手のひら。
一度離れてしまった心は
もう二度と
取り戻せないのだろうか。
「おはよーっ」
「おはよ♪」
机に座り頬杖をつく
朝の教室に響くクラスメイトの声
なんとなく黒板の上にかけられた時計を見つめて
小さく息を吐いた
「あっ弘人おはよー♪」
『…』
だるそうに教室に入ってきた弘人
ドサッ。
『っ…』
私の机に乗せられた鞄。
「廊下に落ちてたけど。」
『ぁ…ありがと。』
弘人の低い声
弘人が怒ってる。
後ろの席にドサッと座り
机に顔を伏せた弘人の周りに集まる女子
気にしないふりをして
私も机に顔を伏せた。
ガラッ
「席に着けー、ホームルームはじめるぞ」
朝のホームルーム
窓から吹き込む風が気持ちいい
『…』
昨日の夜洗って干した上靴が少し湿っぽい
なんだか急に情けなくなって
気付けば指先が小さく震えていた
『…っ。』
「ホームルームは以上だ。一限目始まるまで静かにしてろよー」
『…』
「おい。」
『…』
「おい優。」
クイッと引かれた後ろ髪
『っ嫌!』
「…」
『っ…』
弘人の手を
強く振り払ってしまう。
「えーなに?」
「なに弘人に怒鳴ってんの?」
『っ…』
「優、どうしたの?」
七美がそう言って私の背中をさする
『…なんでも…』
「なんでもないって感じじゃ…」
グッ
『っ』
突然弘人に腕を掴まれ引っ張られる
「こいつ、体調悪りぃから保健室連れてくわ。」
「え、そうなの?優大丈夫?」
『っ…』
弘人に腕を引かれ、そのまま教室を出た。
『…やめてよ…』
「…」
『…こういうこと、しないで。』
「黙ってろ。」
『弘人といるとっ!』
「…」
立ち止まり
振り返り
それでも離してくれない腕が痛い…
「俺がなに?」
『っ…』
「言えよ。」
『っ…なんでもない…』
「怒るぞ。」
『…もう…怒ってるじゃん…』
突然溢れた涙を
見られないように俯いた私を
『…』
弘人はそんなふうに優しく抱きしめる
「…俺のせいか?」
『…違う…』
「…」
『…八つ当たり…泣』
「…」
『…上靴…汚されたり…鞄なくなったり…泣』
「そういうの、達也にちゃんと話せよ。」
『…だって…泣』
怖かった
私のことを恨んでいる人がいる
それが誰なのかわからない状況が
怖くて仕方なかった。
弘人のことが好きな女の子かもしれない。
彼氏がいるくせに弘人と関わろうとする私を恨んでいるのかもしれない。
そんな根拠もないことばかり頭を駆け巡る。
何もわからないまま周りを疑ってしまう。
そんな自分がたまらなく嫌になる。
小さく震える体を
抱きしめる力が少しだけ強くなる
その温もりが優しくて
私は強く目を瞑る
『…』
誰かに恨まれることが
こんなに怖いなんて
私は知らなかった。
ガラッ。
「しばらく寝てろ。」
『…』
布団に入り
深く布団を被る
涙が布団に染み込んでいく
声を出さないように息をころす
『…』
布団越しに私の頭を優しく撫でた弘人
『…弘人…』
「…ん?」
『…ありがと…』
静かな保健室に響く
二人の声
心臓の音が聞こえてしまうんじゃないかと…
『…なんかしゃべって…』
沈黙が怖い。
「…」
『…弘人…』
「…この前の話の続きしようか。」
『っ…』
《俺、元カノを殺したんだ。》
『…』
「自殺したんだ、俺の彼女。」
体が
『…っ…』
小さく震える
息苦しい。
「俺に嫌いって言ったまま。」
『…』
「…喧嘩してたんだ、俺ら。」
弘人の低い声…
「勝手に男の家着いてってレイプされて。」
『…』
「バカな女。」
『…』
「…俺も。」
あまりに切ないその声が
「…本当はあの日、俺も一緒に死んでやるべきだった。」
小さく震えていた…
『…っ』
「…なんてな。笑」
『…』
「…嘘だよ。」
『っ…』
静かに体を起こすと
『…』
弘人の背中
「…」
『っ…泣』
また突然
弘人がいなくなってしまうような気がして
私は弘人のワイシャツの裾をそっと握り締める
薄暗い保健室
鼻に触れる消毒液のにおい
真っ白の布団とカーテン
弘人の
後ろ姿。
あなたが
泣いているようで…
「…やめとけ。」
『…』
湿った空気に広がる
弘人の低い声。
「…俺だけはやめとけ。」
溢れ出して止まらなくなる
『…』
頬に伝う涙を
「…」
拭うこともできずに私は…
『…』
静かに振り向いた弘人は
そうやって悲しそうに
小さく笑うんだ。
『…弘人…』
「…」
弘人の大きな手が私の髪を撫でる
優しく撫でる。
私は知らなかった
あなたの手のひらがこんなにも冷たいこと
あなたを掴んで離さない
その大きな過去
それを思い出すことで
どれほどあなたが
苦しんでいるのかを。
ねぇ、弘人。
その時思ったんだ。
あなたを
あなたの苦しみの全てから
救い出してあげたいと…。
【H28.4.13】