痛み。
時々見える
あの頃の弘人の優しさ
その全部を集めたら
あの頃に戻れるような気がした
「はよ。」
『おはよっ』
マンションを出ると
いつものようにガードレールに座った達也
『めちゃくちゃいい天気だねっ』
「晴れてよかったな」
『日焼けしないかなぁ』
「お、弁当作ってくれたの?」
『うんっ久々に達也のお弁当作ったかも』
「早く食いてぇ」
『早すぎ、まだ体育祭はじまってもないから笑』
「体育祭とかだりぃ。さぼりてー。」
『リレー頑張ってね、応援してるからっ』
「お前も二人三脚転ぶなよ」
『もーっうるさい笑』
《大切なものは、持ってない方が楽でいいよ》
次の日
弘人は学校に来なかった。
「優おはよーっ」
『おはよっ』
「めっちゃ晴れたね♪」
「2日前の雨でグラウンド使えるか不安だったけど良かったね」
「9時半になったらグラウンド集合だって」
『二人三脚うまくいくかなぁ』
「昨日めちゃくちゃ練習したし頑張ろうね♪」
体操服に着替えて教室に戻り
体育委員から鉢巻が配られる
それからしばらくして
時間ギリギリに教室にきた弘人
「弘人~今日お昼一緒に食べたい♪」
「あ、私もー♪」
体操服の上に着た学校のものではないジャージ
「気が向いたらな。」
弘人の腕を掴む女子たちを適当にあしらって大きなあくびをする
「優、そろそろ行こっ」
『あ、うん』
配られた鉢巻を持って教室を出た
「優ってたまに佐野のこと見てるよね」
『え、見てないよ』
「嘘ー見てる。」
「多田となんかあった?」
『なにかって?』
「んー、最近一緒にいることちょっと減ったから。」
『そんなことないよ、今日だって一緒に来たし』
「優、無理してない?」
廊下を走り抜ける生徒たちの声
廊下の窓から吹き込む風
校舎に響くチャイムの音
『気にしすぎだって笑』
すぐに返事を返せなかったのは
達也の隣にいることが
許されないような気がしたから。
「次棒引きだよ!」
「がんばれ男子ー!」
グラウンドに響く声援
青空に貫くピストルの音
流行りのアーティストのBGM
アナウンス実況の声
「ねぇ、さっき多田が沙也加に呼び出されてたよ」
『え?』
同じクラスの綾子に声をかけられる
「あの子が前に多田のこと好きって言ってたの、聞いたことあるんだよね。」
『…』
「体育館の方行ったけど、追いかけた方がよくない?」
『…うん。』
これまでも
『大丈夫。ありがと。』
こういうことは何度かあった。
「えー、止めないの?なんで?本命彼女の余裕ってやつ?」
小さな棘が
「そんなに好きじゃないとか?」
刺さる。
「捨てられても知らないよー」
そう言って友達の元に戻っていく
『…』
こういうことは
今まで何度かあったんだ。
他の誰かが達也のことを好きだという噂を聞いたり
下駄箱に連絡先が入っていたり
バレンタイン、チョコレートをもらったり
彼女がいると分かっていて堂々と告白する子もいた
元々人当たりのいい達也だから
そういう部分に惹かれる子を何度か見てきた
そういう話を今まで何度か聞いてきた
達也が私の隣にいることが当たり前だと思ったことはない
余裕なんてあるわけない
だけど
達也が他の人を選んだとして
達也の意思を変えることは私にはできなくて
それでも、そういうのは
本当にその人のことが好きだとは言わないという
周りからすると
そういう私の姿は、嫌な女に映る
やきもちを妬いて
ジタバタして
自分が彼女だと主張する
そういうのが
“普通”だと周りは言う
『…』
私は
そういうふうにはなれない。
「優っ」
『あ、達也。』
「もうすぐ優の出番だな」
『うん、緊張してきた』
「クラス違うけど応援するからな」
『同じクラスの子に怒られるよ笑』
少し離れたところで
私たちを見ながら綾子が友達と話している
時々ある、こういうことを気にして
今を壊したくない
だから気にならないふりをする
私は
強くあろうとする
それが
周りをどれだけ苛つかせているかさえも気付けずに…
「達也!バトン回す練習!」
「おう!優、またな」
『うん、頑張ってね』
達也の後ろ姿を見送って
飲み物を買いに行こうと自動販売機に向かう途中
クラスの女子と弘人の姿を見つけた
『…』
気付けばいつも弘人の隣には女の子がいる
「弘人~弘人の家族来てるのっ?」
「俺、家族いねぇよ。言わなかったっけ。」
ジャージのポケットに手を突っ込み
フェンスにもたれるようにして
「もぉ、また冗談ばっか言ってーっ」
無表情に弘人の見つめる先
『…』
カメラを回す母親に少し鬱陶しそうな表情をする男子
遠くから手を振る親に笑顔を向ける女子
自分の子供を探し、目で追う保護者
「ねぇ弘人のお母さんってどんな人ー?紹介してよっ」
『あのっ』
「あ、佐々木さん。なにー?」
『あ…他の子達が探してたよ』
「ほんと?ありがとっじゃあね弘人♪」
あなたはここにいるのに
ここにいないようで…
『…』
「…いいから、あぁいうの。」
『…ごめん。』
でも
『…』
壊れそうだった…
『…何してるの?』
「別に。」
『そっか。』
「俺じゃなくて達也のところ行けよ。周りに勘違いされても知らねぇぞ。」
『…勘違いって、何をよ。』
「なんか俺、モテるみてぇだから。」
そうやって
ふざけたように笑う
『…自分で言うな。』
「…笑」
色のない声で笑う
『…ジャージ、学校のじゃないから担任が怒ってたよ。』
「貧乏なんで佐野君はジャージが買えませんって言っといて。」
『…弘人は貧乏なの?』
「横浜いた頃はな。親父金だけは持ってるからね。」
『…』
生徒たちの声援が響くグラウンド
風が吹くと埃っぽい砂煙がふわりと舞う
飛行機雲が青空に白い線を引く
『…弘人のお母さんが亡くなったのは、弘人のせいじゃないよ。』
「…」
もうすぐ、秋が終わるにおいがする。
「…達也から聞いたか?」
『…うん。』
「ほんとあいつは…。笑」
『…』
「…女手一つでガキ育てるってさ、世間が思ってる以上にきついんだよ。」
『…』
「この街を出て、横浜で母親と暮らすようになって。あの頃、母親が眠る姿を見たことがなかった。」
まるで
「毎日朝方に帰ってきて、寝てる俺の頭撫でながら言うんだよ。」
記憶を辿るように
「“ごめんね”って。」
そんなふうに
『…』
弘人は…
「俺のセリフだろって思った。」
あの頃
「…ほんとに、突然倒れたんだ。」
弘人はどんな気持ちで
「朝、俺を見送りに玄関まで出た時。」
毎日お母さんの姿を見ていたんだろう
「…」
『…』
「今でも考えるんだよ。あの人は最後、何のために生きたんだろうって。楽しいとか嬉しいとか、そういう感情もなかったんだろうなって。」
そんなふうに小さく笑った弘人
『…それでも…弘人が悪かったわけじゃない。』
「…そういうセリフはさ」
『…』
「飽きるほど聞いた。」
『…』
「…優ちゃんにはわかんねぇよ。」
そんなにも
「過労で痩せていく母親目の前にして、自分でどうすることもできねぇんだ。」
切ない瞳で
「…そういうの、わかんねぇだろ。」
『…っ…』
涙が溢れそうになったから
俯いた
時々
弘人の過去に触れる
弘人の過去に触れると
少しだけ
弘人の近くに行けた気がした
だけど同時に
弘人の苦しみが
傷が
心に刺さる…
絶対に私では解れない痛みを
一人で抱えて生きてる
『…弘人っ』
呼び止めた弘人の後ろ姿
『…弘人は一人じゃないよ。』
立ち止まり、振り向いて
「…達也に怒られんぞ。」
無表情に、笑った。
【H28.3.13】




