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絶塞  作者: 西東行
第2章
6/18

「——梅花様。やはり離宮から外にでることはできませんわ」

 その夜、月季が眠りについたあと、侍女たちは困惑して集まった。

「離宮も北側にある庭園も高い壁にかこまれていますし、離宮と外をつなぐ門には宮殿の衛士がいて、外にだしてもらえないのです。警備のためだとか申して」

「迎賓殿の大衍様たちと連絡が取れません。これでは軟禁です」

 話を聞く梅花の表情も、緊張のためにこわばっている。

「公主を天香国の者が護衛することは、約定でも保証されていたはず。吐勒靼の蛮人どもは、和平の約定を違えるつもりでしょうか」

「そうですわ! しかも、あんな野蛮な衣装を公主に着せようと——公主がおいたわしくて、私、涙が」

「いえ、公主のご寝所にきちんとした結界のないことのほうが深刻です。もしや、わざと邪霊を公主に憑かせようとでもいう魂胆なのでしょうか」

 梅花も、妹の桃花と桜花も、不安のためか感情的になっている。冷静なのは、清照だけだ。

「我々はずいぶんと警戒されているようですね」

「清照! あなた、どうしてそんなに落ちついていられるのですか?」

 ではお前らと一緒にうろたえろと言うのか。まっぴらだと清照は思ったが、口にはせず、かわりに言った。

「しかし、花嫁本人やその侍女までが武装して輿入れするというのがそもそも常識はずれのこと。あちらがあやしむ気持ちもわからなくはありませんよ」

「そ、それは——いえ、だからと言ってこんな扱いはないでしょう! あなたは誰の味方なのです?」

 なおも憤っていたが、梅花も清照の言葉には一理あると思ったのか、態度がやや軟化した。聞いてもらえそうだと見て、清照は言葉を継いだ。

「どうか落ちついてください。だいたい月季公主は、今までさんざん天香国の伝統や習慣を無視してきたのではありませんか。これまでも悪霊に取り憑かれているなどと言われつづけてきたというのに、なにを今さらトルクエタムの邪霊ごときを怖れることがありましょうか。あちらが逃げてとおります」

「う……」

「ま、まあ、たしかに」

「トルクエタムの衣装や習慣も、今のところはお気に召しているようですが、相性があわないと思われたら、ためらいなく無視なさるでしょう。むしろ最初から衝突が起こらなかったことに我々は安心すべきです。衣装くらい好きに着せとけばいいんです」

「そのとおりだけれど、清照……あなた、ちょっと言葉を控えたほうが」

 かえって清照を諫めてきた梅花たちを見て、清照は口調をあらためた。

「公主や高位の官吏たちに無体な真似をするほど、あちらも無謀ではないでしょう。相手が友好的であるはずもなく、これしきの嫌がらせはもとから覚悟していたはず。今しばらく様子を見ませんか。気になることもありますし」

「気になること?」

「感触にすぎないのですが。くわしいところは、またあらためて」

 三人の侍女は顔を見あわせる。が、最後にはうなずきあい、それ以上のことを問いたださなかった。

 姉妹であり、また宮中で生まれ育った彼女たちにとって、清照は敵ではないものの、距離のある存在だった。とはいえ、清照にとって、あまり干渉されないですむのはありがたい。

「では、失礼します」

 部屋から退出しようとした清照に、梅花が声をかけてきた。

「清照。あなたのことですから、月季公主のお立場が悪くなることは決してしないと信じています。お好きになさい」

 思いがけない言葉に虚をつかれて、清照は一瞬足をとめた。ふりかえって見れば、梅花も桃花も、桜花も、真摯な顔で清照を見ている。

(……なんだよ)

 だが返す言葉は見つからず、けっきょく頭だけ下げて、清照は廻廊にでた。




 静かな夜だった。篝火の薪がはぜる音と、庭園にある噴水の音が、静けさを強調するようだ。まるでこの離宮が、無人の荒野にぽつんとあるような、そんな錯覚さえ起きる。

 清照は離宮の北にある庭園に足を踏みいれた。なんとなく狭く感じられるのは、中庭と違って果樹が多いことと、庭園のすぐ北に神殿の丘がせまっており、絶壁といってもいいような急な斜面が庭園にはりだしているからだろう。岩肌をけずって四阿をつくり、そのまわりに花をつけた蔦をはわせているところは、なかなか風情があるが、閉塞感はぬぐえない。

 庭園をかこむ壁にも、花をつけた蔓が一面にはっていた。清照は星明かりを頼りに、壁にそって歩く。

 ふと、かすかな風を感じて立ちどまった。

 蔓の壁から、風が吹いてくるのだ。手をのばして厚く茂った蔓をつかみあげると、壁の積み石に隙間がある。触れてみると、石は簡単にはずれて、子供、大人でも細身の女なら通りぬけられるくらいの穴があいた。最近壊れたものではないらしい。古い穴だろう。

 清照は小さく笑うと、身をかがめて穴をくぐる。清照は上背はあるが身はほそく、しかも柔らかかったので、通りぬけるのにもそれほど苦労しなかった。

 くぐり抜けた先は、べつの大きな庭園の片隅だった。あたりにただようなまめかしい香りは、夜咲きの睡蓮だろうか。清照は庭園の泉に歩みよる。水面が星明かりを反射して、睡蓮の花を夢幻のようにうかびあがらせていた。清照は水辺に身をのりだすと、手を水にひたした。思ったよりもずっと冷たい水だった。

 水に手をひたすなど久しぶりだ。清照は、手首から肘までを覆う布製の手甲をずらすと、両手を深く水にさしいれ、ゆっくりと動かした。

 水面にさざ波がたち、睡蓮がゆれる。ふわりと、花の香りが強まった。目を閉じると、嗅覚がより研ぎすまされる気がする。聴覚も敏感になったようで、どこか遠くで楽人がうたっていることに気づいた。哀切な音色に、噴水の水音が優しくからむ。

 それらの快い音に混じって、草を踏みしだく不穏な音を、清照の耳は拾いあげた。

 それがなにかと判断するよりはやく、清照は手甲の内側に忍ばせていた鏢を引き抜き、相手に投げつける。

 鏢は、矢じりのかたちをした薄く小さな刀剣である。清照が手甲に仕込んでいたのは掌ほどの長さのもので、剣尾の部分にほそい縄を結びつけた、縄鏢とよばれるものだった。

 暗がりのおくで息をのむ気配とともに、鋭い金属音が響いた。相手が、おそらくは刀で、鏢をはねかえしたのだ。

 清照はすかさず縄をたぐると、そのまま、鏢を先につけた縄を大きくまわしはじめた。

 指先を中心にして大きく旋回する縄鏢は、薄く透きとおった玻璃の円盤のようにも見えた。が、刃が空気を切る高い音は、美しい夜には不似合いなほど物騒だ。

 清照は縄鏢をまわしながら、待つ。

 襲撃者は逃げていなかった。建物の陰に身をひそめていたが、やがて鏢が鳴らす音に誘われるかのように、じりじりと星明かりの下に姿をあらわした。

 襲撃者は、宮殿の兵士の格好をしていた。手にする武器も、兵士が持つ半月刀だ。

 兵士はゆっくりと、縄鏢との距離をはかりつつ、横へ横へと移動する。

 やがておもむろに半月刀持った手をあげたかと思うと、こちらの虚をつこうとでもいうのか、一気に縄鏢をかいくぐって踏みこんできた。

 清照も、縄鏢での攻めに転じる。体ごと大きく回転させて勢いを増し、鏢を相手に放ったのだ。

 それまでずっと単調に回旋していた鏢に慣れていた兵士は、突然違う方向から飛んできた刃に面喰らったようだ。咄嗟にとびのいてかわしたが、足下の安定を欠く。清照は間をおかず、今度は縄を腕に絡ませて軌道を変え、兵士にむかって投げつけた。

 縄鏢は、つくりは単純だが、ふりまわすだけの武器ではない。刀剣としては小さく、威力も少ないが、縄と結びつけることで、きわめて多様な攻撃が可能となった。縄を腕や肘、首や胴体にからませ、果ては足にまでひっかけて、刃の軌跡に自在に変化をつけることができる。間合いも思いのままだ。

 大きく弧を描いて旋回し、背中へまわりこんだ鏢の刃が、次の瞬間には足のあいだからまっすぐに飛んでくる。かと思えば上から、あるいは左右から、または斜めに、次から次へと刃が襲う。曲芸じみた変幻自在な攻撃に、正面から攻めてきた兵士は、たちまち防戦一方となった。

 だが劣勢でも、兵士はひるまなかった。

『女狐め!』

 トルクエタムの言葉で悪態をつくと、清照にむかい、まっすぐに突進してくる。

 だが、その単純な動きが致命的だった。

 清照は両手のあいだに縄をにぎる。そして兵士の剣を紙一重の差でかわすと同時に、手にした縄をすかさず相手の腕にまきつけ、兵士の動きを封じてしまった。

「なっ!?」

 兵士が驚愕の声をあげる。だが清照は相手の懐深くに入りこみながら、さらに肘から肩、上半身まで縄でからめとっていく。完全に兵士の動きを封じると、とどめに兵士のあごに掌底をたたきこんだ。

「ぐ……っ」

 最後にぬかりなく、ふらついた相手の足を払い、地面に落としこんだ。

「動くな」

 だが清照に言われなくても、兵士は動けなかった。両腕を絡めとられている上、あごをしたたかに打たれたのだ。まだ焦点があわない目で、呆然と清照を見あげている。

「き、貴様……」

「天香国の人間は、ろくに戦えないとでも思っていたか?」

 清照は手甲からもうひとつ縄鏢を取りだすと、兵士の顔の上にふらっと垂らした。兵士がはっと息をのむ。

「たしかに騎馬での戦いや弓ではトルクエタムにおよばないし、今上帝は書画骨董に目がなく、武人を冷遇している。が、歴史だけは深い国でな。武術もそれなりに発達しているんだよ。特に暗器の多様さには、目をみはるものがあるぞ」

 言いながら、鏢を左右にゆらした。鋭く研いだ刃は、今にも兵士の瞼を裂きそうだった。兵士は喉をひきつらせ、眼前の刃に魅入られたようになっている。

「甘かったな」

 それから清照はおもむろに足をあげると、兵士の横っ面を思いきり蹴りとばした。

「がっ!」

「誰に命じられて私を殺そうとした?」

 清照は眉ひとつ動かさずに尋ねた。兵士は答えるかわりに咳きこみ、なにかを吐きだす。奥歯だ。

「……だ、誰にも命じられてなどいない。俺は天香国が嫌いだ。だから、ちょっと脅かそうと……殺すつもりは」

「ああ、殺気は乏しかったな。だが刀を抜いて近づいてきたくせに、脅かすだけのつもりだったなんてふざけた言い訳が通用するとは、まさか思ってやしまいな?」

 最後の言葉は、柱廊の隅にむかって投げた。

 応じるように、影のおくから人影があらわれた。

 ヘリオスフィアと李冰陽、そしてオーラリー将軍だった。

 李冰陽や将軍の黒髪と違い、ヘリオスフィアの榛色の髪は、夜目にも目立って見えた。青灰色の瞳などは、ほとんど銀色に見えるほどだ。

「いい夜だな、ヘリオスフィア王子」

「……女。こんなところでなにをしている。どうやって離宮を抜けでた」

 怒りをおしころした声で問うた。清照は肩をすくめる。

「公主がお泊まりする場所の周囲を調べていただけだ。できれば迎賓殿と連絡をつけようと思ってな。侍女として当然のつとめだろう? そしてこの兵士については、襲われたから身を守ったまでのこと。私にはなんの咎もない」

 ヘリオスフィアはかっと目を見ひらいた。

「お前は自分の立場がわかっているのか!」

「わかっているとも。花嫁としてやってきた、元敵国の公主の侍女だ。だから立場をわきまえ、あまり事を荒立てないように気をつけて、こいつのことも殺していない。いつもの私なら、背後から襲ってくる奴に遠慮はしないぞ」

「なにが侍女だ!」

 ヘリオスフィア王子は青ざめ、瞳は異様な熱をおびて清照を睨んでいた。

 その熱の正体は、自分に対する敵意だろうか。思って、清照は口元に笑みをうかべた。

 嘲笑だ。怒りも多分に混じっている。

 清照は足をあげると、兵士の手を思いきり踏みにじった。

「……ぐぁ」

 もれでた声は小さかった。だがヘリオスフィアの耳には届いたようだ。顔色を変え、一歩踏みでた。

「やめろ!」

「あなたは手を踏まれる痛さを知った上で、この兵士に私を襲うよう命じたのか」

 清照はヘリオスフィアの言葉は無視して、問うた。

「ちなみに私は知っている。痛いぞ。なにより、屈辱でな」

「おい!」

「なにも知らずに命令したのか。いい身分だよ。失敗したらこの兵士はこうして傷つくし、下手をすれば死ぬというのに。こいつの家族も悲しむ。それらのことを、本当にこれっぽっちも想像もしていなかったのか? 馬鹿か」

 言葉をつのらせるほどに怒りが増し、力がこもる。足の下で、兵士の手の甲の骨が折れる感触がした。兵士はこれ以上声をもらさないよう、必死に耐えているが、清照は力をゆるめない。

「やめろと言っているだろう!!」

「ならば私の怒りがとけるような台詞を言ってみろ!」

 ヘリオスフィアもだが、清照も激昂していた。ふたたび兵士を蹴る。

「貴様——」

「まずこの兵士の命を救ってみせろ!!」

 縄鏢をかまえ、叫ぶ。

 次の瞬間、建物のなかとは思えない突風がまきおこって、清照に吹きつけた。

 ヘリオスフィアがとびだす。だが清照は、咄嗟に腹に力を入れてこらえて体勢を保ち、縄鏢をにぎりしめてヘリオスフィアの攻撃に備えた。

 だが清照につかみかかろうとするヘリオスフィアを、隻眼のオーラリー将軍が羽交い締めにしてとめた。オーラリー将軍自身も、ひとつ目を燃やすようにぎらつかせて清照を睨んでいたが、それでもヘリオスフィアのことは太い腕でとらえたまま、しっかりと取りおさえている。賢明だ。ヘリオスフィアがかかってきても、今の清照には手加減する冷静さはない。

 そのまましばらく、睨みあいがつづいた。誰も動かない。ただ小さなつむじ風が、清照とヘリオスフィアの激情を写すかのように、ふたりのあいだでうずまいていた。

 動いたのは、李冰陽だった。彼も蒼白になっていたが、それでも落ちついた声で清照に呼びかける。

「杜清照。あなたのおっしゃるとおりです。上に立つ者として、考えが甘かった」

 清照は応えず、ただ荒い息を吐いた。李冰陽はつづける。

「この上、我々の責任を一兵卒に負わせて見捨てるような真似などできません。彼を救いたい。話をしていただけませんか」

 李冰陽は、深い緑の瞳で、じっと清照を見つめている。

 やろうと思えば、彼らはこの兵士に「公主の侍女を襲った罪」をすべて負わせて処分することもできる。むしろ、たとえ冷酷でも、自分たちの失点を認めるような真似はすべきではなかった。

 だが彼らは譲歩をして非を認め、兵士を見捨てず助けたいと申しでた。清照もそれを受け入れなければならない。もし清照がここで軟化せず、ことを荒だて表沙汰にでもすれば、彼らはけっきょく兵士を処分せざるを得なくなるだろう。

 清照はもういちどゆっくりと息をして、ヘリオスフィアを見やった。

「——ヘリオスフィア王子。月季公主は、トルクエタムと天香国の和平を取りもつために力を尽くすおつもりだ。私は当然、月季公主の志がかなうよう、行動する。だから私からは不穏なことはしない」

 ちらりと、足下の兵士を見おろした。

「だが無抵抗でおとなしく怪我をしてやる玉でもない。そこは忘れないでほしい。脅したり襲ってきたりすれば、反撃する。そして月季公主に害をなそうとしたら、微塵たりとも容赦はしない。かならずや、この絶塞にとっての悪夢となってみせる」

 清照は兵士の手の上から足を引いた。

「ほかには」

「月季公主を、あの方にふさわしい敬意をもって遇しろ。政治に一介の侍女が口出しできないことくらいわきまえている。夫婦としての相性にも、とやかくは言うまい。だが、信頼を築こうと努力している相手には、それなりの敬意を払え」

 ヘリオスフィアと李冰陽は、すばやく視線を交わした。

「それがお前の要求か。それでいいのか」

「言いたいことは山ほどあるさ。だがそちらが飲めないような無理な要求をすれば、この兵士にしわ寄せがいくだろう」

 李冰陽は冷静なままだったが、ヘリオスフィアは顔をこわばらせた。

「お前の望みはわかった。善処しよう」

「信用しないが、期待している」

 清照は兵士をしばっていた縄鏢を解くと、手甲におさめた。そして兵士に、ヘリオスフィアたちのほうへ行くよう、あごをしゃくる。兵士は力なく身を起こしたが、しかしその場でうつむきすわりこんだまま、ヘリオスフィアたちのほうを見ようとしなかった。家臣として、彼らにあわせる顔がないのかもしれない。

 だがその態度は、清照をひどく苛立たせた。くるりと踵を返し、その場から立ち去る。

 すぐに、ヘリオスフィアと李冰陽が兵士にかけよるあわただしい足音がした。しかし清照はふりかえらなかった。

 清照は、怒りのあまり泣いていた。




 翌朝、李冰陽が侍女のための衣装を女官に持たせてやってきた。

(おお、仕事がはやいじゃないか)

 感心して、衣装の山を眺めた。

「わたくしの侍女に衣装を用意してくれて礼を言います、李冰陽。本当なら、主であるわたくしの役目ですのに」

 月季は無邪気に喜んだ。李冰陽はなんとか苦笑をおしとどめているかのような、微妙な笑顔をうかべていた。

 李冰陽が下がったあとは、月季と侍女がそろって、宮殿の女官に着付けを教わることになった。衣装はそれぞれに数着ずつ用意されているので、部屋はまるで花園のような華やかさだ。トルクエタム反感を持つ梅花たちも、つい心を浮きたたせているようだった。

「薄くて軽くて、なんだか心許ないような」

「でも動きやすそうではありませんか」

「髪や化粧も天香国のやり方のままでは、衣装に似合いませんわね。トルクエタムの着こなしを、教えてもらえるでしょうか」

 月季も楽しそうだ。

「乙女も刀や弓を持つのでしょう? 帯にたばさむのですか? この衣装には天香国の直剣は似合いませんね。トルクエタムの半月刀を用意してもらえないでしょうか。ああ、それに剣術指南の手配もお願いします」

 堂々と武器を要求する。女官たちは戸惑って顔を見あわせた。

「……で、では、主にお手配をお願いしておきます」

「よろしく頼みます!」

 月季はにっこりと笑った。策士なわけではない。彼女はこれで素なのだ。

 そのとき、月季を着つけていた女官が、清照の手甲をはずそうとした。

「ああ。これはこのままで」

 清照は女官の手をおさえて言った。

「ですが」

 女官は食い下がる。清照が手甲に武器を忍ばせていると知っているのだろうか。それとも、ヘリオスフィアたちになにか言い含められてきたのか。

「袖は長いから、どうせ隠れる。そうだろう?」

 清照の、穏やかだが強い声の調子に気圧されたのか、女官はおとなしく引きさがった。一刻もはやく清照から遠ざかろうというように、清照の着付けをすませる。

 清照の衣装は、冴えた瑠璃色だった。同じような青でも、天香国の微妙な色目とはまったく違う。これに刺繍をした胴着を身につけ、髪は顔のまわりだけ編みこんで残った髪はおろして背中に流すと、梅花たちや女官たちは皆手をとめて、清照の姿に見入った。

「よく似合っているではありませんか、清照!」

 月季が嬉しそうな声をあげた。

「おそれいります、公主。私の背の高さには、トルクエタムの衣装があうようですね」

 答えながら、動きをたしかめる。天香国の衣装よりも締めつける部分が少なく、動きやすい。手甲も邪魔にならなかった。

(トルクエタムの布で、手甲をつくりなおそうか。刺繍をすれば布の強度も増すし)

 月季は衣装をかきわけて、あれこれ手にとってはまたべつの品をさがしている。

「清照、こちらの緑色の胴着も試してみてはどうですか?」

「よろしゅうございますね。しかしそれは、梅花様が今着ている、萌黄色の衣装に似合うのではないでしょうか」

「あら、私?」

「では、すぐにお着つけを」

 女官がいそいで梅花のそばに行こうとするのを、桃花がとめる。

「待って。せっかく覚えたのだから、私が着つけてみたいわ」

「それよりこの銀の飾りを、どう衣装に合わせていいか教えてもらえないかしら」

「そちらはお髪につけるものでして」

 大変な騒ぎである。今日はこの調子で一日が終わるかもしれない。

 最初こそ、トルクエタムの女官が月季に近づくたびにぴりぴりと緊張していた梅花たちも、大量の美しい衣装と装身具を前にして気持ちがやわらいだのか、自然に会話を交わすようになっていた。

「梅花様、よくお似合いですわ」

「本当に、華やかで」

 皆がほかのことに注目している隙に、清照は気配を消して部屋をでた。

 が、廻廊をまわりこみ、べつの廊下に入ろうとするあたりで、声をかけられた。

「失礼いたします。どちらへおいでになるのでしょうか」

 ふりかえると、先刻清照を着つけてくれた女官がいた。緊張した面持ちで、清照を見ている。やはり、清照の身張りを命じられているのだろうか。

 清照は一瞬の間をおいて、くるっとふりかえった。

「ああ、ちょうどいいところに。助かったよ」

 先刻とはうってかわった、満面の笑みをうかべて言うと、女官は戸惑った表情をうかべた。清照はすかさず、女官との間合いをつめる。

「手伝ってほしいことがあるんだ」

 その言葉も終わらぬうちに手をのばし、するっと女官の体をからめとる。そして声をたてる暇も与えず、当て身をくらわせて失神させた。

「——すまないな」

 清照はあたりを警戒しながら、空いた部屋に女官をつれこんだ。

 しばらくして、宮殿の裏手から、宮殿の女官のお仕着せを着た清照が姿をあらわした。ほそい路地を迷いのない足取りで歩き、市場にでる。

 女官のお仕着せとはいえ、布地も装身具も上質で、街中では目立ってしまう。そこで清照は、市場で古着を一枚ずつ買ってはその場で着替え、さらに安物を扱う店でべつの一枚を手に入れるという方法で、衣服を取りかえていった。

 仕上げに安物の装身具をいくつか買い、身につける。

 市場の反対側からでていくときには、清照は胡桃で染めた目立たない茶色の服を着て、頭に日よけの布をかぶり、手には羊飼いが持つ杖をたずさえていた。もう片方の手に持った駕籠には、脱いだ衣服が入っている。背が高く日にも焼けた清照は、そんな格好をしていると、絶塞の市井の娘とまったくかわらなかった。

 清照はそのまま、城市の北にある門にむかった。都アンティキティラへむかう漠北街道も、この城門からでている。したがってかなり立派な門がまえだったが、庶民の出入りも多く、門の周辺は気安い雰囲気だった。

 清照も、いかにも自然な雰囲気で門に歩みよる。

『偉大なる天に感謝を——外で仕事している兄に、ちょっと弁当を届けてくるよ』

『天に感謝を——ご苦労さん』

 トルクエタム語で陽気に挨拶を交わす。門衛は疑った様子もなく、清照をとおした。

 こうして清照は悠々と、荒野にでていった。



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