土を侵そうというのであれば、その命をもって贖うがよい。」




 もちろん、トワにも彼女が「領土を侵そう」としてここを訪れたわけではないことは分かっています。


 これは、彼を害そうとして訪れる人間たちへトワが常に投げる定型句でありました。かつて、魔力を求めて実際にこの地を征服せんとした魔法大国の軍勢や、彼の生き血を求めてきた命知らずの冒険者などに投げかけてきた言葉です。


 トワがこの決まりきった文句を投げたのは、ただ単に、慣れ切った言葉のほうが楽だったからです。あとは魔法で吹雪を起こせば、相手は彼我の戦力差を理解して退散するか、もしくは無謀にも彼に戦いを挑んでくるか、どちらかの行動をとるものです。いずれにしても、こちらに話す気がないことは理解してもらえます。


 そして、トワは翼を広げ、風を起こしました。




「待っ――」




 トワが起こした風はたちまち吹雪となり、嵐のように吹き荒れました。


 大地がえぐられるほどの強風です。地表にわずかに残っていた氷や、大きな雪の塊さえ、たちまち風に巻き上げられてゆきます。


 ひとの身ではなすすべはありません。訪問者の女は最後に何かを言いかけたようでしたが、あっという間に吹雪に飲まれ、風に飛ばされていずこかへ吹き飛ばされてゆきました。




「やれやれ。」




 トワは氷山のような翼をゆっくりとたたみ、小さくこぼしました。




「退屈なことだな。」




 それから数日間は、何事もなく過ぎてゆきました。


 トワにとっては、何事もないことは、退屈でも苦痛でもありません。時折遠くで、氷河が割れる音、崖の雪が雪崩れる音をぼんやりと聞きながら、降り積もる雪とひとつになって眠ります。それは安息であり、この地にとって平穏であるのです。


 しかし、ある日また、トワは目を覚ましました。


 降り積もる雪をかき分けて、ひとりの人間が現れたのです。トワの目の前で崩れるようにひざまずき、息も絶え絶えにトワを呼んだのは、数日前にトワに吹き飛ばされたあの女でした。




「冬の王よ……どうか。」




 数日前よりさらにボロボロになり、肩で息をしていました。




「どうか……お怒りは当然ですが、どうかこの小身の言葉を聞いていただけませんか。」




 トワは、面倒だな、と思いました。


 もう一度吹雪を起こして、この女を吹き飛ばすのはたやすいことです。女の様子であれば、それほど長くこの地にはいられないだろう、ということも明白でありました。


 しかしまた、女の様子から、もう一度吹き飛ばされたところで彼女にあきらめる気がなさそうなのも、はっきりと分かります。どんな形で追い払っても、彼女はまた必ず一度は、ことによっては何度も現れ、彼の目を覚まさせることでしょう。


 では、吹き飛ばすのではなく、殺めてしまえばよいのではないか。トワもその選択肢を考えなかったわけではありません。


 しかし、トワははるか昔、制約により、自ら能動的にいきものを殺すことを禁じてしまっています。もちろん、彼や彼の眷属を害すものへの反撃であれば可能ですが、少なくとも女からトワへの害意は感じられません。


 女が生き残るように手加減をして、ふたたび吹雪で追い払うか。


 それとも、ここで女の言葉を聞くか。


 トワは、妖精女王の笑顔を思い出しました。あの女王様はこうしてトワが困ることまで見越して、楽しんでいたに違いありません。




「ひとの子よ。わが眠りを二度目覚めさせし娘よ。その覚悟に免じ、おまえの言葉を聞くとしよう。」




 トワはため息をついて、あきらめたように女に話しかけました。


 とたんに、女はトワの言葉が持つ魔力に押しつぶされそうになりました。トワの感情が露わになったその声に、うっかり莫大な魔力も遠慮なくのせられていたのです。


 それでも凍り付きそうな口を開き、薄れゆく意識を必死に保って、その言葉を発しました。




「冬の王よ。わたくしは、あなたの妻となるために参りました! どうかこの小身を、あなたの伴侶としていただきたい!」




 そこで気力が尽きたのか、女は地面に倒れ、気絶してしまいました。




「なに……?」




 トワはなにひとつ理解できず、首をひねりました。そしてとりあえず、このまま殺してしまうのも哀れと、彼女のまわりに風除けの結界を張ってやったのでした。

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