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絶塞  作者: 西東行
第2章
8/18

「——幸いにも未遂に終わりましたので、月季公主は気づいておられません」

 宮殿に戻ったヘリオスフィアを前にして、李冰陽は声を低めて報告した。

 他に部屋にいるのは、オーラリー将軍と近衛兵がふたり、家令のアーミラリ、女官長と着付けを手ほどきしてくれた女官のひとりがいた。天香国側は、使節団の代表である大衍と侍女筆頭の梅花、そして清照である。

 椅子のない部屋なので、大衍は居心地悪そうに絨毯にすわっていた。

「天帝の末裔である天香国の公主が、毒にさらされるなど。おそろしいことです。この不始末、どう責任を取られるおつもりか」

「失礼だが、大衍殿。俺はまず状況を整理したい。——冰陽」

 ヘリオスフィアは片手をあげて、大衍を黙らせると、李冰陽のほうをむいた。

「くわしく状況を話せ。まず、誰がどうして気づいたんだ?」

「最初に気づいたのは私です。衣装あわせをしておられる公主に、菓子と冷やした花茶をお持ちしたのです」

 清照が抜けだしたあと、ヘリオスフィアは清照のあとを追い、李冰陽は月季の監視にまわったと、どうやらそういう役割分担をしたらしい。

「私が離宮をお訪ねしたときは、まだお衣装を片づけておられず、その衣装に引っかかって花茶の水差しが倒れ、中身をこぼしてしまったのです。その際、花茶に含まれている花弁がひどく変色しているのを見つけて、これはおかしいと」

「花の色か。なるほどな」

 ヘリオスフィアは榛色の髪をかきあげた。李冰陽はうなずく。

「すぐに梅花殿にお願いして、飲み物をかえたのですが、そうした状況でしたので、月季公主はなにも気づかれませんでした。ちなみに残った花茶を鼠に飲ませたところ、しばらくしてから痙攣を起こして死んでしまいました」

「おお……っ」

 大衍は袖で口もとを覆ってよろめいた。怖ろしさのあまりというより、遺憾の意の表明である。男でも繊細であることが好まれる天香国ならばこれでよかったのだが、トルクエタム側は全員、奇異なものでも見るように大衍を見やった。

「……厨房で茶の用意をしたのは?」

 気を取りなおすように、ヘリオスフィアが尋ねた。

「宮殿の下女でございます」

 アーミラリが答え、女官長がすかさずつけくわえた。

「椀に茶をそそがれたのは、月季公主の侍女の方々ですわ」

 梅花が眉を逆立て、女官長をねめつけた。

「私どもが公主に毒を盛るはずがないでしょう! 毒を入れたのは天香国に恨みを持つ者——下女の誰かか、あの場にいた女官、あるいは李冰陽殿に違いありません」

 とたん、近衛兵と女官長が顔色を変えた。

「李冰陽様を疑うとは、なんという無礼な!」

「そもそも、毒に気づいたのは李冰陽様だ」

「毒は水差しに入っていたのだから、李冰陽様の命も危なかったのだぞ!」

「存外、あなた方が李冰陽様を狙ったのではないのか」

 しかし梅花も負けていない。

「言いがかりも甚だしい! 第一、私どもが李冰陽殿ごときを狙って、なんの利があるというのです。公主と家臣を同列に扱うなど、そちらこそ無礼ではありませんか!」

 若い近衛兵たちが剣に手をかけて、腰を浮かしかける。

 だが彼らが抜刀する前に、鞭打つような鋭い声が響いた。

「ごとき呼ばわりとは、天に仕える聖なる神官をなんと心得る!」

 李冰陽本人だった。怒りをこめた目で梅花を睨みつけている。

「私は、太守にもっとも信頼していただいている身でもある。控えるがいい!」

 威厳すらただよう一喝に、梅花は顔色を青くし、絶塞の家臣たちはかしこまる。オーラリー将軍だけが両腕を組んだまま、岩のような表情を毛一筋も崩していなかった。

 ヘリオスフィアはため息をついた。

「——馬鹿か。控えるのはお前だ。逆上などして、見苦しい」

 子供に言うような口調で叱責すると、李冰陽は、かっと頬を赤らめた。ヘリオスフィアは乳兄弟の表情には気づかないふりをして、視線をほかへ移した。

「疑心暗鬼になって、お互いに敵意を抱くなど愚かなことだ。首謀者は第三者かもしれないのだからな」

「第三者ですか?」

 李冰陽が聞き返すと、ヘリオスフィアはわずかに間をおいてから答えた。

「……たとえば、ブラーエ——天香国で言うところの布拉赫フラカクという可能性もあるということだ」

 皆が一斉に顔を見合わせ、動揺する。

 天香国の北西にある布拉赫は、天香国とトルクエタムがこの婚姻によって手を結んだことで、東から南にかけてかこまれるかたちになった。トルクエタムは布拉赫とおもてだって敵対していないが、わずらわしいことだろう。

 しかも、今後は布拉赫が略奪のために天香国に攻めこめば、トルクエタムからも制裁を受けかねない。天香国がトルクエタムに莫大な持参金を送ることには、西方の国々をまとめ、にらみを利かせてほしいという要望も含まれているからだ。布拉赫が、月季とヘリオスフィアの婚姻を邪魔しようと画策しても、ふしぎではなかった。

「うろたえるな。たとえばと言ったろう。あくまでも可能性のひとつだ。肝心なのは思いこみを排して事実のみを調べることだ。——アーミラリ、女官長。使用人は調べているのか」

 女官長はひれ伏した。

「はい。本日、離宮にあがった女官たちは皆、古くからこの宮殿で働いており信頼できる者たちです。私が保証いたします」

 一方アーミラリは、表情をくもらせた。

「おそば近くにあがる者はともかく、厨房や洗濯部屋などの下働きのなかには、臨時に雇っている者が多いことは事実でございます。月季公主のご一行をお迎えするため、宮殿はいつもより人や物の出入りが多く、外部の者が紛れこみやすくなっておりますので。そのなかに、怪しい者が含まれていた可能性は否定できません。無論、全力をあげて不審な者がいないか確認しております」

 正直に説明した。

 ヘリオスフィアは肩をすくめる。

「ふん。宮殿にいた者がこっそり外にでていくのも、容易になっているほどだからな」

 あてこするように清照を睨んだが、清照はそれを無視して問うた。

「失礼ですが、宮殿の人事はアーミラリ殿が差配しておられるのですか」

「そうです。私は先々代からつづくオールトの商家の人間で、それなりの人脈を持っております。口入れ屋や商人組合のあいだにも顔がききますし。ですので、新しく雇った者と言っても、調べるのはさほど難しくはございません」

 なるほど、商人の出と聞けば、彼の如才ない態度もわかる気がした。

 大衍がようやく立ちなおったのか、口を開いた。

「とにかく、天香国の方士による結界でなければ、天香国の貴人を守ることはできないことは明らかです。やはり月季公主は早急に我々のいる迎賓殿にお移りになっていただかなければ……」

「いや、それはできない」

「できない? なぜでございます」

「なぜもなにも、今回の毒は、人が仕込んだものだろう。結界など関係ない。衛士による警備ならば、この離宮の方がよほどしっかりしている。太守の家族を住まわせる場所だからな」

「誰のお住まいだろうと、天香国の神霊のための調度の配置や、色合わせを考慮しておらぬでしょう。天香国の術によってこそ、人の悪意、邪悪な気を阻むことができるのです」

 ヘリオスフィアは呆れたように大衍を見た。

「大衍殿。星々が守るこの地に、天香国の方士が使役できるような精霊はいない。それよりも重要なのは不審な人物の洗いだしや、建物の周囲の警備だ」

 梅花がぬかづかんばかりに身をのりだした。

「王子、どうか御一考くださいませ! 公主の御身が危ないのでございますよ!」

 近衛兵のひとりが、思わずというようにもらす。

「毒で狙った相手が本当に月季公主かどうかも、まだわからんではないか」

「なんですって!」

 梅花にキッとふりかえられて、近衛兵はひるんでいた。大衍は傷ついたような表情で、しかし目つきだけはふてぶてしく、ヘリオスフィアを見あげる。

「誰が狙われたかわからぬとおっしゃるが、ではことが判明するまで、公主の守りを今のままにしておくというおつもりですか。それこそ不用心で、認めがたいことですぞ。この一件を仔細に調べていただくのは当然ですが、手は打たせていただきます」

「それは——」

「むしろ、おうかがいしたいのですが、天香国の術のなにが不都合なのですか」

「いや、大衍様。ですから」

「まあ! 王子と大衍様の問答に近衛兵ごときが口をだすなど、お控えなさい!」

「ごときだと!?」

 乱戦の様相を呈してきた。これは長くかかりそうだと、清照は思った。特に大衍は一見すると軟弱な老人だが、その交渉ぶりは粘り強く、しつこい。月季への説教もそうだが、ねちねちと長いのだ。

(しかし、毒か。……私を襲った男も毒を使っていたが、偶然か?)

 彼らは清照が宮殿を脱けだすところを見ていたようだった。毒を操る勢力が、別個に宮殿のまわりをうろついていたということはありうるだろうか。

 逃げた男は騎馬の民だった。単純に考えればトルクエタムか、布拉赫だが、しかし絶塞はもともと異国人が多い都市だ。天香国の者が雇ったという可能性さえ、排除できない。

 考えるべきことは多かった。交渉の行方は興味深くはあるが、しかしつきあって見ているほど清照も暇ではない。身分が低い清照が、これ以上この部屋にとどまっている理由もなかった。目立たない末席にいることを幸い、清照は立ちあがる。

 だがヘリオスフィアは、すばやく目にとめた。

「どこへ行く」

「失礼して月季公主のおそばに戻ります。あの方を守るのが私のつとめですから」

 ヘリオスフィアは目をすがめ、苦々しげに言った。

「まったくだ。お前は公主のおそばを離れるべきではなかったな」

 引きとめられはしなかったが、少し、耳が痛かった。




 その夜、清照はそっと起きだすと、与えられた部屋を抜けだした。

 廻廊にでて、月季の部屋のほうを見る。廻廊に面した控えの間から、灯りがもれていた。今夜は桃花が寝ずに番をしているはずだ。

 月季はいい夢を見ていることだろう。清照が戻ってきたときも、トルクエタムの衣装の着こなしや色あわせのこつを李冰陽に教わったと、いつになく上機嫌で、清照が中座していたことにも気づいてすらいなかった。正直、清照は気が抜けた。

(楽しそうで、けっこうなことだ)

 清照は足音を忍ばせて、昨夜と同じく、離宮をかこむ壁の抜け穴から外にでた。だが昨夜のように泉に近づかず、目立たぬよう壁際や植え込みのそばを移動する。日中の強い日差しを避けるためか、庭園には大木が多く、格好の隠れ場所になった。

 宮殿の敷地にはいくつもの建物や庭園が点在している。途中には衛兵もいて、建物のなかに入ったり、城門をとおりぬけたりするのはかなりむずかしそうだ。しかし庭園の木々をたどっていく分には支障はない。なにしろ敷地が広すぎるのだから、要所以外は警備の甘いところがあるのもしかたなかった。

 迷いのない足取りで歩道を横ぎり、趣の違う庭園をいくつかとおりすぎて、敷地のおくへとすすんでいく。

 白楊の並木のなかばで、清照は唐突に足をとめ、ふりかえった。

 そして白楊の一本にむかって、脅すような低めた声で呼びかけた。

「あとをつけるのが下手だな。また気絶させてほしいのか」

「——えっ?」

 返ってきた声に、脅した清照のほうが驚き、あわてた。

「月季公主!?」

「ずいぶんと物騒ではありませんか、清照」

 白楊のうしろからあらわれた月季に、清照は急いで膝をついた。

「これは失礼を」

「ヘリオスフィア王子に仕える者たちに、乱暴なことはなりませんよ。わたくしたちは、和平のためにこの国に参ったのですからね」

 その和平のために嫁いできた自分が命を狙われたことを、月季は知らない。

「それよりも公主、なぜこのようなところに? 暗いなかをひとり歩きなど、いくら公主に武術の心得がおありでも、危ないではありませんか」

 あまり大袈裟な口調にならないよう気をつけて、清照は主をいさめた。

 が、月季にはにこにこと、無邪気に答えたものだった。

「そなたがでていったから、ついてきたまでです。庭園で清照と話をすると言えば、桃花も安心して通してくれました」

 清照はため息をのみこみつつ、桃花を呪った。彼女には、月季が狙われたことは告げてあったのに。離宮を抜けだすとまでは思いいたらなかったのだろうが、月季をひとりにするというのがそもそも間違っている。

「でもあんなところに抜け穴があっただなんて! よく見つけましたね、清照!」

「はあ」

「それで、抜け穴が見つかったから、宮殿を探検していたのですか」

 お前と一緒にするなと、清照は心のなかでつぶやいた。

「おそれながら公主。これは遊びではございません。侍女として、宮殿の内部をくまなく把握しておきたかったのです。ですが天香国の女に、宮殿の要所を見せてくれるはずはございませんので、抜け穴があったのを幸い、失礼して夜に勝手に見てまわろうと思った次第です」

「そうだったのですね。でも、そうしたれっきとした理由があるなら、勝手に歩きまわらずとも、李冰陽に頼めば聞き届けてくれるかもしれませんよ」

 月季が緑の瞳の若者によせる信頼に、清照は驚いた。が、なんとか表情にはださずにすませた。

「宮殿の主はヘリオスフィア王子です。李冰陽殿にしても、ヘリオスフィア王子のお許しがいるでしょう」

「……それはそうですね」

 ヘリオスフィアに許可をもらう自信はないのか、月季は肩を落とした。

 清照は肩をすくめる。

「真面目に考えればヘリオスフィア王子に願いでてお許しをいただくべきですが、しかし時間もございませんし、私も育ちが悪うございますので、好き勝手にさせていただこうと思いまして。要は、ばれなければよいのです。そんなわけで、私は探索をつづけますので、公主はお部屋にお戻りください」

 月季は頬に指をあて、なにやら考えていたが、突然、笑みをうかべて顔をあげた。

「——では、わたくしもそなたとともに参ります!」

「はっ?」

「実はわたくしも、この宮殿を探検したかったのです。ばれなければよいのですよね」

 だからこれは遊びではないと言ったばかりではないか。なぜ人の話を聞かない。

「しかし公主ともあろう方が、滞在する宮殿を勝手に見てまわるなど……」

「まあ、清照。公主らしくないと、これまでさんざん非難されてきたわたくしに、今さら公主らしい態度を求めるなどおかしいですよ。それに、わたくしが衛士の目をくらますのが得意であることは、そなたもよく知っているでしょう」

 月季はころがるような声をたてて、楽しそうに笑った。

 こうなると月季をとめることは至難の技だった。決してわがままな少女ではないのだが、ひとつのことに熱中すると、ほかのことが見えなくなってしまうのだ。

 清照は、額に手をやった。なぜだろう。月季が相手だと、清照はいつも調子がでず、思うようにことを運べなくなる。

「……しかたありません。一緒においでください。考えてみれば、公主おひとりでここから離宮にお帰りいただくのも物騒ですから」

 毒殺をくわだてた犯人の見当もついていない。それを思えば、なにも知らない月季をひとりにすることはできなかった。清照の用事を、はやく切りあげればいいだけのことだ。

「それに、もしも宮殿の誰かに見つかれば、公主がヘリオスフィア王子の寝所に忍びいるつもりかと噂されてしまいますしね」

「清照! なんということを!」

「お静かに。でないと本気でおいていきますよ」

 人差し指を口にあてると、月季はあわてて両手で口をおさえた。

「そ、それで、どこに行くのです」

 必要以上に声をひそめて、問う。

「どこというあてはありません。とりあえず、ひととおり見てまわることが目的です。行きましょう。公主は私のあとについてきてください」

 清照と月季は、ともに敷地のなかをすすんでいった。

 並木はいずれも大木で丈が高く、建物も大きい。随所に篝火が焚かれていたが、あたりは暗かった。誰もいない廻廊や庭園は、夢のなかの風景のようだ。どこかから聞こえてくる、楽人の奏でる音色も、より深い夢に人を誘いこむようだった。

「——建物の配置が、天香国とは随分違いますね。わたくしたち、今どこにいるのでしょうか。先刻と同じところを歩いていませんか」

 月季が心細そうに尋ねる。

「今は、神殿の丘をめざしております。大丈夫ですよ、公主」

 ふたりはときに、紅柳タマリスクの植え込みに隠れて衛士をやりすごし、廻廊の柱の影をつたいながら、さらにおくにすすんだ。

 そうするうちに、清照たちは岩の丘にはりついた小さな堂宇の前にたどりついた。衛士はおらず、堂宇のおくには隧道の入り口が開いている。

「まあ。こんなところが……?」

 隧道は、清照と月季がやっと並んでとおれるほどの幅しかなかったが、奥行きはかなりあるらしかった。らしいというのは、先が暗くて見えなかったからだ。壁には一定の間隔で燭台が備えつけられていたが、吹きこむ風で今にも消えそうにゆれている。

 月季は好奇心もあらわに隧道をのぞきこむが、すすみかねていた。

「この隧道はどこへつづいているのでしょう。狭くて暗くて、まるで洞窟のようです」

「存外、公主のおっしゃるとおりかもしれません」

「この隧道が、天然のものであるというのですか? それにしては壁も天井もまっすぐに整えられていませんか」

 驚いてふりかえった月季に、清照はあたりを指さしてみせた。

「もともと岩の丘の内部に、洞窟でもあったのはないでしょうか。それを掘りひろげたとすると、労力もそれほどではないはずです」

 月季はまわりを見まわして、首をかしげた。

「では、この道は丘のおく深くまでつづいているのでしょうか?」

「そうですね。行ってみますか? 衛士がいないということは、入ってもいい場所だと思いますよ」

 清照の声が、わずかに笑っていることに、月季は気づいただろうか。気づいたとしても、挑発ととったかもしれない。いずれにせよ月季は、胸をはって答えた。

「もちろん、参ります」

「では、ここからはなおのこと、お静かに。どうぞお気をつけて」

 ふたりはつれだって、隧道をすすんだ。

 隧道は、単に狭いという以上に、いいようのない閉塞感と圧迫感に満ちていた。あたりに満ちている濃い闇のせいかもしれない。

 燭台の灯りはこれほど心細いものだったかと、清照はあやしまずにはいられなかった。かぼそい光は、ものの輪郭をわずかに照らしだすのみで、その背後につづく闇はあまりにも深く、小さな灯りなど簡単に飲みこんでしまいそうだ。

 清照も月季も、無言で隧道を歩んでいった。

 いくらもたたないうちに、廊下らしき場所に行きついた。清照たちの目の前には太い親柱があり、その周囲に螺旋階段がもうけられている。階段は地の底からつづき、ずっと上へとのびていた。

 廊下は左手のほうにずっと伸びている。先は暗くて見えない。

「のぼりますか、くだりますか? それとも横に行きますか?」

 清照が問うと、月季は神妙な表情で螺旋階段を見つめた。

「のぼります」

 月季らしい答えが返ってきた。

 ふたりは清照を先にして、くるくるとまわりながらのぼっていく。

 やがてふたりは、最上段にまでのぼりつめた。小さな階段室の一方の壁に、こんな小部屋にはそぐわない、立派な両開きの扉がある。

「丘の上にでたのでしょうか。ということは、ここを開ければ、渾天教の神殿かもしれませんね」

 月季は疲れた様子も見せず、期待と不安の入り交じった声をあげた。

「実は、渾天教の神殿や神像を、見てみたかったのです。どのような神が祀られているのでしょう。お香やお花、供犠をそなえたりしているのでしょうか。それとも天香国の天帝のように、立派な髭をお持ちでしょうか」

「美しい若者の像かもしれませんよ。ヘリオスフィア王子や李冰陽殿のような」

「ありうることです!」

 月季はやや前のめりになって、扉の取っ手に触れようとした。だが清照が、その肩に手をおいてとどめる。

「私が開けます。公主は私のうしろにお立ちください。なにがあっても声をださぬよう」

 清照は月季の前に立ちはだかるようにして、一気に左右の扉をおしあけた。



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