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絶塞  作者: 西東行
第4章
17/18

 天香国の者は皆、信じられない思いで黒髪と榛色の髪の若者を見ていた。

「李冰陽が……ヘリオスフィア王子?」

 月季は呆然とつぶやいた。

「そんな馬鹿な。信じられない。なにかの悪い冗談ではないのですか」

 大衍もひきつった声をあげた。黒髪のヘリオスフィアは、無言で袖をまくる。前腕に、七つ星と金色のひとつ星の刺青がほどこされていた。

「それぞれ、トルクエタム王族のしるしである七つ星と、オールトの太守のしるしである明けの明星の刺青だ。私こそがオールト太守である正真正銘のヘリオスフィア。そして彼が李冰陽だ」

「こ、この榛色の髪の若者が、天香国の血をひいているというのですか? まさか!」

 大衍の言葉は、そこにいる天香国の人間すべての困惑を代弁していただろう。榛色の髪に青灰色の瞳では、いくら西方の血が混じっていても、天香国の人間には見えない。

「冰陽の祖父と父親は、ともに金髪碧眼の女性を妻にしたのだ」

「——すべては、俺の一存でしたこと」

 本物の李冰陽が、血が流れでる肩をおさえながら言った。

「俺はヘリオスフィア王子に命じられ、月季公主をお守りするために、兵をつれて街道の途中までお迎えにあがったのです。けれど盗賊に襲われて応戦している公主を見て、本物の月季公主ではなく、偽物だと思いこんでしまいました。トルクエタムの戦士でも、あれほど強い者はそうはいません。いくら武術を好まれるとはいえ、雅で知られた国の公主であるとは到底信じられず——」

 梅花たち侍女と大衍が、月季を横目で見るが、月季は視線に気づかない。

「李冰陽が……本物のヘリオスフィア王子……」

 なぜか頬を染めている。

「——俺は、公主と杜清照は、ヘリオスフィア王子を狙う刺客がなりすましているのだと勘違いし、刺客の注意を自分に引きつけようと入れかわりをはかったのです。そして先触れで事情を王子に伝え、俺と入れかわる芝居をしてくれるよう願いました」

 大衍が苛立たしげに自分の長い袖をつかむ。

「いったいなぜ……! トルクエタムは何度も我が国に使者をよこし、幾人かは長春の都に長く滞在していたではないですか。今回の婚礼の行列に同道された方もいました。月季公主が本物であるかどうかは、たしかめておられたはずですぞ」

「しかし、天香国の公主は皆、後宮にお住まいで、そのお姿は、結婚が決まるまで、わかりませんでした。入れかわっていたとしても、我々にはわかりません」

 李冰陽は息を切らして答える。

「ヘリオスフィア王子の姿を知る者が、天香国にいないことも、わかっていました。天香国は、トルクエタムに使者を、送ってきませんでしたから」

 蛮国が天香国に足を運ぶべきで、その逆はあってはならないという、傲慢な理由である。今度は清照と梅花たちが、大衍を横目で見たが、大衍は知らんぷりを決めこんだ。

「けれど、この月季公主が本物であると、途中で気づいたのですね?」

 清照の問いに、李冰陽はうなずいた。

「侍女はともかく、月季公主の誠意あるおふるまいは、刺客とは思えないものでした」

 ものすごく失敬な言い草だと清照は思ったが、今はそれを抗議すべき状況ではない。

 李冰陽は痛みがひどいのだろう、顔色が次第に悪くなってきている。

「また、長春にいる間者からの報告や、そのほかの調査からも、公主が偽物であるという証拠は得られず、俺がそもそもの判断を誤ったとしか考えられませんでした。けれど今さら、公主はじめ、天香国の方々に誤解していたと申しあげることはできず——」

 たしかに、李冰陽のしたことは、相手国への信頼を大きく損なう行為だ。こともあろうに友好のための婚姻を結びにきた公主を、偽物と疑って騙したのだから。

 ヘリオスフィアも大衍も、顔色をなくして、李冰陽を見おろしている。

「すべては俺の浅慮がまねいたこと。責任は俺ひとりに——」

「……李冰陽が、わたくしの本当の夫君……」

 夢見心地でつぶやく月季を、さすがに見かねて、清照は袖を引いた。

「公主。聞いておられますか」

「えっ? ええ、もちろん」

 月季は赤く染まった頬を、両手で包んだ。

「公主とは信じられないほど強いだなんて……そんなに褒めていただいて恐縮ですわ」

 その場にいた全員が、今度こそ完全にかたまった。

(なぜだ)

 梅花たち侍女も大衍も、本物のヘリオスフィアや李冰陽、そして清照までもが、月季をおそろしいものでも見るような目で注視する。

 どうして、そうなる。この女は、なにをほざいているのか、と。

 人々の気も知らず、月季はうっとりと恥じらっていた。

「わたくしはただ、愚直であれという師父の教えにしたがい、己の技の研鑽に日々励んだのみ……まだまだ修行が必要な身です。清照にもなかなか勝てませんし、先刻も、ちょっぴり敵をしとめそこねてしまいましたの」

 ここでいちはやく己を取りもどしたのは、月季の侍女として長くつとめてきた梅花たちだった。

「なにをおっしゃいます、公主!」

「先刻は公主のお力で、私たちはもちろん、杜清照も助けられたのでございますよ!」

「公主の武こそ民を守るまことの仁のお力ですわ!」

「まあ、そなたたちったら……」

 清照とあろう者が、不覚にも他者に遅れを取ってしまった。あわてて梅花たちにならい、月季の前にひざまずく。

「公主が日々たゆまぬ努力をしていらっしゃる姿に感銘を受けたからこそ、私も修行をつづけているのではありませんか。公主こそが私を導いてくださったのです」

 言いながら、黒髪のヘリオスフィアに目配せした。ヘリオスフィアは察しよくうなずいて、月季の前にすすみでる。

「今やすべての疑念は払われた。月季公主、強く美しいあなたをおいて、私の妻となるべき女性はほかにいない。どうか私とともに、天香国とトルクエタム両国の繁栄と平和のため、力をつくしてくれないだろうか」

「もちろんですわ、ヘリオスフィア王子! 嬉しゅうございます。わたくし、精一杯つとめます!」

 ふたりはかたく手を取りあった。

 どう考えても、無茶な筋書きである。しかしかくなる上は、天香国もトルクエタムも、月季の夢想的な文脈に便乗するしかない。でなければ婚姻は成立せず、両国の和平も破綻してしまう。最悪の場合、戦が起こるだろう。

 それだけはさけねばならないという一心で、周囲の人々は天香国やトルクエタムの区別なく、月季とヘリオスフィアのそばにひざまずき、ふたりをたたえあげた。

「ヘリオスフィア王子と月季公主に祝福を!」

「お慶び申しあげまする!」

「栄光あれ!」

 もちろん大衍もふたりを祝福している。天香国の立場から、さんざん絶塞の人々に文句を言いはしたが、大衍は友好使節団の責任者だ。この婚姻が破局でもすれば、彼自身の命運も尽きてしまうのである。それこそ必死だった。

 一方、オーラリー将軍は、困惑したようにまわりを見わたしていた。見ていると、側近の兵士が口早にオーラリー将軍の耳元でささやき、将軍もうなずき返す。そして自分もひざまずくと、皆に追随して叫びだした。

「ヘリオスフィアオィジ! ゲキコシュ!」

 すさまじくひどい発音だ。北方出身のオーラリー将軍が、天香国の言葉をほとんど話せないのは明らかだった。簡単な言葉は知っているようだが、会話には通訳が必須なのだろう。

(公主と遠乗りにでかけるとき、なにも喋らなかったのはそのせいか)

 月季は乙女らしい恥じらいをあふれさせ、ヘリオスフィアをひたと見つめている。

「ヘリオスフィア王子——」

「どうかヘリオスと。親しい者にのみ許している呼び名だ」

「ヘリオス様……!」

 感きわまった声で呼ばれて、ヘリオスフィアの頬が小さく、ぴくりと痙攣した。

(笑うな!!)

 月季には見えない彼女の背後で、すべての家臣が身をのりだし、目でヘリオスフィアに訴えた。明敏なヘリオスフィアは、すぐにきりと表情をあらため、月季を見つめる。

「月季、キュビワノ河の橋がなおりしだい、アンティキティラの都にむかおう。一刻もはやく、父王や大臣たちにあなたを自慢したい」

「もちろんですわ!」

 ここで家臣一同、拍手喝采、歓声をあげた。

 この騒ぎのあいだ、榛色の髪の李冰陽は放置されていたが、幸いにも命にかかわる怪我ではなかった。後刻、無事に手当てされ、また処分は特になにも受けなかった。




「冰陽の爺様は、金髪碧眼の女性との結婚を家族に反対され、天香国を離れたんだ。それはもうたいへんな愛妻家として有名でね。その影響か、冰陽の親父様も金髪碧眼の女性を妻にした。それで彼は、このような姿というわけだよ」

 翌朝、李冰陽の見舞いに訪れた月季に、ヘリオスフィアは上機嫌で言った。

 清照はそのあいだに、金創(刀傷)に効く天香国の薬湯を用意する。李冰陽にわたすと、彼はその匂いに眉をひそめた。幾分青ざめて見えたが、表情の動きに勢いはあるので、心配はなさそうだ。

「彼はどう見ても『李冰陽』という感じではないだろう。実際、黒髪というだけでも、私が李冰陽と名のった方がまだ自然だったし」

「すっかり騙されてしまいましたわ!」

 月季も楽しそうに笑っている。

「でも、わたくしがヘリオス様のふりをした李冰陽に心惹かれていたら、たいへんなことになっていましたわね」

「それはないよ、月季。私たちの絆は天の定めた運命なのだから」

「ヘリオス様ったら!」

 李冰陽は薬湯が苦かったのか、それともほかの理由のせいか、うめいた。

「それにしても、口調をあらためられて、ずいぶん感じが変わられましたわ」

「今でこそ言えるが、ちょっと楽しかった。冰陽に敬語を使うなんてね」

「おい、ヘリオス……」

 李冰陽は顔をしかめて主を諫めた。しかめたくもなるだろう。月季が本物であると判断したあたりから、どうやってことをおさめようかと、李冰陽はさんざんに悩みぬいてきたはずだ。覚悟もしていたに違いない。それが思いもよらないかたちで解決して、拍子抜けしているような気分を味わっているのではないか。

「李冰陽。その薬湯は一口ずつでなく、一気に飲め。飲んでしまえば、少しは気分が安らぐ。そういう薬草も入れているから」

 耳元で言ってやると、李冰陽は不本意そうに椀の中身をのぞきこんだ。

「……まったく、ありがたいことだ」

 目を閉じて、残りを一息に飲みくだす。そんな李冰陽を、ヘリオスフィアは笑いながら見て、月季へ目を移した。

「月季、あなたには申し訳ないが、たとえ出立を遅らせても、アンティキティラの都には冰陽をつれていかなければならないのだ。正直なところ、稀代の神官と賞賛される冰陽が私の乳兄弟であったからこそ、年若い私が叔父や兄たちをさしおいて、聖地オールトの太守になることもできたわけでね。都での婚礼に冰陽が参列していないと、彼らに痛くもない腹を探られかねない」

 月季のおかげでうやむやにできたが、ヘリオスフィアと李冰陽が入れかわって月季をあざむいた件は、本来なら天香国に対する重大な背信行為である。できるだけ部外者、特に政敵には知られないよう警戒せねばならない。

 李冰陽はふんと鼻をならした。

「俺がそばにいないくらいでつけこまれるようでは、先もないぞ。情けない」

「もちろん、そんなへまはしない。けど冰陽がそばにいないと、過剰に反撃しかねないだろう? 私が心配しているのはそこだよ」

「だからそういうのをやめろと、いつも言ってるんだろうが」

 ヘリオスフィアはまた笑う。本当に上機嫌だ。ふたりが入れかわった件で李冰陽を処分せずにすんだことが、よほど嬉しかったに違いない。

 ヘリオスフィアは一生、月季に感謝することだろう。なにしろ月季のおかげで、李冰陽が罪をまぬがれたのだから。

 もしヘリオスフィアが月季への恩を忘れても、清照が思いださせてやるまでだ。

「ところで、アーミラリはどうなったのですか?」

 清照が問うと、李冰陽とヘリオスフィアは顔を見あわせた。

「俺もまだ聞いていない。昨夜は手当てを受けて、薬湯で眠らされたからな」

「意識は戻った」

 ヘリオスフィアは肩をすくめた。

「だが、やはり、あの矢には毒がぬられていた。傷はたいしたことはないが、奴は二度と自分の意志で動いたり喋ったりすることはできまい」

 惨いことだが、ヘリオスフィアの口調にはさして同情はこもっていなかった。

「詮議は、冰陽と清照殿が谷底で捕らえた男から話を聞いてすすめることになるだろう。実はアーミラリの家に、出所のわからない黄金の皿や杯、宝石などがあるとわかったのだが、その出所も捕らえた男が教えてくれると思っている」

 李冰陽は憂鬱そうにため息をついた。

「アーミラリが裏切り者だったとは残念だ。なまじ有能なだけに、欲や野心を捨てきれなかったのかもしれないな」

 月季も憂うように頭を横にふった。

「わたくしも残念です。あの者は親しく話してくれるので、すっかり信用しておりましたのに。オーラリー将軍のほうがちっとも喋ってくれなくて、よほどあやしかったですわ」

 ヘリオスフィアは苦笑した。

「オーラリー将軍は天香国の言葉がわからないのだ。あなたの正体を疑っていたうちは、むやみに弱みを見せまいとしていたので、言動も怪しかったのだろう。しかしあなたもすぐに、将軍が誠意のある人物だとわかると思う」

「たしかオーラリー将軍は、布拉赫ブラーエに近い、北のお生まれだとか」

 清照の言葉には、李冰陽がうなずいた。

「若いころは布拉赫との戦で名をあげられた方だ。だから布拉赫の言葉には堪能だが、布拉赫嫌いでもとおっている。片眼の仇でな。ヘリオスと月季公主の縁談も、布拉赫などに公主をとられてはならぬ、公主はぜひヘリオスの妃にと、あの方が強力に推しすすめられたのだ」

「あら、そうでしたのね!」

 月季のオーラリー将軍への好感が、一気にあがったようだ。

 李冰陽が清照に目をやった。

「お前はアーミラリに話を持ちかけられたとき、奴を疑っただろう? その根拠はなんだったんだ?」

「まずは話を疑って裏を取るのは、宮廷で生きぬく基本です」

 月季にも聞こえているので、清照は丁寧な言葉で答えた。

「それだけか」

「ええ。それにやはり、その場で思いついた入れ代わりだけあって、いろいろ粗がありましたから。ヘリオスフィア王子にも申しあげましたが、『ヘリオスフィア王子』のほうが神官らしい言動をしておられることに、ずっと違和感がありました。『李冰陽』殿も、神官よりむしろ政治家らしいと感じましたので」

 清照は李冰陽が飲みおえた薬湯を片づけながら答えた。

「アーミラリの嘘はたしかによくできていましたが、そうした違和感を強めるばかりの内容でした。だからかえっておかしいと思ったのです」

「ふうん……」

 清照が後始末を終えたのを機に、月季が立ちあがった。

「ではそろそろ失礼いたしますわ。あまり長居しては、李冰陽の怪我にさわりますもの」

「そうだな。では離宮までお送りしよう。——冰陽、はやく傷を治せよ」

「簡単に言うな」

 拗ねたように言って、刺繍をした大きな枕に体をあずけた。

 月季とヘリオスフィアは、先に部屋をでる。清照は扉のところでふりかえり、李冰陽を見た。

 李冰陽は、清照をじっと目で追っていた。



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