レモンティー。
お風呂のボタンを押して部屋に戻り
びしょ濡れの制服を脱いでタオルで髪を拭く
小さい頃から大好きでいつも飲んでいた
机の上のレモンティー
ペットボトルにそっと触れると
温かかった紅茶は ひやりと冷たくなっていた
『はぁ…』
校門にいたあの子が誰だったのか
聞けなかったのは
それを聞くことが
達也を裏切ることだとわかっているから
だけど
本当は、そんなことよりも
《俺の母親、死んだんだ。》
弘人の大きな傷を見てしまったから。
『…』
机の引き出しを開ける
小学生の頃、弘人のお母さんがくれた当時流行っていたキャラクターのキーホルダー
弘人と達也くんと優ちゃん3人お揃いだよって、おばさんは嬉しそうに笑った
いつも、自分の子供みたいに可愛がってくれた
優しかったおばさんは
もういない。
ピピッピピッ。
『…』
お風呂が沸いた音
タオルを持って部屋を出た
思い出は
こんなにも鮮明に
心の奥に焼きついていた
次の日
学校に来た弘人の周りには
いつも以上に女子達が集まって騒がしかった
「弘人彼女いたんじゃんー!」
「いつから付き合ってんの!?」
「超ショックなんだけどー!」
「うるせ。」
だるそうに机に顔を伏せた弘人は
そのまま1時間目の授業が終わるまで眠っていた
「優っ」
『あ、達也。』
「悪りぃ、今日一緒に帰るって言ったけど担任に放課後用事頼まれて」
『そっか』
ガタッ
『っ…』
振り向くと、後ろの席の弘人は教室を出て行った
「優、先帰る?」
『あ、待ってるよ。予定ないし』
「そんな時間かからねぇと思うけど、ごめんな」
『いいよ、頑張ってね』
「弘人、ちゃんと来てんだな」
『うん、ほとんど寝てるけど。なんで?』
「あ、いや。前の学校ではほとんど教室行ってなかったみてぇだから。」
『…そうなんだ。』
「あんま素行良くなくて親戚も手焼いてたみてぇ。親父さんの転勤決まって家留守になるからって、こっちに戻ってきたらしいけど。」
『それ、弘人から聞いたの?』
「え、」
『…』
「いや。」
『…なにそれ、答えになってない。笑』
キーンコーンカーンコーンッーー-
『チャイム鳴ったよ、また放課後ね』
「おう。じゃあな」
教室を出て行く達也
『…』
後ろの席を振り向くと
何も乗っていない机
ペタンコの鞄
弘人のいない椅子
数学の教師が教室に入ってきて、黒板に並べられる数字やアルファベット
頬杖をついてあくびを一つ
窓の外に広がる青い空を
飛行機雲が二つに分けた
「ねぇ優、次体育祭の役割決めだって」
はしゃいだようにそう言った美羽
「佐野と同じの出たいーっ」
「七美は足速いから絶対リレーだよ」
『私運動苦手だからなぁ。』
「優ってトロそうだもんね笑」
『うるさいっ笑』
結局、部活をやっているスポーツの得意な子からリレーや騎馬戦の出場選手に選ばれ
私と美羽は残り物の二人三脚になった
七美は部活をやっていないのにスポーツテストの点数でリレーに選ばれた
「ねぇ、多田は何出るって?」
『リレーって言ってた』
「多田速そうだもんねぇ」
『中学の時も3年連続アンカーだったよ笑』
「すごー。運動神経いい彼氏ってかっこいいよね」
黒板に書かれた選手一覧
リレーの下に並ぶ”佐野”の名前
小学生の頃
いつも弘人と達也はアンカーだった
私はいつも二人を応援していたけれど
心の中で叫んでいたのは
やっぱり弘人の名前だったんだ
「じゃあねー優っ」
「多田と仲良くね~笑」
『うん笑 またね』
結局、あのまま弘人は教室に戻ってこなかった
弘人の机に残された鞄
教室にはまだ、ちらほらと生徒が残る
日直が消し忘れた黒板
そよ風で揺れるカーテン
グラウンドから聞こえる野球部の声
『…』
日常の放課後の風景
秋の風が気持ちいい
金木犀の香りがする
雲が
まるで空の青に溶け込むように薄く広がる…
カタン。
『っ…』
目を開けると、教室は夕日のオレンジに染まっていた
『…寝ちゃった。』
「なにしてんの。」
『っ…』
静かな教室に響く声
『…』
振り向くと
だるそうに掴んだ鞄を机に乗せて席に座った弘人が
私を見た
他の生徒はいなくなっていた
静かな廊下
グラウンドから
ボールがバットに当たる高い音が聞こえた
『…帰ったのかと思った。』
「屋上で寝てた。」
『弘人、体育祭リレーだって。』
「なんで9月に体育祭なんだよ。笑」
『夏は熱中症になる子が多いし、テストとかいろいろ忙しいから、うちの学校は9月にするらしいよ。』
「ふーん。」
興味なんてなさそうに空返事をして
頬杖をついて窓の外を見た弘人
『…中学の時は、何出たの?』
返事なんて返ってこないのに
『弘人昔から足速かったし、やっぱりリレー?』
沈黙が怖くて話題を探してしまう
『弘人と達也、小学生の頃からずっとリレーだったよね。』
あの頃はこんな沈黙さえ、心地よかった。
『達也もね、三年間ずっと』
「あいつの話すんな。」
『っ…』
「…わり。」
『…私こそごめんね。こんなの興味ないか。』
今日は、少し風が冷たい。
「お前は何出たの?」
『え、』
「綱引きとか?」
小さく笑って視線を私に向けた
そんなに温かい瞳で
『えっと…』
私を見た
『1年の時は綱引きで、2年目は玉入れでしょ。3年の時は二人三脚だった。』
「そっか。」
『二人三脚で転んじゃって、結局ビリで…』
優しい瞳で見つめられて
急に寂しくなって
私は俯いた
『…』
あぁ…
そっか。
《弘人が引っ越した後も、ずっと連絡とってた。つってもほとんど優の近況報告って感じだったけど。》
こんなの弘人は知ってる。
知ってて
それでも私の話を聞いてくれている。
『…見たかったな。小学6年生の弘人も、中学3年間の弘人も。』
「…」
急に静かになる教室
弘人はまた
窓の外を見つめるから
私も弘人と同じように外を見た
『…』
校門にもたれて携帯を眺めている
昨日のあの子がいた。
『…あの子のこと、待ってたの?』
「あぁ。」
『…』
弘人がここにいてくれたのは
私と話をするためじゃなかったんだ。
『この辺で見ない制服だね。』
「横浜いた時、同じ中学だった子。」
『え?』
「親と喧嘩して、学校終わってそのまま俺んとこ来たんだよあいつ。」
無表情にあの子を見る弘人
「帰れっつっても帰んねぇの。仕方ねぇからうちに泊めてる。」
『…そっか。早く行ってあげないと、彼女待ってるよ。』
「彼女じゃねぇよ。」
『え…』
「ただの後輩。まぁ向こうは俺のこと好きみてぇだけど。」
ふっと笑った弘人
『…付き合ってない子、泊めてるの?』
「うん。」
『っ…』
「なんで?」
『…』
「…あぁ、わり。」
席を立ち上がり
「優ちゃんは純粋だもんな。」
机の上の鞄を掴む
「俺は好きじゃなくてもキスできるし」
『…』
「付き合ってない子とも寝るよ。」
『…』
私の頭にポンっと手を乗せた弘人
そんな冷たい言葉を呟いて
あなたは教室からいなくなる
そんな残酷な言葉を言いながら
泣きそうな顔をした弘人の
その切なさの意味が
私にはわからなかった
私一人になった教室は
空っぽで
静かで
冷たい。
変わってしまったもの
変わらないもの
いつまでも
心に残る
私の大好きだった弘人
もう
会えないなんて…
ガラッ
「わり、遅くなった」
『…達也。』
「…優、泣いてた?」
『…』
「…」
弘人の言葉が
心に刺さる
『…泣いてないよ…』
痛みは
消えずに
「…そう。」
私の心を占めて
『…』
逃れることを
許さなかった
【2016.2.19 つづく】